Friday, July 21, 2023

レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも> ー続篇<でも>

 

<でも>については " レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも>" で検討したが、 その後<でも>をもう少しよく検討してみた。

<でも>は手元のかなり古い辞典 (三省堂) では副助詞としての解説しかないが、ネット辞典の

デジタル大辞泉 (小学館)(https://www.weblio.jp/content/%E3%81%A7%E3%82%82)

では 接続詞、連語、接続助詞、係助詞で説明されている (副助詞はない) 。両方とも解説の後に例文があるのだが、例文は解説では説明がつかないものが少なくない。いわば辞書の<あらさがし>をすることになるが、解説の難しさを示しているともいえる。<あらさがし>は概して長くなるが、このポストもかなり長くなりそう。副助詞と係助詞の違いも検討する予定。

手元のかなり古い辞典 (三省堂) では副助詞としての解説

1.許容される最低の場合を例示する。

1)子供の足でも十分あれば行ける。
2)忙しくて日曜日でも遊んでいられない。
3)今からでも遅くない。
4)これだけでも持って行きなさい。

 2.考えられる消極的な条件がともかく成立するさまを表わす。

1)お茶でも飲もう。
2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。
3)けがでもさせたら大変だ。
4)明日にでも来てもらおう。

3.(不特定の指示語について)消極的な意味で無制限に成立することを表わす。

1)そんなことだれでも知っている。
2)どこへでもついていこう。
3)何年でも待ちましょう。
4)いつでもかまわない。

 繰り返しになるが

1.許容される最低の場合を例示する。

1)子供の足でも十分あれば行ける。
2)忙しくて日曜日でも遊んでいられない。
3)今からでも遅くない。
4)これだけでも持って行きなさい。

どの例も <許容される最低の場合を例示する>ではすぐには説明がつかない。<子供の足>、<日曜日>、<今から>が<許容される最低の場合>とは思えない。<これだけ>は一見<許容される最低の場合>のようにみえるが<だけ>がない<これでも持って行きなさい>だと<これ>は<許容される最低>にはならず、<これ>は一例で、他にも持って行くものがありそう。

1)子供の足でも十分あれば行ける。

つまりは<子供の足>は一例であって、特定の<許容される最低の場合>ではない。例えば

足の弱った老人の足でも十分あれば行ける。
ハイヒールを履いた女の足でも十分あれば行ける。

は他の例だ。

2)忙しくて日曜日でも遊んでいられない。

これは、例えばカッコ内の次のような状況であれば、日曜日が<許容される最低の場合>になりうる。
 
(日曜日は他の曜日に比べて遊べる時間が多い、のだが)  忙しくて(その) 日曜日でも遊んでいられない。

<のだが>は逆接で使われる。<許容される最低の場合>というからにはこのような発話されない部分の状況が必要で、そうでないと<許容される最低の場合>と言えるわけではない。だがこの場合は、少しよく考えると、<許容される最低の場合>というよりは<許容される最善、最適の場合>だろう。一番遊べる時間のある、遊ぶのに最も都合のいい (最も機会のある) のが日曜日なのだ。

遊ぶのには日曜日が一番いいのだが、忙しくて(その) 日曜日でも遊んでいられない。

で問題ない。

3)今からでも遅くない。

<今から>が最低ということはどういうことか。 最低というからには、言葉に出す、出さないば別として、比較がないといけない。もっと具体的に言い換えると 

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からでも遅くはない。

これは少し変だ。<なら>を使って

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からなら遅くはない。

は変ではない。この違いはどこから来ているのか。比較を考えてみると

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からでも遅くはない。

これは< (すでにもう) 遅い>と<遅くない> を比較していることになり、簡単な比較ではない。あるいは比較にならない。

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からでも (もう) 遅い。

これは意味は違うが、変ではない。< (すでにもう) 遅い>と<(もう) 遅い>で時間が違う<遅い>を比較しているのだ。

さらには、時間軸を考えると

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、今からでも遅くはない。

も考えられ、これは変ではない。時間が違う< 遅くない>と<遅くない>を比較しているのだ。一方、<なら>を使った

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、今からなら遅くはない。

は変だ。

また

今からでも遅くはない。30分後でもまだ遅くない。

とはいえる。一方、<なら>を使ってみると

 今からなら遅くはない。30分後ならまだ遅くない。

といえないので、<なら>に比べて<でも>は許容度が大きい。したがって 、<でも>は<許容される最低 (あるいは限度) の場合を例示する>にはならないのだ。これは上の

1)子供の足でも十分あれば行ける。

でも示されている。

<3)今からでも遅くない>については重複を無視してさらに続けるが(以下が読みとばしても問題ない)

<今から>が<許容される最低の場合>になるには<今からでないともう遅い>、<許容される最低の場合>と対比させると<遅くならない許容される最も遅い時間>でないといけない。

今からでも遅くない。

もう遅くなりかけているが、今からでも遅くはない。

にはこの差し迫った状況が感じられない。 

もう遅くなりかけているが、今からなら遅くはない。

と<なら>を使うと 差し迫った状況が少し感じられる。

二例とも<が>があるが、逆接ではない。だが順接とも言いがたい.。普通の逆説、順接の接続詞を使ってみると

もう遅くなりかけている。しかし、今からでも遅くはない。ー OK
もう遅くなりかけている。それで (だから) 今からでも遅くはない。ー ダメ

もう遅くなりかけている。しかし、今からなら遅くはない。ー OK
もう遅くなりかけている。それで (だから) 今からなら遅くはない。ー OK

なので、上の<が>は逆接のようだ。譲歩の接続詞をつか使ってみる。

もう遅くなりかけている。にもかかわらず、今からでも遅くはない。

これは少し変で、因果関係がないのだ。

もう遅くなりかけている。それでも、今からでも遅くはない。

これは<でも>が二度でてくるので具合が悪い。

もう遅くなりかけている。それでも、今から遅くはない。

とは言える。

もう遅くなりかけているが、今からでも遅くはない。


もう遅くなりかけている。それでも、今から遅くはない。

比較してみると、ニュアンスを含めてほぼお暗示で、前者は後者の短縮版とも言える。

もう遅くなりかけている。にもかかわらず、今からなら遅くはない。

これも少し変だが、<でも>ほど変ではない。特に因果関係はないが、<なら>は元来因果関係はあまり関与しない。むしろ

 もう遅くなりかけている。にもかかわらず、もし今からなら遅くはない。

の仮定の意が強いのだ。

 

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からならまだ遅くはない。

さらには、変な言い方だが

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、それでも今からならまだ遅くはない。

という状況での発話かもしれない。<なら>は簡単な二音節の仮定だ。<でも>を使うと

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、それでも、今からでも遅くはない。

になるが<でも>が続けてでてくるので語呂がわるい。

これまた二例とも<が>があるが、逆接ではない。だが順接とも言いがたい。

ふつうの順接は

一時間前ならまったく遅くはなかった (問題なかった) 。だから、今からでも遅くはない。
一時間前ならまったく遅くはなかった (問題なかった) 。だから、今からなら遅くはない。

 はロジカルでない。

一時間後、 一時間前と比べて<今から>が<許容される最低の場合>というのは意味が通じない。というよりは、 一時間後、 一時間前(比較対象)と比べて、<それでも>といった逆接 (譲歩ということもある) の意味が<でも>にはあるのではないか。他の箇所で相当詳しく検討したことがあるが、逆接と譲歩は似ているようで違う。違いはかなり複雑。英語を参考にすると

今からでも遅くない。

Doing it now is still not too late.
It is still not too late to do it now.

英語では from now は <今から>とやや意味が違い、from now on の意味になりそう。

一時間後では (すでにもう) 遅い、今からならまだ遅くはない。

It will be too late if you do it one hour later but it is still not too late to do it now.

一時間前ならまったく遅くはなかったのだ、それでも今からならまだ遅くはない。

It was not too late at all if you do it one hour before but (even though) it is still not too late to do it now.

さて、時間軸を考えてこまかく言うと、<今から>が<許容される最低の場合>になるには

<今からでないともう遅い>という条件が必要だ。だが、<今からでも遅くない>にはこのような差し迫った状況は感じられない。

(今からでないともう遅い)  今からでも遅くない。

これはそのままではつながりや因果関係がない。順接、逆接の因果関係をつけると

(今からでないともう遅い。だから) 今からでも遅くない。- 順接
(今からでないともう遅い。しかし) 今からでも遅くない。ー 逆接

となるが、どちらもおかしい。<も>がない

(今からでないともう遅い。だから) 今から遅くない。- 順接
(今からでないともう遅い。しかし) 今から遅くない。ー 逆接

ではおかしさがへる。したがって。この<でも>は<で>+<も>とも見なせる.<も>の働きは何か?

この<も>は追加の感じがあり、<今からでないともう遅い>という差し迫った、ぎりぎりの、最低限の状況とは馬が合わないのだ。

<最低>というからには比較が必要だ。

明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。 

を使ってみると

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。だが)  今からでも遅くない。

はやや変だが、よしとする。この場合<なら>を使った 

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。だが)  今からなら遅くない。

とも言え、むしろこちらの方が普通のようだ。どうしたことか。 この場合、<今からでも遅くない>では比較が意識されているが、<今からなら遅くない>には、他の場合と比較している意識が薄いようだ。これまた、どうしたことか。言い方を少し変えて

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。でも)  今からでも遅くない。
(明日からではもう遅い。一時間後ではもう遅い。でも)  今からなら遅くない。

どちらも言いそうだが、上は<でも>、<でも>と重なるので 語呂がわるい。一番目の<でも>のない場合は

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からでも遅くない。
(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からなら遅くない

これもどちらも言いそうだが、<なら>の方はつながりが、因果関係が薄いのだ。この違いは

それでも xxxする。逆説、譲歩
それなら xxxする。このままでは順接。

外は大雨だ。それでも出かける。
外は大雨だ。それなら出かけない。

話がそれかけて、長くなっているが、 <今からでも遅くない>にもどると、<でも>には逆説、譲歩の働きが付随すると言えそう。したがって

今からでも遅くない。

の<今から>は<許容される最低の場合>というよりは

明日からではもう遅い。一時間後 (から) ではもう遅いのだが、(それでも) 今から遅くない。

という言い方,逆接、譲歩で、背景には<今から>と<明日から>、<一時間後から>、一般的には<今から後>との比較が念頭にありそう。また

(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からでも遅くない。
(明日からではもう遅い。一時間後からではもう遅い。)  今からなら遅くない

を比較すると

この場合<なら>は仮定とも言える。一方<でも>は仮定とみなされない。この部分だけをとると、<もし今からなら>とは言うが<もし今からでも>はダメだ。

以上、結論が出ていない、というのが本音だ。

4)これだけでも持って行きなさい。

<これだけ>は<だけ>があるので、<これだけでも>は一見<許容される最低の場合>のようにみえる。<だけ>をとってみると

 これでも持って行きなさい。

となり、この場合<でも>は<許容される最低の場合> とはかけはなれ、後から述べる<2.考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす>のグループに入ることになる。

以上から、 <でも>=<許容される最低の場合を例示する>は特化された説明で、もっと一般的には

逆接 (譲歩ということもある) の働きがある。

といえるが、この場合、言葉に出す、出さないば別として比較、対比を考えないといけない。

1.許容される最低の場合を例示する。

の例がでてくるのは、デジタル大辞泉 (小学館) では

係助]断定の助動詞「だ」の連用形係助詞「も」から》名詞または名詞準じる語、助詞に付く。

別のもののようにみえる事柄が、他の一般場合と同じであるという意を表す。たとえ…であっても。「強いといわれている人—病気には勝てない」「今から—がんばろう

 で

今からでもがんばろう。

というのがある。だが、これまた<別のもののようにみえる事柄が、他の一般場合と同じであるという意を表す>は

「強いといわれている人でも病気には勝てない」

では説明がつくが

「今からでもがんばろう

は説明がつかない。<今から>が<別のもののようにみえる事柄>としても、<他の一般>とはどういうことか。

今からでもがんばろう。

の<今から>が特別のモノのように見える事柄で

午後からがんばろう。
明日からがんばろう。

の<午後から>、<明日から>が<他の一般の場合>では説明がつかない。また、他の一般の場合>の<午後から>、<明日から>が<今から>の場合と同じとはどういうことだ。

さらに、同義語として<たとえ…であっても>があげられていて 

たとえ強いといわれている人であっても病気には勝てない

はいいが

たとえ今からであってもがんばろう

となる。まずこんな言い方はしないが、たとえば

もう遅いかもしれないが
これまではがんばっていなかったが

といった背景では言いそうだ。しかし <今から>が特別のモノのように見える事柄で、しかも、他の一般場合と同じであるという意を表す

とはどういうことか?

<たとえ…であっても>逆接 (譲歩) 仮定語法だ。

たとえ雨であっても、出かける。

だが

たとえ今からであっても、がんばろう

にはこの逆接 (譲歩)がすぐにはないりたたない。

 

一方、デジタル大辞泉 (小学館) では、助詞ではなく接続詞の<でも>の解説がある。

[接]《「それでも」の略》

前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反す内容を導くときに用いる語。にもかかわらず。それでも。しかし。「がんばった。—負けた」「その時風邪ぎみだった。—私は休まなかった」

 これは<逆接>と呼ばれる。これは大いに参考になる。

 

手元の辞典 (三省堂) の副助詞に戻って、2番目を見てみる。

 2.考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす。

1)お茶でも飲もう。
2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。
3)けがでもさせたら大変だ。
4)明日にでも来てもらおう。

<考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす>は、言い方からして、苦心した後の解説だろう。しかし、これまた<お茶>、<木村君>、<けが>、<明日に>のいずれも<考えられる消極的な条件>とは思われない。同じような例がでてくるデジタル大辞泉 (小学館) では、係助詞の<でも>の解説がある。

 [係助]断定の助動詞「だ」の連用形係助詞「も」から》名詞または名詞準じる語、助詞に付く

  物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す。「けが—したら大変だ」「兄に—相談するか」

1)お茶でも飲もう。
2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。
3)けがでもさせたら大変だ。
4)明日にでも来てもらおう。

の例は大体この< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>で何とか間に合いそう。仰々しい<考えられる消極的な条件がともかく成立すりさまを表わす>がむなしく見える。だが< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>は文法的な説明ではない。

お茶でも飲もう。

という言い方については以前に検討したことがある。 さらに似たような例をつくると

ひまなら将棋でも指そう。
今日の午後はひまだから パチンコ屋にでも行ってこよう。

以上いずれも<お茶を飲む>、<将棋をする>、<パチンコ屋に行く>とは限らない。仮定、想定だ。あるいはほかの選択肢を残した言い方で、断定的な言い方ではない。英語や中国語にも似たような言い方ある。

Let's go for drinking some coffee or something.

她也许只是遇到交通堵塞什么的。 
She's probably just stuck in a traffic jam or something. (Collins)

肝心なのは、<でも>が使われる場合、言葉に出す、出さないば別として定、想定、あるいはほかの選択肢があること、だ。

2)こんな時木村君でもいてくれたらなあ。

「兄にでも相談するか」ー デジタル大辞泉 (小学館)

木村君にでも相談してみよう。

必ずしも木村君や兄でなくもいいのだが (他の選択肢がある) 、すくなくとも木村君 (兄) を<思いついて>の発話だ。

3)けがでもさせたら大変だ。

「けがでもしたら大変だ」ー デジタル大辞泉 (小学館)

これは少し難しい。<けが>以外のことは思い浮かんでいない、他の選択肢がない場合の発話と思われる。デジタル大辞泉 (小学館)の< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>でも説明がつかない。

ころばせでもしたら大変だ。
死なせでもしたら大変だ。

これも<ころぶ>、<死ぬ> 以外のことがすぐには思い浮かばない。したがって< 物事をはっきりと言わず一例として挙げる意を表す>では説明がつかない。この<でも>は、<お茶でも飲もう>とは違って、他の選択肢を残しての言い方ではなく、<けがをさせ>、<ころばす>、<死なす>ことが想定されて、言葉にでてきているのだが、その想定から出てくる結果 (大変だ) の印象、度合に違いはないか。 だが<でも>のある / ないで比較してみると

もしけがでもされては大変だ。
もしけがをされては大変だ。

で、<大変だ>の程度に大した違いはない。では想定、仮定の程度に違いはないか。

もし、万が一けがでもさせたら大変だ。
もし、万が一けがをさせたら大変だ。

これもほぼ同じ印象だ。特に違いはない。 あきらめずに、しつこく続ける。

<もし、万が一>に似ている言い方に、口語っぽいが<もしかして>というのがある。

もしかしてけがでもさせたら大変だ。

はまあいいが

もしかしてけがをさせたら大変だ。

はおかしい。

<けがをさせる>とデジタル大辞泉 (小学館) の「けがでもしたら (大変だ)」は違う。<けがでもしたら>で試してみると

もしかしてけがでもしたら大変だ。
もしかしてけがをしたら大変だ。

で同じようなことが言える。 <もしかしてけがをしたら大変だ>はおかしい。

<もし、万が一>と<もしかして>はどこがちがう。これも難しい。<もし、万が一>はやや硬い言い方。これに対し<もしかして>は口語っぽい。さらには<もし、万が一>はどちらかというとか客観的な言い方。<もしかして>はどちらかと言うと、心配した主観的な言い方だ。さらに進めてみると、こらまた比較的新しい口語だが<とか>というのがある。元来<とか>は<Aとか、Bとか、Cとか>といういくつかの例を挙げるときに使う。比較的新しい口語だが<とか>は

昨日の夜電話をしたら、家にいなかったけど、デートとかしていたの?

という言い方だ。この場合<とか>を使っているが、< デート>は念頭にあるが他の選択肢はないと考えられる。したがって、<けがでもさせたら>と同じだ。この<とか>を使ってみると、

けがとかさせたら大変だ。
けがでもさせたら大変だ。

でどちらも問題ない。 この<とか>は手元のかなり古い(20年以上前)辞典 (三省堂)にのっていて<最近に若い人が婉曲に言う場合に使う>と書いてある。この<とか>は今では中年以上の人が使うのを聞いたことがあるので定着しているようだ。おそらく<けがでもさせたら大変だ>の回答はこの辺にありそう。<婉曲に言う>というのは直接的、あからさまに言うのを避けたいいかた。相手の心情を配慮する場合や意識的、無意識的に責任回避するときに使われる。

 

手元のかなり古い辞典 (三省堂) の副助詞に戻って、3番目を見てみる。

3.(不特定の指示語について)消極的な意味で無制限に成立することを表わす。

1)そんなことだれでも知っている。
2)どこへでもついていこう。
3)何年でも待ちましょう。
4)いつでもかまわない。

この説明<消極的な意味で無制限に成立することを表わす>もかなり仰々しくて、よくわからない。言い換えるとどういう意味か。<だれ>、<どこ>、<何 (年) >、<いつ>は不特定の指示語だ。デジタル大辞泉 (小学館)は係助詞の4番目として

 不特定をさす語「なに(なん)」「だれ」「いつ」「どこ」などに付いてすべてのものにあてはまる意を表す。「なん—食べるよ」「だれ—知っている

がある。<すべてのものにあてはまる>が<無制限に成立する>に相当する。<消極的な意味で>という言及はない。<消極的な意味>と<積極的な意味>とはどういうことか。<消極的な意味で無制限に成立することを表わす>があるとすると<積極的な意味では無制限に成立しない (無制限には成立しない) 、しないことがある>ことになる。

そんなことだれでも知っている。

は<消極的な意味で無制限に成立する>ようだ。一方

そんなことだれもが知っている。 

は<積極的な意味で無制限に成立する>になるか。

2)どこへでもついていこう。
3)何年でも待ちましょう。
4)いつでもかまわない。

は<積極的な意味で無制限に成立する>言い方が見つからない。2)3)4)はすでに<積極的な意味で無制限に成立する>言い方ではないか。部分否定は

2)どこへでもついていこう、というわけではない。
3)何年でも待ちましょう、というわけではない。
4)いつでもかまわない、というわけではない。

になるが、これでは<消極的な意味で無制限に成立する>にはならない。

手元の辞典 (三省堂) の副助詞はデジタル大辞泉 (小学館) の係助詞に相当するが、手元の辞典 (三省堂) の副助詞は三つの解説、デジタル大辞泉 (小学館) の係助詞には四つの解説がある。デジタル大辞泉 (小学館)は係助詞でまだとるあげていないのは一番目で

物事一部分挙げて、他の場合はまして、ということ類推させる意を表す。…でさえ。「子供—できる」「昼前気温三〇度ある」

例文の「子供でもできる」を参考にすると、これは手元の辞典 (三省堂) の副助詞では

1.許容される最低の場合を例示する。

1)子供の足でも十分あれば行ける。

に相当する。両方とも一番目にでてくるのでこれが<でも>の代表的な使われ方だろう。

物事一部分挙げて、他の場合はまして、ということ類推させる意を表わす>の<類推させる>は重要でレトリック作用があることになる。これは "レトリック助詞についてー2 <さえ>、<でも>" で書いた。

子供でもできる。(だからおとなはできて当然。)
昼前でも気温が30度ある。(だから午後ではもっと暑くなるだろう。)

カッコ内が強調して言いたいことなのだ。

 デジタル大辞泉 (小学館)で上で取り上げなかったのは

 で‐も

[接]《「それでも」の略》

前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反す内容を導くときに用いる語。にもかかわらず。それでも。しかし。「がんばった。—負けた」「その時風邪ぎみだった。—私は休まなかった」

前述事柄に対して、その弁解反論などをするときに用いる語。しかし。「試験落ちました。—、勉強したんですよ」


 で‐も

連語

【一】格助詞「で」+係助詞「も」》…においても。「これはあの店—売っている」

【二】打消し接続助詞「で」+係助詞「も」。動詞未然形に付く》…なくても。「言わ—のこと」

【一】[接助]接続助詞「ても」が、ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合の形》「ても」に同じ。「死ん死にきれない」「いくら呼ん—返事がない」

 

最後の接続助詞は重要で、意味というか (助詞自体に意味はない) 助詞としての働きは逆接。

上の接続詞<でも>の解説

前の事柄を一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反す内容を導くときに用いる語。にもかかわらず

を参考。 

やっかいなのは<でも>と使われるがこれは音便で、ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合が<でも>でもとは<ても>なのだ。動詞部は東京語では促音便になるのが多い。

会っても 会う
買っても 買う
書いても 書く
行っても 行く
足しても 足す
打っても 打つ
来ても (これは五段活用ではない)
しても (これは五段活用ではない)
売っても 売る 

<それでも>は逆接の接続詞だが。もとは<それ>+<でも>だが、この<でも>は<ても>の濁音化ではない。多分<それ>+<で>+<も>。<で>は断定の助動詞<だ>の連用形。助動詞<だ>に<も>が付いているのがクセモノ。

死んでも死にきれない。(昔は<死にても>)
いくら呼んでも返事がない。 (昔は<呼びても>)

例はいくらでも作れる。

取っても取っても取りきれない
生きていても死んでいるのと同じだ。
いまさら悔やんでももう遅い。

ほぼ無意識で逆接を使っている。 おもしろいというか、大いに参考になりるのは次のデジタル大辞泉 (小学館)の<とも>の文法的な解説だ。

ても

[接助]接続助詞「て」+係助詞「も」から》動詞・形容詞一部助動詞連用形に付く。ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合は「でも」となる。

未成立の事柄仮定条件として述べ、その条件から考えられる順当な結果対立する内容の文へ結びつける意を表す。たとえ…したとしても。「失敗しあきらめはしない」「煮—焼い—食えない

既定的な事柄述べ、その条件から考えられる順当な結果対立する内容の文へ結びつける意を表す。…たにもかかわらず。「知ってい—知らぬ顔をする」

多くにしても」「としても」の形で)ある事柄仮定条件として認めて、下の文の叙述起こす意を表す。「自信があるにし—、試験を受けるのはいやな気分だ」

[補説] 接続助詞としての「ても」は中世以降用いられ近世になると、逆接確定条件を表す助詞「ては」に対応して仮定条件表現する「ても」が話し言葉領域多く用いられるようになり、それが現代語へと引き継がれた。「ても」はこのほか、「なんとしても」「どうしても」「とても」など、多く慣用語つくった

 

 [接助]接続助詞「て」+係助詞「も」から》動詞・形容詞一部助動詞連用形に付く。ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合は「でも」となる。

はすでに紹介したが

接続助詞「て」+係助詞「も」から》の接続助詞の<て>は

動詞の連用形に付いて

行きて ー 行って  <XXに行ってから、<XXに行って、それから>
言いて ー 言って <XXと言ってから>、<XXに言って、それから>
来て ー <ここに来てから>、 <ここに来て、それから>
書いて  ー <書いてから>、 <手紙、Eメールを書いて、送った>

は順接だ。したがって逆接の働きは<も>にある。<も>は大助詞だ。

  未成立の事柄仮定条件として述べ、その条件から考えられる順当な結果対立する内容の文へ結びつける意を表す。たとえ…したとしても。「失敗しあきらめはしない」「煮—焼い—食えない

<その条件から考えられる順当な結果と対立する内容の文へ結びつける意を表わす(働きをする> は二つの段階がある。

1)その条件から考えられる順当な結果を想定する
2)その想定と対立する内容を想定する。

例文

失敗してもあきらめはしない。

― 普通は失敗するとあきらめるが、あきらめない。

煮ても焼いても食べられない。

ー ふつうは煮たり焼いたりすると食べられるが、(これは) 食べられない。

後半部が否定になっているが、前半部が否定の場合は

失敗しなくても反省する。

 ー ふつうは失敗すると反省するが、(彼は)失敗しなくても反省する。

煮たり焼いたりしなくても食べられる。

ー ふつうは煮たり焼いたりしないと食べられないが、(これは) 食べられる。 

相当長くなったので、とりあえずここまで。初めの方で書いた<副助詞と係助詞の違いも検討する予定>は取りやめ、後日検討とする。

 

sptt

 


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