これまで日本語のレトリック助詞をみてきたが、日本語のレトリックはおもしろいので、しばらく続けることにする。このポストは中休みで、非レトリック、非ロジックな表現を取り上げる。
なにが何でもやりとげる。
英語に直訳すると
Even what is whatever I will finish it.
とでもなるか。ふつうは
Whatever happens I will finish it.
No matter what happens I will finish it.
No matter what happens I will finish it.
というだろう。<なにが何でも>は非レトリック、というか非ロジックない方だ。
是非ともやりとげたい。
是非ともこれだけは聞いてほしい。
も非レトリック、というか非ロジックな言い方だが、よく聞く。
是は yes, 非は no、または correct / wrong.、good / bad で、これまた英語に直訳すると
Even yes / no I want to finish it.(please listen to this.)
Even correct / wrong I want to finish it.
Even good / bad I want to finish it.
とでもなるが、ナンセンスなので、言い換えると
Even either yes or no (correct or wrong, good or bad) I want to finish it. (please listen to this.)
No matter whether it becomes yes or no (correct / wrong, , good or bad) I want to finish it.
No matter whether it becomes yes or no (correct / wrong, , good or bad) I want to finish it.
これでもまだ通じにくいだろう。ふつうは
Though (Although) I do now know whether it becomes success or failure I want to finish it.
Though (Although) I do now know whether it is good or bad for you please listen to this.
<是非とも>は<是が非でも>の略というが、<是が非でも>は even yes is no となり、これまた何だかよくわからない。<でも>は別のところで詳しく検討したが、譲歩の働きがある。<是が非でも>は言い換えると
(是が非であることはありえない、のだが)たとえ是が非であっても
(Yes が No であることはありえない、のだが)たとえYes が No であっても
になるが。これがなぜ
何としてでも
何ががあっても
の意になるのか。
(是が非であることはありえない、のだが)たとえ是が非であっても
はこれまた言い換えると
たとえありえないがあったとしても
は<何が起ったとしても>の意にはなる。
< 何が何でも>、<是非とも>はそのままの意味だとまず非ロジックない方、ナンセンスだ。では非レトリックかというと、レトリック助詞で取り上げたが <でも>、<とも>はレトリック助詞といえるので、レトリック的な言い方といえるか。レトリック的な言い方の一つに逆説があり、これは常識、ロジック的な類推とは反対のことを言って。聞きて、読み手の注意をひく言い方だ。
急がば回れ
損して得 (とく) とれ
老子は逆説をよく使っている。
大直若屈,大巧若拙,大辯若訥。
文字どりでは<大いなる真っすぐは屈するがごとし、大いなる巧(たくみ)は拙(つたな)きがごとし、大いなる弁はドモリ、訥弁のごとし>で意味は通じる。このようによ読めば逆説のレトリックが使われていることになる。(その他の解釈もある)
文字どりでは<大いなる真っすぐは屈するがごとし、大いなる巧(たくみ)は拙(つたな)きがごとし、大いなる弁はドモリ、訥弁のごとし>で意味は通じる。このようによ読めば逆説のレトリックが使われていることになる。(その他の解釈もある)
だが上の<何が何でも>、<是非とも>の例文は逆説レトリックの表現ではないが、非ロジックな言い方から、聞き手の注意をひくかもしれない。
いづれにしても<何が何でも>、<是非とも>は外国人泣かせの日本語だろう。
sptt
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