Wednesday, May 8, 2013
形容動詞の分類 - 再考 - 2、漢語由来の形容動詞、戦争と平和、勇気と勇敢、安心と不安
前回のポスト<形容動詞の分類 - 再考>の最後で
”
いづれにしても漢語由来の形容動詞は程度の差こそあれ完全には大和言葉の形容動詞にはなっていないようだ。
"
と書いたので、形容動詞の分類の調査を続けてみる。
まず、<戦争と平和>について調べてみる。<戦争>と<平和>がならんでいるが、無意識のうちに<戦争>、<平和>とも名詞(体言)と見ている。
名詞(体言)として、
戦争は.... 、戦争が(ある) - OK
平和は.... 、平和が(ある) - OK
さて、形容動詞チェックをしてみる。
戦争な - ダメ
平和な - OK
戦争だ
平和だ
これだけでは判定できない。
日本は戦争だ。 - ダメ (形容動詞として) Japan is a war. ではなく Japan is in a war. Japan has a war.
日本は平和だ。 - OK Japan is peaceful. Japan is in peace. Japan has peace.
以上からみると、<平和>が名詞(体言)、形容動詞としてOKで有るのに対して<戦争>は形容動詞になれない。
大和言葉の形容詞の名詞(体言)化語尾<さ>をつけて
戦争さ - まったくダメ
平和さ - おおかたダメ
これは前回のポストで書いたが、
”
中国語は一語、二語(三語のケースはまれのようだ)で語形変化なし(発音も例外はあるが基本的には無変化)で名詞、形容詞、動詞となるとんでもない言語だ。
”
ということに関連する。中国語で<平和>が名詞とも形容詞ともなる(中国語に形容動詞という分類はない)。ただし、ダメではないが、<平和さ>がほとんど使われないので、形容動詞としての大和言葉化が十分ではないといえる。
次に<勇気>と<勇敢>を調べてみる。
名詞(体言)として、
勇気は.... 、勇気が(ある) - OK
勇敢は.... 、勇敢が(ある) - おかしい
形容動詞チェック。
勇気な - ダメ
勇敢な - OK
勇気だ
勇敢だ
これもこれだけでは判定できない。
太郎は勇気だ。 - ダメ (形容動詞として)
太郎は勇敢だ。 - OK
大和言葉の形容詞、形容動詞の名詞(体言)化語尾<さ>をつけてみる。
勇気さ - ダメ
勇敢さ - OK
こう見てくると<勇気>は<戦争>と同じく名詞(体言)で、形容動詞ではない。したがって<さ>がつかない。一方<勇敢>は形容動詞だが<平和>と違って、日本語では名詞(体言)にはなっていない。中国語の融通無碍(ゆうづうむげ)さからするとおかしなことだが、形容詞、形容動詞を日本語の名詞(体言)にするためには名詞(体言)化語尾<さ>をつけて<勇敢さ>としなければならない。融通無碍にも<さ>をつけないとだめだ。日本語では融通無碍の四語は名詞(体言)ではなく、形容動詞の<語幹>なのだ。融通無碍な、融通無碍だ。<融通無碍がある、ない>とは特別の場合をのぞき、日本語では変なのだ。あえて言うなら<融通無碍さがある>(いまいち)、<融通無碍なところがある>。
次に<安心> と<不安>を調べてみる。
形容動詞チェック。
安心な - ダメではないが、少しおかしい。
不安な - OK
安心だ
不安だ
いづれも問題なさそうだが、主語(主題)をつけてみる。
日本は安心だ。
日本は不安だ。
<安心だ>、<不安だ>いづれも形容動詞のようだ。<日本は戦争だ>の<戦争だ>が形容動詞としてダメなのとくらべると、<日本は安心だ>はよさそうだ。<日本は不安だ>の<不安だ>は形容動詞とみていいだろう。
花子は安心だ。
花子は不安だ。
<日本は>の場合の<安心>、<不安>と意味が違ってくる。とりあえず意味の違いは別として<花子は安心だ>の<安心だ>も<花子は不安だ>の<不安だ>も形容動詞とみていいだろう。<安心な日本>、<安心な花子>も変ではない。
形容動詞の名詞(体言)化チェック
安心さは.... 、安心さが(ある) ダメ
不安さは.... 、不安さが(ある) かなりダメ (たいていは<不安>でいいだろう)
名詞(体言)チェックが後回しになったが、
安心は.... 、安心が(ある) - ダメではないが、少しおかしい。
不安は.... 、不安が(ある) - OK
<安心がある>が少しおかしそうだが、どちらも日本語としてダメではない。では
安心が残る。
不安が残る。
はどうか。 <不安が残る>はいいが<安心が残る>はかなりダメだ。<安心>と<不安>はどこがちがうのか?意味が関係してくるのか?
総じて、<不安>が名詞(体言)としても形容動詞としてもかなり日本語化しているのにたいして<安心>は 名詞(体言)と形容動詞の中間あたりをふらついている感じで、<不安>に比べると名詞(体言)としても形容動詞としても日本語化が未熟といえる。
次に<問題>と<課題>を調べてみる。
名詞(体言)として、
問題は.... 、問題が(ある) - OK
課題は.... 、課題が(ある) - OK
いづれもく名詞(体言)としては問題ない。形容動詞としてどうか?
問題な - 条件付きでOK。
課題な - ダメ
条件付きの条件は何かというと、たとえば、<問題な子>と<問題の子>はとこがちがうか?
問題だ。
課題だ。
これだけでは判定できない。
<花子は問題だ>。形容動詞としてOK。ただし、<問題な子>の<問題>の意味で、<問題の子>の<問題>の意味ではない。<花子は問題がある>とも言い換えられるが、この場合、文脈(コンテクスト)により、<花子は問題をもっていいる、かかえている>と解釈できなくはないが、普通は<花子は問題だ>の意だ。
<花子は課題だ>基本的にダメ。一方<花子は課題がある>と言うと、これは特別な文脈(コンテクスト)がない限り<花子は課題をもっていいる、かかえている>と解釈できる。
<問題>は中国語の<問題>もそうだが、日本語の<問題>も英語に比べると意味範囲が広い、という意味内容が絡んでくる。
問題 - problem (trouble に近い問題)、issue (話題に近い問題)、 question (試験の問題、problem が使われる場合もある)。
以上の問題は<問題>の意味が関係しているようだが、<問題>と<課題>をくらべると、<課題>は形容動詞の語幹になれず、(<課題な>と言えない)、名詞(体言)。<問題>は名詞(体言)かつ形容動詞の語幹になり、<問題な>と言えるが、意味は限定されており、<問題の>の意味とは異なる。
形容詞、形容動詞の名詞(体言)化語尾<さ>をつけてみる。
問題さ - ダメ。 トラブルを起こす頻度、大きさ、の意になりそうだが、問題の大きさ、とは言うが、<問題さ>とは言わない。
課題さ - ダメ
ところで、本来<課題>は<問題>が negative な面があるのに対して本来中立な意味あいを
持っていると思うが、本来 negative な面のある<問題>を negative な面を出したくないという意図がはたらいて<課題>を使うことがあるようだ。<大きな赤字の課題をどう解決するか>。英語でも同じような現象があるが、<挑戦(challenge)>を使う。
最後に<元気>、<健康>、<病気>を調べてみる。
名詞(体言)として、
元気は.... 、元気が(ある) - OK
健康は.... 、健康が(ある) - <健康がある>はおかしい。<健康が第一(だ)>はOK。
病気は.... 、病気が(ある) - OK
形容動詞チェック。
元気な - OK
健康な - OK
病気な - ダメ <病気な次郎>はダメで、<病気の次郎>となる。
元気だ - OK
元気だ - OK
病気だ - OKのようだが、<次郎は病気だ>の<病気だ>は形容動詞か。
<病気な次郎>とはいえないので<次郎は病気だ>の<病気だ>は文法上形容動詞ではなさそうだ。しかし、<病気だ>の意味としては(内容は正反対だが)<次郎は元気だ>、<次郎は健康だ>に通ずるものがある。<病気>は<平和>、<不安>、<問題>と同じく名詞(体言)として独立しており、また<平和だ>、<不安だ>、<問題だ>と同じく状態、性質、特徴など、形容詞的な意味を表しており、形容動詞と見ていいようだ。しかし、<病気な>はダメなのだ。
<さ>をつけてみる。
元気さ - OK。元気がある、元気が売り物、と言える。
健康さ - おおかたダメ。健康さある、はダメ。健康さが売り物、と言えるが、普通は健康が売り物、だろう。
病気さ - まったくダメ 。病気さがある、はナンセンス。病気さが欠点、もナンセンス。
元気、健康に比べ<病気>は形容動詞化が進んでいないといえる。
sptt
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