このところ(最近のポストで)複合動詞について、多くは再チェックして書いているが、意外とおもしろい。前回では<xx尽きる>、<xx尽くす>をチェックしたが、次から次と疑問が出てきて、はっきりした結輪がでないまま尽きた。
<xx尽きる>、<xx尽くす>のチェック中に出てきたのだが、同じような複合動詞に<xx飽きる>、<xx飽かす>がある。<xx飽かす>の方は、自動翻訳では往々にして<明かす>が出てくる。<xx飽きる>、<xx飽かす>はこれまた、おもしろい複合動詞のようなので、忘れないうちに、少し詳しく検討することにした。
ーーーーー
簡易ネット翻訳で<飽きる>をインプットすると
( to) get bored
と出てくる。 <飽かす>は
(to) satiate
とあまり見慣れない語がでてくる。get bored の bored は to bear の受身形のようだが
(to) bear
に<飽きさす>の意味がない。 bear - bore - born と受験生泣かせの変な活用をする。
She bore two children.
I was born in the year of xxxx.
調べてみると
(to) bore
という他動詞があり、<飽きさす>という意味、したがって
Math bores me.
で
数学は私を飽かす。
古語調、超翻訳調だが、なんとかなる。
数学は私を飽きさせる。
なら少しいい。
動詞 bore の形容詞は boring で、これはよく聞く。
Math is boring.
が普通のいい方。これを日本語にすると
数学は飽き飽きする。
数学は飽きる。
だが、これは実際には基本的に間違いで
High IQ の生徒ならいいが、普通または普通以下のIQ生徒では、わかりすぎて、簡単すぎて<飽きる>のではない。語源は調べていないが<うんざりする>なら <わかりにくくて嫌になる>の意にもなる。
Math is boring. も<わかりすぎて、簡単すぎて飽きる>の意にも<わかりにくくて嫌になる>の意もあうだろう。
やや詳しいネット辞典でチェックしてみると
飽きる
”
デジタル大辞泉
「飽きる」の意味・読み・例文
あ・きる【飽きる/×厭きる/×倦きる】
[動カ上一]《動詞「あ(飽)く」(
四段)の上一段化。近世後期、
江戸で使われはじめた語》
1 多すぎたり、同じことが長く続いたりして、いやになる。「
勉強に―・きた」「彼の
長話に―・きた」
2 十分に味わったり経験したりして、それ以上欲しくなくなる。「
牛肉を―・きるほど食べたい」
3 動詞の
連用形に付いて、いやになるほど十分に…するの意を表す。「見―・きる」「聞き―・きる」→
飽く”
三番目がこれから検討する複合動詞用法。
<いやになるほど十分に…する>は
十分に…していやになる
でもいいだろう。<いやになる>がキーワードだろう。
ところで、
数学は飽きる。
は文法的におもしろい表現で、この<飽きる>は動詞か?はたまた形容詞?上のネット辞典では形容詞としての解説はでてこない。横道にそれるので、別途検討としておく。
飽かす
”
デジタル大辞泉
「飽かす」の意味・読み・例文・類語
あか・す【飽かす】
[動サ五(四)]
1 (多く「…にあかして」の形で)ありあまっているものを十分に使う。ふんだんに使う。「金と暇に―・して収集する」
2 飽きさせる。「聴衆を―・さない話
”
でやや特殊。 複合動詞用法の説明がない。むしろ複合動詞用法は主ではないか。一方<飽かす>関連で<明かす>もネット辞典でざっとチェックしてみたが、複合動詞用法の説明は見つからなかった。
ということでチェックしてみる。 例によってアイウエオ順に並べてみる。
愛し飽きる 愛し飽かす 愛し明かす
遊び飽 (あ) きる 遊び飽かす 遊び明かす
歩き飽きる (歩き飽かす)
言い飽きる (言い飽かす)
行き飽きる (行き飽かす)
生き飽きる (生き飽かす)
いじめ飽きる いじめ飽かす
いつわり飽きる いつわり飽かす
歌い飽きる (歌い飽かす) 歌い明かす
おどし飽きる おどし飽かす
(悲しみ飽きる) 悲しみ飽かす 悲しみ明かす
書き飽きる (書き飽かす)
考え飽きる (考え飽かす} 考え明かす
聞き飽きる (聞き飽かす)
恋いし飽きる 恋いし飽かす
し飽きる し飽かす し明かす
xxし飽きる xxし飽かす xxし明かす
(例:愛し飽きる 愛し飽かす 愛し明かす)
知り飽きる 知り飽かす 知り明かす
楽しみ飽きる 楽しみ飽かす 楽しみ明かす
食べ飽きる 食べ飽かす (食べ明かす)
立ち飽きる (立ち飽かす) 立ち明かす
取り飽きる 取り飽かす 取り明かす
泣き飽きる (泣き飽かす) 泣き明かす
嘆き飽きる (嘆き飽かす) 嘆き明かす
飲み飽きる 飲み飽かす 飲み明かす
眠り飽きる 眠り飽かす (眠り明かす)
走り飽きる (走り飽かす)
働き飽きる (働き飽かす)
話し飽きる (話し飽かす)
(笛を) 吹き飽きる 吹き飽かす 吹き明かす
(ほらを) 吹き飽きる 吹き飽かす 吹き明かす
学び飽きる (学び飽かす)
見飽きる (見飽かす) 見明かす
やり飽きる やり飽かす やり明かす
読み飽きる 読み飽かす 読み明かす
( 喜び飽きる) 喜び飽かす 喜び明かす
笑い飽きる 笑い飽かす 笑い明かす
(追加予定)
(かっこ)内のものはややおかしい程度、(かっこ)がないものでも<ややおかしい>ものがある。個人差があろう。もう少しチェックしてみる。
<xx飽きる>、<xx飽かす>は<xx尽きる>、<xx尽くす>に似たところがあるが、 <飽きる>、<飽かす>は人の心理状態なので、基本的には人に関連し、モノやコトに関連した表現が見つからない。
基本的には上のネット辞典の定義を使うと< xx飽きる>は<いやになるほど十分にxxする>、(十分にxxしていやになる)。
一方<xx飽かす>は<いやになる>の意は薄く、<十分に、十二分にxxする>の意のようだ。個々に調べてみる。組み合わせとしては
1)自動詞+飽きる
2)自動詞+飽かす
3)他動詞+飽きる
4)他動詞+飽かす
の四つがある。
1)、2)自動詞+飽きる、自動詞+飽かす
遊び飽 (あ) きる 遊び飽かす 遊び明かす
遊び飽 (あ) きる
いやになるほど十分、十二分に遊ぶ。<遊び飽きる>は<自動詞+自動詞>で<遊び飽きる>も自動詞。
遊び飽かす
これも<いやになるほど十分、十二分に遊ぶ> になる。したがって、<飽かす>は<飽きさせる>で使役のようになるが他動詞とすると<遊び飽かす>は<自動詞+他動詞>で、意味としては自動詞になる。ところが、< 遊び飽 きる>と<遊び飽かす>の違いがある。
< 遊び飽 きる>と<遊び飽かす>の違い
遊び飽きる ー いやになるほど十分、十二分に無意思、無意図的に遊ぶ
したがって、<遊び飽きた>は気がついてみたら、いやになるほど十分、十二分に遊んでいた。
遊び飽かす ー いやになるほど十分、十二分に、意思、意図的に遊ぶ 。
したがって、<遊び飽かした>は意思、意図的にいやになるほど十分、十二分に遊んだ。
とでもなる。 問題は<いやになる>で、<いやになる>は大体無意思、無意図にそうなる。したがって、<いやになるほど十分、十二分に、意思、意図的に遊ぶ>はおかしなことだ。
ややこしくなってきたので次。
遊び明かす
は<明かす>と書くと字は違うが<いやになるほど十分、十二分に遊ぶ>で<遊び飽きる><遊び飽かす>とほぼ同様の意味。
<遊びあかす>と書けば、この問題はなくなる。
一方<明かす>は使役のような他動詞だが、<明ける>は自動詞。日が明ける。ややこしくなるが<開ける>、<空ける>は純他動詞。<遊び開ける>、<遊び空ける>はダメ。そうすると<遊び明かす>は変な言い方、書き方になるが、これは後で
<飽かす>と<明かす>の違い
として検討することにして次に進む。
歩き飽きる (歩き飽かす)
歩き飽きる
いやになるほど十分に歩く。
<歩き飽かす>とは言わないだろう。他人を<歩き飽きる>ようにするのは使役で<歩き飽かす>、<歩き飽きさす>となる。だが、自分自身を<歩き飽きる>ようにできないわけではないが、意思、意図的になる。
自分自身を<歩き飽かす>、<歩き飽きさす>
となるが、まずこうは言わない。 ところが不思議なことに<歩き飽かす>は<いやになるほど>がない<十分、十二分歩く>の意味になる。
太郎は10キロの道を歩き飽した。
だが、これは
太郎は10キロの道を歩き明かした。
で<飽きる>が関与しない表現と言える。耳で聞けば
太郎は10キロの道を歩きあかした。
になる。意味としては <歩ききった>。
行き飽きる (行き飽かす)
上の<歩き飽きる、(歩き飽かす)>準じるだろう。したがって
行き飽きる (行き飽かす) 行き明かす
物理的に<どこどこに行く>の場合はこれでよさそうだが、
学校に行き飽きる
だと話は違ってくるだろう。検討省略。
生き飽きる (生き飽かす)
生き飽きる
いやになるほど十分に、十二分に生きる。
でよさそうだが、 <生き飽きて自殺した>となると物騒だ。ここでは<いやになる>が肝心だ。ということは<十分に、十二分に>でなくても<飽きる、いやになる>ことがあるのだ。上の
遊び飽きる
歩き飽きる
行き飽きる
学校に行き飽きる
ということは、冒頭のネット辞典の解説
”
いやになるほど十分に…するの意を表す
”
に疑問がでてくる。
途中で遊び飽きて、遊ぶのをやめた
途中で歩き飽きて、歩くのをやめた
途中で行き飽きて、行くのををやめた
次に進む。
(悲しみ飽きる) 悲しみ飽かす 悲しみ明かす
<いやになるほど十分に悲しむ>ことはないだろう。
悲しみ飽かす
は自動詞。したがって<悲しみ飽きる>と同じになるが、<いやになるほど十分に悲しむ>ことはなく、意味としては <悲しみ尽くす>に似ている。<いやになるほど>がない
十分、十二分に悲しむ
悲しみ明かす(あかす)
でもいいだろう。
楽しみ飽きる 楽しみ飽かす 楽しみ明かす
楽しみ飽きる
<いやになるほど十分に、十二分楽しむ>は可能。楽しいことでも、長く続けていると<いやになる>ことはある。
楽しみ飽かす
< 楽しみ飽きる>と同じようだが、<いやになる>度合いは低い、またはない。したがって
十分に、十二分楽しむ
楽しみ明かす(あかす)
もそのような意味だ。
立ち飽きる (立ち飽かす) 立ち明かす
立ち飽きる
<いやになるほど十分に、十二分に立つ>は可能。小学校の廊下で<立ち飽きる>経験をした人がいよう。<立たされる>のだが<立たされ飽きる>とは言わない。
立ち飽かす
これも<いやになるほど十分に、十二分に立つ>の意は可能。<いやになるほど>のない<十分に、十二分に立つ>も可能だが<長時間、最後まで>という修飾と相性がいい。
立ち明かす (あかす) も同じような意味だ。
泣き飽きる (泣き飽かす) 泣き明かす
<いやになるほど十分に、十二分に泣く>は可能だろ。
泣き飽かす
は<いやになるほど>の感じが薄い。 <十分に、十二分に泣く>。泣き尽くす。
泣き明かす (あかす) も同じような意味だ。
眠り飽きる 眠り飽かす (眠り明かす)
眠り飽きる
<眠る>は 無意識行為なので、<いやになるほど飽きる>の意識は生じないだろう。だが
もう眠り飽きたから、起きる。
とは言いそう。この場合、眠りから覚めてからの発話なので
十分、十二分寝た。
の諧謔的な言い方と見ることもできる。後から出てくるが<飽きる>にはこの諧謔的な言い方がある。すこし前に<あきれかえる>という言い方を何度か取り上げたが、<あきれる>は<飽きる>と関係がありそう。
走り飽きる (走り飽かす)
走り飽きる
いやになるほど十分、十二分に走る。
走り飽かす
あるいは< 走りあかす>と言うのはまれだろう。<いやになるほど>がない
十分、十二分に走る。最後まで走る。走り終える。<走り切る>ほどではないようだ。
走り明かす
は何か変だ。
働き飽きる (働き飽かす)
働き飽きる
いやになるほど十分、十二分に働く。だが、いやになることがなくても<働き飽きる>ことは普通だ。
いやではないが、もう働き飽きたので、少し休む。
いやではないが、もう働き飽きたので、会社を辞める。
働き飽かす
はまれだ。<いやになること>も関係ない。(最後まで)十分、十二分に働く。
働き明かす
もまれだ。
話し飽きる (話し飽かす)
いやになるほど十分、十二分に話す。もう話し飽きた。
話し飽かす
これもまれ。十分、十二分に話す。<話し切る>ほどではないようだ。
話し明かす (あかす)
も同様。 十分、十二分に話す。
だが、<話して明らかにする>、<秘密を話す>の意もあるか。
この失敗は、話し明かせば、太郎がやったことだ。
( 喜び飽きる) 喜び飽かす 喜び明かす
喜び飽きる
いやになるほど十分、十二分に喜ぶ。
でよさそうだが、<喜び飽きた>とはあまり言わない。
<いやになる>と<喜ぶ>は相性が悪いからか?
喜び飽かす
十分、十二分に喜ぶ。<いやになる>と<喜ぶ>は相性が悪いのだが
いやになるほど十分、十二分に喜ぶ、でもよさそう。
諧謔というよりは一種の強調。
喜び明かす (あかす)
十分、十二分に喜ぶ。字面からは<いやになるほど>がない。
笑い飽きる 笑い飽かす 笑い明かす
笑い飽きる
いやになるほど十分、十二分に笑う
も少し変だ。 <いやになる>と<笑う>も相性が悪そう。したがって<いやになるほど>のない
十分、十二分に笑う
だが<もう笑い飽きた>とは 言いそう。これも一種の強調だが、諧謔の意味を持たせることができそう。
笑い飽かす
十分、十二分に笑う。最後まで笑い尽くす。<笑い飽かす>は意思的、意図的で、意思、意図が薄い<最後まで笑い尽きる>は変だ。
3)4)他動詞+飽きる、他動詞+飽かす
愛し飽きる 愛し飽かす 愛し明かす
<愛す>、<愛する>は漢語の<愛>+<す>、<する>で純大和言葉の<動詞+動詞>ではないが、取り上げてみることにした。
愛し飽きる
いやになるほど十分、十二分に愛する
の意にならない。< いやになる>と<愛する>は相性が悪い。
もう愛し飽きた
とすると<飽きて、愛さなくなった>とゆゆしきことになる。 これは<3)他動詞+飽きる>の特徴か?
愛し飽かす
十分、十二分に愛する
<いやになるほど>を強調とすると
いやになるほど十分、十二分に愛する
でもいい。
愛し飽かした
も<飽きて、愛さなくなった>の意にはならない。これも<3)他動詞+飽きる>の特徴か?
愛し明かす (あかす)
十分、十二分に愛する。徹底的に愛する。愛しきる>。場合によっては<最後まで愛し続ける>。
言い飽きる (言い飽かす)
言い飽きる
もうこの忠告は言い飽きた。
もうこの忠告は、いやになるほど十分、十二分に言った。
<小言を言う>では、<言う>は <を>をとるので他動詞。上の<もうこの忠告は言い飽きた>は<を>がないので自動詞か? これは別のポストで検討したが、<言う>は
xxxxと言う、xxxxと言った
という言いが多い。これも<を>がないので自動詞か?
言い飽かす
もうこの忠告は言い飽かした。
とは言わない。
いじめ飽きる いじめ飽かす
いやになるほど十分、十二分にいじめる。
もういじめ飽きたから、いじめるのはやめる。
これはいいことだ。だが<飽きる前にやめる>方がもっといい。言い換えると<いじめ>、<いじめる>はいやになるほどやらないとやめないようだ。<いじめる>は意思的、意図的行為だが、<飽きる>は無意思的、無意図的、自律t的な心理作用だ。はたまた言い換えると、意思的、意図的に<飽きる>ことはないのだ。
いじめ飽かす
は
<飽かす>の意味を生かすとと<飽きるまで、いやになるほど十分、十二分にいじめる>でゆゆしいことだ。
いじめ明かす(あかす)
は、字面からは、<飽かす>の意味はないが<いやになるほど十分、十二分にいじめる>、さらには<いじめきる>。<夜が明ける>まで言及すると
明けても暮れてもいじめ尽くす
とまさにゆゆしき意になるか。
いつわり飽きる いつわり飽かす
いつわり飽きる
いやになるほど十分、十二分にいつわる。
もうつわり飽きたから、いつわりるのはやめる。
はいいことだが、<飽きない>とゆゆしきことになる。
いつわり飽かす
これも<飽かす>の意味を生かすと<飽きるまで、いやになるほど十分、十二分にいつわる、いつわり続ける>でゆゆしぃことだ。さらにゆゆしいのは<飽きるまで>で<飽きないと、いつまでもいつわり続ける>ことになる。これは<いじめ飽かす>も同じだ。
いつわり飽きる いつわり飽かす
は実際あまり使いそうにない。もっと一般的なのは
うそをつき飽きる うそをつき飽かす
試してみると、ほぼ<いつわり飽きる、いつわり飽かす>と同じだ。
歌い飽きる (歌い飽かす) 歌い明かす
歌い飽きる
いやになるほど十分、十二分に歌う。
歌い飽きた。
いやになるほど十分、十二分に歌った。意思、意図がない。
歌い飽かす
<歌い飽きる>とほぼ同じ意味になる。
いやになるほど十分、十二分に歌う。
歌い飽かした。
いやになるほど十分、十二分に歌った。だが、こちらの方は意思、意図がある。
おどし飽きる おどし飽かす
<おどす>も<いじめる>に似たようなところがある。反社会的行為だ。
チェックしてみると、ほぼ<いじめ飽きる、いじめ飽かす>と同じだ。
反社会的行為は同じような解説になるか?
盗む、泥棒をする。物騒だが、殺す、殺人をする。
これは読者にまかせて、次。
書き飽きる (書き飽かす)
書き飽きる
書き飽きた
いやになるほど十分、十二分に書いた。意思、意図がない。多分に (書き飽きて) 書きやめた。
書き飽かす
書き飽かした
いやになるほど十分、十二分に書いた。意思、意図がある。耳で聞いた場合 (かきあかす), <飽きる>の意が薄く、(書き飽きて) 書きやめる、とは限らない。変な言い方だが
書き飽きるまで、書き飽かした。
飽きないと書き続けて、大量に書くることになるが、この場合は
書き明かす (あかす)
で、<飽きる、飽きない>の意識が薄い、もしくはないので、<飽きる、飽きない>は関係なくなる。これが<飽かす>と<明かす>の違いだろう。
考え飽きる (考え飽かす} 考え明かす
考え飽きる
いやになるほど十分、十二分に考える。<考える>には多分に意思、意図があるが、<飽きる>には意思、意図がない。多分に (考え飽きて) 考えやめる。
考え飽かす
いやになるほど十分、十二分に考える。今度は意思、意図がある。
考え明かす
飽きる、飽きないに関係なく、いろいろ、たくさん考える場合を想定すると、
考え明かす (あかす)
でいいだろう。
聞き飽きる (聞き飽かす)
聞き飽きる
いやになるほど十分、十二分に聞く。
<xxを聞く>には意思、意図がある場合とない場合がある。ない場合は普通、自動詞の<聞こえる>が使われ、<xxが聞こえる>。
音楽を聞く
は意思、意図がある。
噂を聞く
は聞こうとして聞く場合が意思、意図があるが、聞こうとする意思、意図がなく<聞こえてくる>場合でも<噂を聞く>、<噂を聞いた>という。
一方<飽きる>には意思、意図がない。<聞き飽きる>は多分に 聞きたくないモノ、コトに飽きて、聞くのをやめる。
実際のところ、特別の場合を除き、音楽や歌は聞きたいから聞くので、
音楽や歌をいやになるほど十分、十二分に聞き、そして<いやになって聞きやめる>
ことはないだろう。<聞きやめる>のは、予期しない電話や用事があった時だ。特別の場合というのは、例えば<好きでない音楽や歌>の場合。小言や苦情も基本的に聞きたくない。聞きたくないものは、強制されて聞くとき以外、聞くことはない。
聞き飽かす
いやになるほど十分、十二分に聞く。今度は意思、意図がある。
実際のところ、特別の場合を除き、音楽や歌は聞きたいから聞くので、
<聞き明かす>は言いそうにない。
恋いし飽きる 恋いし飽かす
これはめったに聞かないが、<愛す>、<愛する>が漢語の<愛>+<す>なので、大和言葉の<恋する>をチェックしてみる。もっとも、<恋する>も<恋+する>のパターンだ。
恋いし飽きる
いやになるほど十分、十二分に恋いする。<恋いする>には意思、意図があるが、<飽きる>には意思、意図がない。多分に (恋いし飽きて) 恋いするのをやめる。
恋いし飽きた
は
いやになるほど十分、十二分に恋した
の意になる。<飽きて、恋さなくなった>とゆゆしきことになる。
恋し飽かす
恋し飽かした
は<飽きて、恋さなくなった>の意にはならない。
ほぼ<愛し飽きる、愛し飽かす>と同じだ。
好き飽きる 好き飽かす
もめったに聞かない。<好き (だ) >は超高頻度使用語だが、<好く>はあまり使わない。
<好 (この) む> も<好く>と同じくあまり使わない。
し飽きる し飽かす し明かす
し飽きる
いやになるほど十分、十二分にする。<する>には多分に意思、意図があるが、<飽きる>には意思、意図がない。多分に (し飽きて) するのをやめる。
し飽かす
いやになるほど十分、十二分にする。今度は意思、意図がある。
(もう)し飽かした
は多分に<飽きた>の意が残っている。
もうそれはし飽かした。だから、もうやらない、やりたくない。これが<飽かす>の原意。すこし横道にそれるが
しでかす、しでかした
という言い方がある。造語構造は似ていて (ほぼ同じ) 、
し(<する>の連用形) + でかす(自動詞<出る、でる>の使役形)
し(<する>の連用形) + あかす(自動詞<飽く、あく>の使役形)
<出る>の使役形には<出さす>があり、これがよく使われ、<出かす>はまれだ。
<飽く>の使役形には<飽きさす>があり、こちらの方が普通、使われ、<飽かす>はまれだ。
違うのは<し出 (で) かす>はあるが<し出さす>はない。一方<飽かす>の方は<し飽かす〉も<し飽きさす>も可能だ。<し飽きさす>は明らかに使役で
花子は太郎に歌い飽きさせた。
一方
花子は太郎に歌い飽かせた。
も可能で<飽きる>の意が残っているともとれるが、 <飽きる>の意が残っていない<明かす>の意も可能だ。つまりは<花子は太郎に歌い明かせた>。もっとも、いずれも耳で聞けば<花子は太郎に歌い明かせた>で同じだ。
<する>は他動詞の代表で、以上のt説明は他の他動詞に応用、敷衍 (ふえん) できるだろう。
知り飽きる 知り飽かす 知り明かす
知り飽きる
いやになるほど十分、十二分に知る。<知る>は認識、認知動詞だが、意思、意図があるとはかぎらない。
知ろうとすれば意思、意図があるが、知ろうとしなくても<知っててしまう>場合には意思、意図がない。<聞く>の場合は。基本的には、意思、意図があれは<聞く>で他動詞。意思、意図が泣けれは<聞こえる>で自動詞。xxが聞こええる。<見る>の場合は、意思、意図があれば<見る>で他動詞。意思、意図が泣けれは<見える>で自動詞。xxが見える。
<xxを知る>は多様で
事件の真相を知る
では知らされて、知る場合が多いだろう。 <聞く>、<見る>では意思、意図がない場合
事件の真相が聞こえる
事件の真相が見える
と自動詞が使われる。
事件の真相を知らされる
という言い方も可能だが、言葉には出てこないが他人が関与している 。<事件の真相を知る>では他人は関与していない、といえる。
嫌なこと、知りたくないことは<容易に、いやになるほど知る>ことがありうるが、知りたいことは<なかなか、いやになるほど知る>にならない。
事件の真相を知る
は基本的には中立だが、知りたい場合と知りたくない場合はありうるだろう。
知りたくない内容の場合は、何度も知る、知らされると
知り飽きる
は
いやになるほど十分、十二分に知る。
知りたい内容の場合は、何度も知る、知らされても
いやになるほど十分、十二分に知る。
になりにくい。<知り飽きる>はややこしい。
知り飽かす
いやになるほど十分、十二分に知る。今度は意思、意図がある。これも<知る内容>によりそうだ。
嫌なことを知る場合
いやになるほど十分、十二分に知る。
で問題ない。<知り飽きる>と同じになる。嫌なことは嫌になりやすい、飽きやすい。
知りたいことを知る場合
いやになるほど十分、十二分に知る。
は
おかしい。<十分、十二分に知る>でいいが、<飽かす>は強調の意があるので<徹底的に知る>。
楽しみ飽きる 楽しみ飽かす 楽しみ明かす
楽しみ飽きる
いやになるほど十分、十二分に楽しむ。意思、意図がない。
楽しみ飽かす
いやになるほど十分、十二分に楽しむ。今度は意思、意図がある。
楽しみ明かす
十分、十二分に楽しむ。飽きる、嫌になる意識はない。意思、意図はあってもなくてもいい。
以上の<楽しみxxx>の説明は簡単で、一般化できる。
食べ飽きる 食べ飽かす (食べ明かす)
食べ飽きる
いやになるほど十分、十二分に楽しむ。意思、意図がない。
食べ飽かす
いやになるほど十分、十二分に楽しむ。今度は意思、意図がある
食べ明かす(あかす)
一晩中食べ明かす。(現実的でない)飽きる、嫌になる意識はない。意思、意図はあってもなくてもいい。
取り飽きる 取り飽かす 取り明かす
<取る>は他動詞の代表の一つだ。目的語がないと一般的すぎる。
<写真をとる>は、書くときは<写真を撮る>と書くようだが、耳で聞いたり、言う時には<写真をとる>で、実際、無意識だが<写真を撮る>ではなく<写真を取る>が頭をかすめるのではないか。
写真を取り飽きる
いやになるほど十分、十二分に写真を取る。<取る>は意思、意図があるが、<飽きる>は意思、意図がない。多分に<写真を取り飽きて、取るのをやめる>。
写真を取り飽かす
ひと昔前はデジタルカメラ、今は携帯電話のカラメで、フイルム代がいらないから<写真を取り飽かす>のは大いに可能だ。
いやになるほど十分、十二分に写真を取る。<飽かす>は他動詞で意思、意図があるが
写真を取り飽かした
は<いやになるほど十分、十二分に写真を取った>で<写真を取り飽きた>と同じような意味になる。多分に<写真を取り飽きるほど取ったが、取るのをやめた>とは限らない。
嘆き飽きる (嘆き飽かす) 嘆き明かす
嘆き飽きる
いやになるほど十分、十二分に嘆く。意思、意図がない。多分に<嘆き飽きて、嘆くのをやめる>。この<やめる>は<を>をとるので他動詞だが、自動詞っぽい。嘆くのがやむ。<嘆く>は<xxを嘆く>で、これまた<を>をとる他動詞だが、自動詞っぽい。<飽きる>は自動詞なので<嘆き飽きる>は自動詞。したがって<嘆くのがやむ>、<嘆くのがやまる>が正しい。
嘆き飽かす
いやになるほど十分、十二分に嘆く。意思、意図がある。多分に< 嘆き飽かして、嘆くのをやめる>。<飽かす>は他動詞だが、意味的には<いやになるほど十分、十二分に嘆く>で、<嘆き飽きる>と同じになる。だが、<嘆き飽かす>には意思、意図がある。
嘆き明かす (あかす)
飽きる、飽きないに関係なく十分、十二分に、徹底的に嘆く。
朝まで 嘆き明かした
だと、<夜が明けるまで嘆き続けた>になりそう。
飲み飽きる 飲み飽かす 飲み明かす
<食べ飽きる、飽かす>に準じる。
飲み飽きる
いやになるほど十分、十二分に飲む。意思、意図がない。
飲み飽かす
いやになるほど十分、十二分に飲む。今度は意思、意図がある
飲み明かす(あかす)
一晩中、徹底的に、飲み明かす。飽きる、嫌になる意識はない。意思、意図はあってもなくてもいい。
(笛を) 吹き飽きる 吹き飽かす 吹き明かす
吹き飽きる
いやになるほど十分、十二分に笛を吹く。意思、意図がない。<吹き飽きた>だと、多分に<飽きて吹きやめた>。
吹き飽かす
いやになるほど十分、十二分に笛を吹く。今度は意思、意図がある
吹き明かす(あかす)
一晩中、徹底的に、吹き明かす。(あまり現実的でない)飽きる、嫌になる意識はない。意思、意図はあってもなくてもいい。
(ほらを) 吹き飽きる 吹き飽かす 吹き明かす
ほらを吹き飽きる
いやになるほど十分、十二分にほらを吹く。意思、意図がない。<ほらを吹き飽きた>だと、多分に<飽きてほらを吹きやめた>。
ほらを吹き飽かす
いやになるほど十分、十二分にほらをを吹く。今度は意思、意図がある。<ほらを吹き飽かした>は、多分に<ほらを吹きやめなかった>。
吹き明かす(あかす)
徹底的に、ほらを吹きまくる。飽きる、嫌になる意識はない。意思、意図はあってもなくてもいい。耳で聞く<ほらを吹きあかす>は<ほらを吹き飽かす>と区別はないと、いっていい。
学び飽きる (学び飽かす)
学び飽きる
いやになるほど十分、十二分に学ぶ。意思、意図がない。多分に<学び飽きて、学びやめる>。
学び飽かす
いやになるほど十分、十二分に学ぶ。今度は意思、意図がある。多分に<学び飽きずに、学び続ける>。
学び飽かした
多分に学び飽ずに、学び続けた。
学び明かす(あかす)
飽きる、嫌になる意識はない。徹底的に、懸命に学ぶ。主体は意思、意図があるが、他人から見て意思、意図はあってもなくてもいい。
見飽きる (見飽かす) 見明かす
見飽きる
いやになるほど十分、十二分に見る。意思、意図がない。多分に<見飽きて、見るのをやめる>。
見飽かす
いやになるほど十分、十二分に見る。今度は意思、意図がある。多分に<見飽きずに、見続ける>。
見飽かした
多分に見飽きずに、見続けた。あるいは<徹底的に、飽きるまで見た>。
見明かす (あかす)
徹底的に見る。 <見飽かす>とほぼ同じ。
<見明かす>は別の意味がある。
見て明らかにする。
明智探偵はその謎を見明かした。明智探偵はその謎は明智探偵に見明かされた。
やり飽きる やり飽かす やり明かす
<し飽きる し飽かす し明かす>に準じるだろう>。具体的な例
悪事をやり飽きる 悪事をやり飽かす 悪事をやり明かす
をチェックしみる。
悪事をやり飽きる
いやになるほど十分、十二分に悪事をやる。<悪事をやる>は意思、意図があるが、<悪事をやり飽きる>意思、意図がない。多分に<やり飽きて、悪事をやるのをやめる>。これは<いじめ>と同じで悪くないことだ。
悪事をやり飽かす
これはよくない。 いやになるほど十分、十二分に悪事をやる。<悪事をやる>には意思、意図があり、<やり飽かす>にも意思、意図がある。多分に<やり飽きずに、悪事をやるのをやめない>。
悪事をやり明かす(あかす)
徹底的にに悪事をやる。<悪事をやり飽かす>と同じような意味だ。
<やる>は<擦る>以外に
やる = 与える
やる = (人) を遣る
があるが、省略。
読み飽きる 読み飽かす 読み明かす
読み飽きる
いやになるほど十分、十二分に読む。意思、意図がない。多分に<読み飽きて、読むのをやめる>。
読み飽かす
いやになるほど十分、十二分に読む。今度は意思、意図がある。
読み明かす (あかす)
飽きる、飽きないに関係なく十分、十二分に、徹底的に読む。
読み明かした (あかした)
これは<読み終えた>の意がある。
<読み明かす>は別の意味がある。
読んで明らかにする。
明智探偵はその暗号を読み明かした。この場合<読む>はじっくりチェックする、考える、と言った意味だ。将棋や囲碁ではこの<読む、読み>が活躍する。
<飽かす>と<明かす>の違い
繰り返しになるが、上で
”
書き飽かす
(中略)
飽きないと書き続けて、大量に書くることになるが、この場合は
書き明かす (あかす)
で、<飽きる、飽きない>の意識が薄い、もしくはないので、<飽きる、飽きない>は関係なくなる。これが<飽かす>と<明かす>の違いだろう。
(中略)
考え明かす
飽きる、飽きないに関係なく、いろいろ、たくさん考える場合を想定すると、
考え明かす (あかす)
でいいだろう。
”
と書いた。さらに<し飽きる し飽かす し明かす>で
”
(中略)
(もう)し飽かした
は多分に<飽きた>の意が残っている。
もうそれはし飽かした。だから、もうやらない、やりたくない。これが<飽かす>の原意。
(中略)
一方<飽かす>の方は<し飽かす〉も<し飽きさす>も可能だ。<し飽きさす>は明らかに使役で
花子は太郎に歌い飽きさせた。
一方
花子は太郎に歌い飽かせた。
も可能で<飽きる>の意が残っているともとれるが、 <飽きる>の意が残っていない<明かす>の意も可能だ。つまりは<花子は太郎に歌い明かせた>。もっとも、いずれも耳で聞けば<花子は太郎に歌い明かせた>で同じだ。
<する>は他動詞の代表で、以上のt説明は他の他動詞に応用、敷衍 (ふえん) できるだろう。
”
と書いた。
<飽かす>と<明かす>の違いは微妙なところがあるが、耳できけば<あかす>で同じだ。<明かす>に<飽きるほど>の意はない。
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