前回のポスト<飽きる、飽かす(明かす)>の初めの方で
”
調べてみると
(to) bore
という他動詞があり、<飽きさす>という意味、したがって
Math bores me.
で
数学は私を飽かす。
古語調、超翻訳調だが、なんとかなる。
数学は私を飽きさせる。
なら少しいい。
動詞 bore の形容詞は boring で、これはよく聞く。
Math is boring.
が普通のいい方。これを日本語にすると
数学は飽き飽きする。
数学は飽きる。
”
と書いた。特に気をつけて書いたわけではないが、後から<数学は飽きる> がかなり特殊な言い方であることに気がついた。
数学は飽き飽きする。
数学はうんざりする。
の方が<数学は飽きる>より普通のようだが、上の二つは
数学には飽き飽きする。
数学にはうんざりする。 (<うんざり>の語源は諸説ある)
の方がもっと普通ではないか。一方
数学には飽きる。
はやや変だ。
数学は飽き飽きする。
数学はうんざりする。
は一般叙述で、実際の発話場面は個人的な嘆きのようで
私は数学には飽き飽きする。
私は数学にはうんざりする。
がフル文のようだ。<私は>は多くは省略される。
文脈としては
私は、数学に、飽き飽きする。
私は、数学に、うんざりする。
<飽き飽きする>、<うんざりする>のは<私>だ。
<に>がない
私は数学は飽き飽きする。
私は数学はうんざりする。
とはまず言わない。 それでは<私は>にない
数学は飽き飽きする。
数学はうんざりする。
の場合<飽き飽きする>、<うんざりする> は何か?
一見、形容詞のようで
数学はおもしろくない。
数学はつままらない。
相当だが、<する>があるので動詞だ。
数学が飽き飽きする。
数学がうんざりする。
とは言わないが、<を>を取らない、取れないので、<飽き飽きする>、<うんざりする>は自動詞だ。このような自動詞の使い方は、英語にもある.。
These apples sell well. これらの(ここにある)リンゴはよく売れる。
This car runs well. この車はよく走る。
数学は飽き飽きする。
の場合、英語では、初めに書いたように、普通
Math is boring.
で、動詞 to bore 由来の形容詞 boring が使われる。動詞由来、かつ動名詞形なので<飽きさせる>の意が残っているが、形容詞扱いだ。
さて<数学は飽きる>だが、<数学は飽きる>は一般叙述。人をからませると
私は数学に飽きる。
で
私は数学は飽きる。
とはいわない。
私は、数学に、飽き飽きする。
私は、数学に、うんざりする。
と同じだ。違いは<飽き飽き+する>、<うんざり+する>と複合動詞的なの対して<飽きる>は単独動詞であることだ。
数学は飽き飽きだ。
数学はうんざりだ。
ともいえるが、これも<飽き飽き+だ>、<うんざり+だ>と複合動詞的だ。
もっとも、<だ>のない
数学は飽き飽き。
数学はうんざり。
ともいえ、この場合は<動詞性>がなくなる。これからしても<飽きる>は特殊だ。
数学は飽き。
とは言えない。あくまで<動詞>として使われる。 <飽きる>の仲間は、少し調べた限りでは、きわめて少ない。
数学は飽きる。
太郎は数学に飽きる。
もっと一般的に
勉強は飽きる。
太郎は勉強に飽きる。
<飽きる>以外をさがしてみたが
仕事は疲れる。
花子は仕事に疲れる。
の<疲れる>しか見つからない。<くたびれる>もほぼ同じ。
(継続チェック予定)
<困る>が候補。 同じような意味で<弱 (よわ) る>がある。
次郎は金に困る。
と言えるが
金は困る。
変だ。
次郎は金がないのに困る。
金がないのは困る。
はいいが、<金がないのは困る>は
勉強は飽きる。
と文構造が違う。
いじめは困る。
次郎はいじめに困る。
はよさそう。
ニュアンスが弱いが
酒は溺 (おぼ) れる。 (アル中)三郎は酒に溺(おぼ) れる。
<飽きる>、<疲れる>、<困る>、<溺れる>はみな独立自動詞。なぜか否定的、悲観的な意味が濃い。
sptt
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