Tuesday, November 26, 2024

<勉強は飽きる>は正しい日本語か?

 

前回のポスト<飽きる、飽かす(明かす)>の初めの方で


調べてみると

(to) bore

という他動詞があり、<飽きさす>という意味、したがって

Math bores me.

数学は私を飽かす。

古語調、超翻訳調だが、なんとかなる。

数学は私を飽きさせる。

なら少しいい。

動詞 bore の形容詞は boring で、これはよく聞く。

Math is boring.

が普通のいい方。これを日本語にすると

数学は飽き飽きする。
数学は飽きる。

と書いた。特に気をつけて書いたわけではないが、後から<数学は飽きる> がかなり特殊な言い方であることに気がついた。

数学は飽き飽きする。
数学はうんざりする。 

の方が<数学は飽きる>より普通のようだが、上の二つは

数学は飽き飽きする。
数学はうんざりする。 (<うんざり>の語源は諸説ある)

の方がもっと普通ではないか。一方

数学には飽きる。

はやや変だ。

数学は飽き飽きする。
数学はうんざりする。 

は一般叙述で、実際の発話場面は個人的な嘆きのようで

私は数学には飽き飽きする。
私は数学にはうんざりする。 

がフル文のようだ。<私は>は多くは省略される。

文脈としては

私は、数学に、飽き飽きする。
私は、数学に、うんざりする。

<飽き飽きする>、<うんざりする>のは<私>だ。

<に>がない

私は数学は飽き飽きする。
私は数学はうんざりする。

とはまず言わない。  それでは<私は>にない

数学は飽き飽きする。
数学はうんざりする。 

の場合<飽き飽きする>、<うんざりする> は何か?

一見、形容詞のようで

数学はおもしろくない。
数学はつままらない。

相当だが、<する>があるので動詞だ。 

数学が飽き飽きする。
数学がうんざりする。 

とは言わないが、<を>を取らない、取れないので、<飽き飽きする>、<うんざりする>は自動詞だ。このような自動詞の使い方は、英語にもある.。

These apples sell well.  これらの(ここにある)リンゴはよく売れる。
This car runs well.  この車はよく走る。

数学は飽き飽きする。

の場合、英語では、初めに書いたように、普通

Math is boring.

で、動詞 to bore 由来の形容詞 boring が使われる。動詞由来、かつ動名詞形なので<飽きさせる>の意が残っているが、形容詞扱いだ。

さて<数学は飽きる>だが、<数学は飽きる>は一般叙述。人をからませると

私は数学に飽きる。

私は数学は飽きる。

とはいわない。

私は、数学に、飽き飽きする。
私は、数学に、うんざりする。

と同じだ。違いは<飽き飽き+する>、<うんざり+する>と複合動詞的なの対して<飽きる>は単独動詞であることだ。

数学は飽き飽きだ。
数学はうんざりだ。  

ともいえるが、これも<飽き飽き+だ>、<うんざり+だ>と複合動詞的だ。

もっとも、<だ>のない

数学は飽き飽き。
数学はうんざり。

ともいえ、この場合は<動詞性>がなくなる。これからしても<飽きる>は特殊だ。

 数学は飽き。

とは言えない。あくまで<動詞>として使われる。 <飽きる>の仲間は、少し調べた限りでは、きわめて少ない。

数学は飽きる。
太郎は数学に飽きる。

もっと一般的に

勉強は飽きる。
太郎は勉強に飽きる。

<飽きる>以外をさがしてみたが

仕事は疲れる。
花子は仕事に疲れる。

の<疲れる>しか見つからない。<くたびれる>もほぼ同じ。

(継続チェック予定)

<困る>が候補。 同じような意味で<弱 (よわ) る>がある。

次郎は金に困る。 

と言えるが

金は困る。

変だ。

次郎は金がないのに困る。
金がないのは困る。

はいいが、<金がないのは困る>は

勉強は飽きる。

と文構造が違う。

いじめは困る。
次郎はいじめに困る。

はよさそう。

ニュアンスが弱いが

酒は溺 (おぼ) れる。 (アル中)
三郎は酒に溺(おぼ) れる。

<飽きる>、<疲れる>、<困る>、<溺れる>はみな独立自動詞。なぜか否定的、悲観的な意味が濃い。


sptt


 

 

 


 

 

 

 

 

 

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