古語<飽く>は自動詞か、はたまた他動詞か。
現代語では<太郎は勉強に飽きる>で自動詞。これはいいのだが、<飽きる>の他動詞は何か?
<飽かす>というのがあるが、他動詞というよりは自動詞<飽きる>の使役形だろう。
花子は太郎を勉強に飽かす。
で使役になるが
花子は太郎を勉強に飽きさす。花子は太郎を勉強に飽きさせる。
花子は太郎を勉強に飽かせる
花子は太郎を勉強に飽かさせる
も可能だ。
という言い方もあり、こちらの方を使いそう。 いずれにしても、こういう言い方は翻訳調だ。<飽かす>が<飽きる>の使役形とすると<飽かせる>、<飽かさせる>は使役形の使役形ということになる。文法用語にはないが、redundancy (冗長) 用法だ。
問題は<飽かす>で、単独用法として、ネット辞典では
デジタル大辞泉 「飽かす」の意味・読み・例文・類語
あか・す【飽かす】
[動サ五(四)]
1 (多く「…にあかして」の形で)ありあまっているものを十分に使う。ふんだんに使う。「金と暇に―・して収集する」
2 飽きさせる。「聴衆を―・さない話
”
でやや特殊。
金を飽かす ー ありあまっている金を十分に使う。ふんだんに使う暇を飽かす ー ありあまっている暇を十分に使う。ふんだんに使う
となりそうだが、例文は
金に飽かす、暇に飽かす
で、これだけでは<を>ではなくに>をとるので<飽かす>は他動詞ではなく、自動詞となる。だが短文にすると
太郎は金に飽かして収集する。(暇は省略)
となるが、
主文は
太郎は収集する。
で<金に飽かして>が修飾句だ。 だが<飽かす>のは太郎で、そうすると<飽かす>は他動詞のように見える。繰り返しになるが
金に飽かして
で、<を>ではなく<に>をとる。一方<飽きる>は自動詞で
太郎は金に飽きる。
で問題ない。
太郎は金に飽かして収集する。
<収集する>は他動詞なので不完全。
太郎は金に飽かして骨董品を収集する。
で不完全でなくなる。しかし<金に飽かして>の<飽かす>は他動詞っぽい。<に>にこだわって自動h詞<飽きる>を使うと
太郎は金に飽きて、骨董品を収集する。
で、意味内容は完全に違ってくる。 <飽かして>はいったい何だ? <飽かして>の意を汲み取ると
太郎はわが身 (自分自身) を金に飽かして骨董品を収集する。
太郎は金に飽かして、骨董品を収集する。
では言葉に出てこないが
<わが身 (自分自身) を> が内包されている (implicit ) と見れば、この問題は解決する。そして<わが身 (自分自身) を>と<を>を取るので、<飽かす>は他動詞だ。
こうすると、冒頭にネット辞典の解説
”
あか・す【飽かす】
[動サ五(四)]
1 (多く「…にあかして」の形で)ありあまっているものを十分に使う。ふんだんに使う。「金と暇に―・して収集する」
2 飽きさせる。「聴衆を―・さない話
”
とまったく違った解釈になる。
では、一体この<わが身 (自分自身) を飽かす>はどういう意味か?
わが身 (自分自身) を飽きさせる
が原意のようだが
わが身 (自分自身) を金に飽きさせては、金はたまらず、高価な骨董品は暇がっても買えない。
わが身 (自分自身) を金に飽かす
は<金は飽きるほどたくさんあって、飽きるほど使う>という意味だろう。
簡易ネット翻訳で<飽きる>をインプットすると
( to) get bored
と出てくる。 <飽かす>は
(to) satiate
とあまり見慣れない語がでてくる。これを利用すると
太郎は金に飽かして、骨董品を収集する。
は
Taro satiates himself in his abundant money to collect antiques.
とでもなるが、himself は二音節の一語。日本語の方は<わが身 (自分自身) を>で相当長く、わずらわしい。
sptt
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