<This is s pen. >は昔(今もそうか)は中学校一年の英語の教科書の始めか初めの方にでてくるので印象に残る。おそらく日本人なら誰でもなじみがあるだろう。日本での英文の代表といえる。英語の教科書は英語しか書いてなく、日本語訳や日本語の解説はない。そこで英語教師が出てきて、日本語で説明することになる。
This is a pen.
これはペンです。
となるのだが、分解してみると
This = これ
is = は
a - 不定冠詞
pen - ペン
となる。 一番やっかいなのは<a - 不定冠詞>で、不定冠詞は日本語にないので<これはペンです>にはない。<a >をしいて訳せば<これは(ある不特定の)一本のペンです>となるが、自然な日本語にするためか<ある不特定の>のも <一本の>のもない<これはペンです>に落ち着く。英文和訳のテストではこれでマルがもらえるだろう。もちろん<これはある不特定の一本のペンです>でも、日本語らしくないが、正確な日本語訳として、マルがもらえるだろう。
次の大きな問題は
is = は
だ。<is>が be動詞の三人称単数形の現在形。 be動詞は
一人称単数形、現在形 (I)am
ニ人称単数形、現在形 (You)are
三人称単数形、現在形 (He / She)is <it>も三人称単数形で It is
一人称複数形、現在形 (We)are
ニ人称複数形、現在形 (You)are
三人称複数形、現在形 (They)are
過去形省略
と特殊な変化をするが、とにかく<動詞>であることにはかわりない。 一方相当語の<は>は動詞ではなく<単なる>助詞だ。
is (動詞)= は(助詞)
ではない。さらに一方日本語の<です>はもとの英文<This is s pen. >に対応語がない。
is = です
のようにも見える。だが<です>は断定の助動詞<だ>の丁寧(ていねい)語版で
is (動詞)= です(助動詞)
となり、これまた正しくない。 助動詞<だ>、<です>は議論のあるところで、英語の助動詞とはちがって<ペン>のような体言(名詞)に直接つく。ふつうの助動詞は、英語の助動詞のように動詞につくが、この<だ>、<です>は
行(い)くだ、行くです
食べるだ、食べるです
は間違い。
さてこのポストのタイトルは<これはペンです>に動詞はないのか?
結論からいうと
<これはペンです>に助詞、助動詞はあるが<動詞>はない。
文に<動詞>がなくてもいいのか。日本語では<動詞>がなくても文は成り立つ。
太郎だ。
今は五月だ。
英語でも<動詞>のない文はあるだろうが、基本的に動詞が必要のようで。
Look, that's is Taro.
It's May now.
いづれも<is>が使われている。だがこれはむしろ英語の特徴と言えるようで、たしかロシア語も日本語に似たようなところがあったような記憶がある。
さて今回はロシア語ではなくイタリア語と中国語で検討してみる。これは最近たまたまイタリア語のbe動詞 essere の語源を調べたことから始まっている。なぜ essere の語源を調べたかというと、これまたたたたま、別の英語の to exist の相当語 esistere の関連で essere を調べたためだ。
一番くわしいのはTreccani bocabolario で語源の説明もある。
出だしの部分をコピー / ペイストすると
èssere1 v. intr. [lat. esse (volg. *essĕre), pres. sum,
volg. *essĕre は俗ラテン語でかなり古い<イタリア語>だろう。
sum はデカルトの Cogito, ergo sum. (われ思う、ゆえに我あり)という有名な言葉がある。 英語版は I think, therefore I am. Cogito, ergo sum. はあとでまたでてくるが、哲学は別として文法上、さらには言語上、検討する価値がある。
注目すべきは次で
da una radice *es-, *s- che ricorre anche nel sanscr. ásti «egli è», gr. ἐστί, osco est,
何を言っているのかというと
sanscr. ásti «egli è»,
はサンスクリット語で ásti = egli è
egli è は現代イタリア語で
egli =he (人称代名詞)、 è = is
したがって サンスクリット語で ásti = egli è = he is
なのだ。言い換えると ásti の一語のなかに he と is が含まれている、ということだ。現代イタリア語では人称代名詞が省かれるので<è > ということになる。堂々巡りでわけがわからなくなりかけているが、ここで言いたいのは、繰り返しになるが
サンスクリット語で ásti = egli è = he is
さらに一般化して<he = it>とすると
サンスクリット語で ásti = it is. <it is>は<これは>に近い。だがこれはまやかし論議のようだ。というのはásti = egli è = è で ásti に egli の意味はあるが、語には現れていない、だろうからだ。
<まやかし>でなさそうなのは中国語で、現代中国語の be動詞、または<is>相当の語は<是(shi)>だが、ワープロで<kore>と入力すると<これ>-><是>が出てくる。 これは理由があり、<是(shi)>は古くは<これ>の意味で使われていたのだ。あるいは<これは>だが、中国には基本的に助詞はない。
Wiki
康熙字典 《辰集上》《日部》 是
〔古文〕𣆞《唐韻》承紙切《集韻》《韻會》上紙切,𠀤音姼。《說文》作昰。直也。从日正。《釋名》是,嗜也,人嗜樂之也。《玉篇》是,是非也。《禮·曲禮》夫禮者,所以定親疎、決嫌疑、別同異、明是非也。 又《博雅》是,此也。(以下略)
《玉篇》是,是非也
は<是は是非(ぜひ)のことなり>という意味だろう。<,>は日本語の<は>に相当するか?
<是,此也>を参考にすると
これペン(なり、だ、です)。
という言い方なのだ。これは<是>あるいは<是,>が<this is>を意味していたことになり、上のサンスクリット語で ásti に通ずるものがある。中国語の<也>は断定の修辞語尾と言えそう。
以上から、
<これはペンです>に動詞はないのか?
のもう一つの回答は<これはペンです>の<これは>が英語の be 動詞、イタリア語の動詞 essere 、中国語の<是>に相当する、というものだ。 be 動詞、 essere、<是> はcopula とよばれる動詞、または日本語、ロシア語からすれば<半>動詞だ。一方完全な動詞は to exist だ。
結論が出たように見えるが、まだ続く。文は短いが根は深い。似たような表現で
これはペンである。
はどうか?
<ある>は動詞だ。<ある>は存在を示す動詞で
ここにペンがある。(Here is a pen.)
なら存在を示す。<これはペンである>はペンが存在しないとなりたたないが、ペンの存在を言っているわけではない。なにを言ってるのかというと
これ = ペン
だろう。この意味はどこから来ているかというと<である>から来ているように見えるが、<である>のない
これはペン。
で
これ = ペン
の意は伝えらえる。<である>はおまけだ。
吾輩は猫である。
吾輩は猫。
<で>は上の断定の助動詞<だ>の連用形と見なせる。連用形は動詞につく。
で(<だ>の連用形) + ある(動詞)
だが
行くである
食べるである
とはいわずに
行くのである
食べるのである
という。<ある>自体が特殊な動詞なのだ。意味としては<である>で断定に近い意味がありそう。そして<である>は助動詞にはなってないが、
である (de-a-ru)->だる(d(e)a-ru)->だ(da)
も考えられる。もともと断定の助動詞<だ>はなにがなんだかわからないのだ。最後の<のだ>も検討の余地がある。
似たような<たり>は<断定の助動詞>だが古語、書面語。しかし<たり>よりも別の<断定の助動詞><なり>が優勢だ。話が横道にそれて行きそうなので、この論議はここでやめるが<ある>は大いに関連がある。
追加
Treccani bocabolario の essere の詳しい解説を見てみる。これはWiki の<copula>の解説以上に参考になる。
gr. ἐστί, osco est, ant. slavo jestŭ, ecc.
gr. = Greek
ἐστί
Wiki
From Proto-Indo-European *h₁ésti. Cognate with Sanskrit अस्ति (ásti), Latin est,
と同じようなことが書いてある。
osco = Oscan 古いイタリアの地域の言葉。Osco-Umbria
a group of ancient Italic languages including Oscan and Umbrian, spoken
in Italy in the 1st millennium BC, before the emergence of Latin as a
standard language. (Wiki) とある。
ant. slavo =antique Salve (スラブ語)
il perf. fui da una radice *bhū- che ricorre nel sanscr. ábhūt «egli è stato», gr. ἔϕυ «è nato», ecc.]
il perf. (文法用語)=perfetto で完全過去。<es-、s->と<f>は発音上まったく関係がない。
pres. (現在形) sóno, sèi, è, siamo [ant. o region. sémo], siète [ant. sète], sóno [ant. o region. ènno];
imperf. (不完全過去) èro [ant. o letter. èra], èri, èra, eravamo, eravate, èrano;
pass. rem. (遠過去) fui, fósti [ant. fusti], fu [radd. sint.], fummo, fóste [ant. fuste], fùrono [ant. furo, fòro e fuòro];
fut. (未来) sarò, sarài, sarà [ant. fia e fie], sarémo, saréte, saranno [ant. fìano e fìeno];
condiz. (条件法)sarèi [ant. sarìa e fòra], sarésti, sarèbbe [ant. sarìa e fòra], ecc.;
cong. (接続法) pres. sia ... siamo, siate, sìano [o sìeno];
cong. imperf. (接続法不完全過去 fóssi [ant. fussi], ecc.;
imperat. (命令法) sii, siate; part. pres., raro, essènte;
part. pass. (過去分詞)stato [ant. essuto e suto];
ger. (ジェランド)essèndo [ant. sèndo].
以上は essere の語尾変化だが、語尾だけでなく語幹も<s>と<f (不完全過去)>が混ざっていて統一がとれていない。これにはわけがあるはずだが、ここでは詮索しない。
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I tempi composti si coniugano con l’aus. essere:
sono stato, ecc.).
英語で言う過去完了や受身で to have やto be が使われるがイタリア語の場合、過去完了は動詞により avere (to have) と essere (to be) をとるものがある。essere は essere をとる、と言うこと。
以上は文法上重要だが、今回の論議ではこれ以下が肝心。
È la parola che ricorre più frequente nel discorso e la più necessaria
all’espressione del pensiero. Differisce da tutti gli altri verbi perché
nel suo uso assoluto non «determina» il soggetto ma soltanto lo «pone»
come esistente; usato come copula o come ausiliare, compie solo la
funzione di introdurre il predicato nominale o verbale; non è perciò
mai, a rigore, un vero «predicato»
冒頭の<È>の主語は示されていないが、主語は essere だ。この<主語は essere だ>は日本語的な言い方で、<主語が essere だ>ではダメなのだ。<は>は主格を示す<格助詞>ではなく<主題>を示す<係り助詞>。したがって正確には<<主題は essere だ>。主語と主題の違いを明確にしないといけないのだが<が>と<は>に違いの論議はゴマンとある。この<が>と<は>に違いドロ沼論議には別にふれるとして話を進める。<冒頭の<È>の主語は示されていない>のに essere が主語(主題)だと言えるのは文脈による。
È la parola che ricorre
は<それ(essere)>は言葉(la palore)で、それはxxx>
という意味。che はイタリア語の関係代名詞で、英語の which 相当。 英語もイタリア語も関係代名詞がわかるだけででなく、意識せずに自然に使えるようになれば外国語習得度はそこそのレベルに達したとえる。
ricorre <- ricorrere = to recur で文字通りでは<繰り返し走る(おこる)>で自動詞。つづく che 以下の
più frequente nel discorso e la più necessaria
all’espressione del pensiero.
は
(日常)会話のなかで最も頻繁に、そして考えといることの表現に一番必要である
と言う意味で、これが che の前にある言葉(la parola)を修飾している。-関係代名詞構文。
日本語らしく、この修飾部を前にもっていくと
essere は会話のなかで最も頻繁に使われ、そして考えていることの表現に一番必要である言葉だ。
とでもなる。とにかく essere は重要語なのだ。前の論議にもどると、日本語ではこの重要語(動詞)がない、ということになる。
<考えていることの表現に一番必要である言葉>からすると
Cogito, ergo sum. は哲学以外にある意味をもってくる。次
Differisce da tutti gli altri verbi perché nel suo uso assoluto non
«determina» il soggetto ma soltanto lo «pone» come esistente; usato come
copula o come ausiliare, compie solo la funzione di introdurre il
predicato nominale o verbale; non è perciò mai, a rigore, un vero
«predicato».
ここの冒頭は essere が他の動詞と違うことをいっている。どこが違うかというと、
essere の純用法では主語が決定されず、存在(あること)を示す、copula あるいは ausiliare(後で解説)として働き、単に名詞的な述語、動詞的な述語を示すだけの働きだけなのだ。厳密にいうと、essere はけっして<述語>動詞ではないのだ。
<述語>動詞となっているのは essere 以外の動詞が<述語>動詞ということだ。
ここで、 soggetto (subject、主語、主題、copula、predicato (英語 predicate)と文法用語が出てくる。
predicato なじみが薄い(あるいは学んだが記憶にない)のでWiki の説明をcopy / paste しておく。
The term predicate is used in one of two ways in
linguistics and its subfields. The first defines a predicate as everything in a standard
declarative sentence except the
subject, and the other views it as just the main content verb or associated predicative expression of a
clause. Thus, by the first definition the predicate of the sentence Frank likes cake is likes cake. By the second definition, the predicate of the same sentence is just the content verb likes, whereby Frank and cake are the
arguments of this predicate. Differences between these two definitions can lead to confusion.
[1] 述語(じゅつご、predicate)とは、
伝統文法では、ある
節の要素のうち、
主語でない部分のこと。主語以外の
名詞句は述語に含まれる。
現代言語学では、節の中心となる
動詞とそれを
修飾する部分のこと。名詞句は述語に含まれない。
あいまいなところがあるが、ここでは論議しない。また日本語の説明では主語で、主題という語は出てこない。文法用語のsubject は主語なのだろう。
ausiliare は<副辞>。 verbo ausiliare は助動詞だが、ここはcome
copula o come ausiliare となっているので、<一人前でない動詞>と言ったところだろう。
compie <- compiere = to carry out, to fulfil
参考
Trecncani bocabolario essere の全文
èssere1 v. intr. [lat. esse (volg. *essĕre), pres. sum, da una radice *es-, *s- che ricorre anche nel sanscr. ásti «egli è», gr. ἐστί, osco est, ant. slavo jestŭ, ecc.; il perf. fui da una radice *bhū- che ricorre nel sanscr. ábhūt «egli è stato», gr. ἔϕυ «è nato», ecc.] (pres. sóno, sèi, è, siamo [ant. o region. sémo], siète [ant. sète], sóno [ant. o region. ènno]; imperf. èro [ant. o letter. èra], èri, èra, eravamo, eravate, èrano; pass. rem. fui, fósti [ant. fusti], fu [radd. sint.], fummo, fóste [ant. fuste], fùrono [ant. furo, fòro e fuòro]; fut. sarò, sarài, sarà [ant. fia e fie], sarémo, saréte, saranno [ant. fìano e fìeno]; condiz. sarèi [ant. sarìa e fòra], sarésti, sarèbbe [ant. sarìa e fòra], ecc.; cong. pres. sia ... siamo, siate, sìano [o sìeno]; cong. imperf. fóssi [ant. fussi], ecc.; imperat. sii, siate; part. pres., raro, essènte; part. pass. stato [ant. essuto e suto]; ger. essèndo [ant. sèndo]. I tempi composti si coniugano con l’aus. essere: sono stato, ecc.). – È la parola che ricorre più frequente nel discorso e la più necessaria all’espressione del pensiero. Differisce da tutti gli altri verbi perché nel suo uso assoluto non «determina» il soggetto ma soltanto lo «pone» come esistente; usato come copula o come ausiliare, compie solo la funzione di introdurre il predicato nominale o verbale; non è perciò mai, a rigore, un vero «predicato».
1. Usato assol., come verbo predicativo, afferma l’esistenza, l’essenza in sé, l’atto puro, senza ulteriore determinazione. Si dice perciò soprattutto e per eccellenza di Dio o di ciò che (nelle varie concezioni filosofiche) è concepito come assoluto: Dio è, frase con cui lo si afferma. Riferito all’uomo: penso, dunque sono (è il «cogito, ergo sum» di Cartesio). Delle cose: Dio disse: «la luce sia», e la luce fu (note parole della Bibbia, Genesi 1, 3); Dinanzi a me non fuor cose create (Dante). Riferito a persone, animali, cose, si unisce spesso con la particella ci (meno com. vi): ci sono varie specie di rose; discutere se vi sia il paradiso e l’inferno; spec. per indicare la sussistenza, la reperibilità, la disponibilità: che c’è di nuovo?; ci sono molti laureati in legge; c’è abbondanza di viveri; c’è scarsità di energia elettrica; un mezzo ci sarebbe; non pare che ci sia altra soluzione; non c’è nulla fra loro (cioè non intercorre alcun rapporto). Nell’uso, specialmente tosc., e soprattutto nelle frasi interrogative e negative, esserci è non di rado usato al sing., anche con soggetto plur.: c’è lettere per me?; non c’è più biscotti, bisogna ricomprarli; ce n’è pochi come lui; e poi c’è degli imbrogli (Manzoni). Anticam. la particella ci (che si lega al verbo anche in altri dei significati che seguono) era spesso tralasciata anche in frasi dove oggi l’uso normalmente la richiede: Le leggi son, ma chi pon mano ad esse? (Dante).
一番目に出てくるので、これが最重要と見る。Usato assol.(assoluto, absolute) は文法用語だろう。
come verbo predicativo, afferma l’esistenza, l’essenza in sé, l’atto puro, senza ulteriore determinazione.
verbo predicativo は上にでてきたが<述語動詞>。essere は<述語動詞>ではない(定義)が<述語動詞>の用法がある、ということ。何をいっているのかよくわからないが、
senza ulteriore determinazione
他の修飾語なしで
1)l’esistenza - 存在
2) l’essenza in sé -存在そのもの
3) l’atto puro 純粋の行為 (これは何か?)
を確かに示す(確認する)(affermare)。
Si dice perciò soprattutto e per eccellenza di Dio o di ciò che (nelle varie concezioni filosofiche) è concepito come assoluto
したがって、これはとりわけ神のごとき至高の、あるいは(哲学上いろいろなコンセプトがあるが)絶対的なコンセプトと言える。(たとえば)
Dio è, frase con cui lo si afferma. 神はいる。これはそれ自体で確定、決定した文(句)だ。
Riferito all’uomo: penso, dunque sono (è il «cogito, ergo sum» di Cartesio).
人に関して言えば、私は考える、しかして私はいる。(これはデカルトの Cogito, ergo sum.)
Delle cose: Dio disse: «la luce sia», e la luce fu (note parole della Bibbia, Genesi 1, 3)
モノ、コトに関していえば、神は言った<光ありき>(創世記)。
Dinanzi a me non fuor cose create (Dante) : Before me there were no created things,
fuor は古語で<fu>相当だろう。
以上は<xx がある(いる)、あった(いた)>で日本語では<存在する、存在した>より<軽い>感じだが、esistere (to exist) は、上で見たように、<外に立つ、見える、現れる>なので、<存在する、存在した>の方が<軽い>のだ。ここがポイント。
Riferito a persone, animali, cose, si unisce spesso con la particella
ci (meno com. vi): ci sono varie specie di rose; discutere se vi sia il
paradiso e l’inferno; spec. per indicare la sussistenza, la
reperibilità, la disponibilità: che c’è di nuovo?; ci sono molti
laureati in legge; c’è abbondanza di viveri; c’è scarsità di energia
elettrica; un mezzo ci sarebbe; non pare che ci sia altra soluzione; non
c’è nulla fra loro (cioè non intercorre alcun rapporto).
Riferito a persone, animali, cose, si unisce spesso con la particella
ci (meno com. vi)
たいていは particella(末尾参照)の ci (まれだが時によって vi)とともに使われて人、動物、ものに言及する。
ci sono varie specie di rose いくつか違った種(しゅ)のバラがある。
discutere se vi sia il paradiso e l’inferno 天国と地獄があるのかどうか論議する。
<ci>はpronoun 代名詞で、人称代名詞の場合の <ci>は英語の<us>相当。A rivederci ! の ci だ。さらにイタリア語にあって英語にない ci = <a + noun>相当の代名詞。ややこしいのだ。ここでは particella という語を使っている(末尾参照)。さらに輪をかけてややこしそうだが、意外と簡単でここでの<ci>は英語の<there is xx>、<there are xxxx>に相当する。 むしろ英語のわけのわからない<there is >、<there are>の理解に役立つかもしれない。
spec. per indicare la sussistenza, la
reperibilità, la disponibilità
に注目したい。 sussistenza は上で述べた<本質的な>存在。reperibilità, disponibilità = availablity
che c’è di nuovo? 何があたらしいのだ? なにか新しいもの(こと)がるのか?
che c’è di nuovo? 法学士(法学卒業者)はたくさんいる。
c’è abbondanza di viveri <豊かな生活>か?
c’è scarsità di energia elettrica 電力不足
un mezzo ci sarebbe <方法はある>か?
non pare che ci sia altra soluzione 他に解決策はなさそうだ。
non c’è nulla fra loro (cioè non intercorre alcun rapporto) 何の関係もない。 intercorre = esistere
期待したが、英語の<there is >、<there are>はわけのわからないままだ。 sussistenza (本質的な存在>、reperibilità, disponibilità = availablity は特に関係ない(non c’è nulla fra loro)。
問題は there で、これが particella なら助けになる。
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と書いたが、この
there の問題が解けた。コロンブスの卵で、念にため手もとにある Oxford 英漢辞典(高階)で there をあたってみた。これによると
there は副詞。解説の4番目に、ごく簡単に existence, availability と書いてある。 esistance,
availability はまさしく、すぐ上で書いた< sussistenza (本質的な存在)、reperibilità,
disponibilità = availability (は特に関係ない)>と同じだ。大いに関係があるのだ。違いは
essere = sussistenza (本質的な存在)、reperibilità, disponibilità = availablity
there = esistence, availability
これは私にとっては大発見。さっそく別のポストを書くことにした。
2. Con accezioni più definite: a. Per indicare, più che l’esistenza, la presenza effettiva: Iddio è dappertutto; non c’era nessuno per la via; (ci) sono qua io per aiutarti; chi è? (sentendo bussare o suonare all’uscio); siete già qui?; sono io in carne ed ossa; anche di cose: lì vicino c’è una fontana; c’è un ponte che attraversa il fiume; spesso, in simili circostanze, l’annunzio d’una cosa la fa essere (Manzoni). b. In qualche caso, equivale a «essere vero» o serve in genere ad attestare la realtà di un fatto o del suo modo di essere: è così; è proprio così; affermare ciò che non è; è come dico io; non può essere! (mostrando di non voler credere a quanto altri dice). Contrapposto a parere, sembrare, afferma la realtà effettiva di contro all’apparenza: preferiva e. che parere una persona onesta. c. Supplisce talora verbi d’azione: sono stato io (sottint. a dire, a fare una cosa; cioè: «l’ho detto io, l’ho fatto io»); oggi c’è (= si fa) seduta; domani non ci sarà lezione, ecc. d. Usato impersonalmente, per indicare una situazione di fatto: oggi è bel tempo, è freddo, è caldo, è già buio, ecc. e. Altre volte, con uso impersonale, ha funzione esclusivam. rafforzativa: è a te che mi rivolgo; è per questo che insisto. Seguito immediatamente dalla cong. che: è che io non ne sapevo nulla; non è che io non voglia ma ...; tosc., con gli soggetto: gli è che oggi non mi sento in vena. Costrutti ugualmente enfatici sono: com’è che non risponde? (cioè: «come mai non risponde?»); quand’è che ci rivediamo?
2. (主語が)より具体的に確認された意味を持つ場合。
a. Per indicare, più che l’esistenza, la presenza effettiva: Iddio è
dappertutto; non c’era nessuno per la via; (ci) sono qua io per
aiutarti; chi è? (sentendo bussare o suonare all’uscio); siete già qui?;
sono io in carne ed ossa; anche di cose: lì vicino c’è una fontana; c’è
un ponte che attraversa il fiume; spesso, in simili circostanze,
l’annunzio d’una cosa la fa essere (Manzoni).
単なる存在以上のもの、確認され確かな存在。
Iddio è
dappertutto 神はどこにでもいる。(神は単に存在するだけではなく我々を見ている、我々に作用を及ぼしている。 Iddio è だけでこのような意味がある、ということか?
non c’era nessuno per la via この道(この先か)には誰もいない。
(ci) sono qua io per
aiutarti 私は、(ほかでもない)あなたを助けるためにここにいるのだ。(下線部強調)
chi è? (sentendo bussare o suonare all’uscio) 誰ですか(誰がいるんですか)?(戸口でドアをたたく音、呼び鈴の音を聞いて)
siete già qui? (あれ)もういるのか?
sono io in carne ed ossa 正真正銘生身(生身)の私だ。
lì vicino c’è una fontana この近くに泉(井戸)がある。(だからそこで水が飲める)
c’è
un ponte che attraversa il fiume (その)川に掛かる橋がある。(だから川の向こう岸に渡れる)
spesso, in simili circostanze,
l’annunzio d’una cosa la fa essere (Manzoni). (よくわからない)
fare essere は使役、la は女性なので、let her be. make her be. これでもよくわからない。
<単なる存在以上のもの、確認され確かな存在>という解説と例文からはよくわからないが
esistere (to exist)<存在、いること、あること> は中立だが、essere は意味のある<存在、いること、あること>と考えたらどうか?
b. In qualche caso,
equivale a «essere vero» o serve in genere ad attestare la realtà di un
fatto o del suo modo di essere: è così; è proprio così; affermare ciò
che non è; è come dico io; non può essere! (mostrando di non voler
credere a quanto altri dice). Contrapposto a parere, sembrare, afferma
la realtà effettiva di contro all’apparenza: preferiva e. che parere una
persona onesta.
ある場合には<本当である>こと同じ、事実の真実性あるいは存在の仕方の真実性を表明する。
è così (事実は)こうだ。かくのごときだ。
è proprio così (まさしく)こう(そう)だ。 かくのごときだ。
affermare ciò
che non è そうでないことの表明
è come dico io (それは)まさしく私が言うようにだ。
non può essere! まさかそうではあるまい。そんなことはありえない。(mostrando di non voler
credere a quanto altri dice 相手が言うことを信じたくないことの表明)
Contrapposto a parere, sembrare, afferma
la realtà effettiva di contro all’apparenza
表面上見えることに対して実際(事実)はその反対であることの表明。
preferiva e. che parere una
persona onesta. (よくわからない)
e. = essere なので
(彼 / 彼女は)正直そうに見える人よりも実際にそう(正直)であるほうが好きだった。ということか?
c. Supplisce talora verbi d’azione: sono stato io
(sottint. a dire, a fare una cosa; cioè: «l’ho detto io, l’ho fatto
io»); oggi c’è (= si fa) seduta; domani non ci sarà lezione, ecc.
Supplisce の 原形(不定形)は supplire で英語の to supply と関連があるようだが、調べてみるとかなり違う。to supply は to supply someone with something と変な言い方をするが、イタリア語の supplire は自動詞と他動詞用法がある。
”
La Repbblica (Dictionary)
supplire
[sup-plì-re]
(supplìsco, -sci, -sce, supplìscono; supplènte; supplìto)
A v.intr. (aus. avere)
1 Compensare, integrare ciò che presenta una carenza, un difetto: supplisce alla scarsità dello stipendio con un secondo lavoro; supplisce con la memoria alla scarsità d'ingegno
|| Venire incontro con aiuti: ha supplito alle loro necessità con ogni mezzo
2 ant. Soddisfare un'obbligazione
B v.tr.
Sostituire, fare temporaneamente le veci di una persona nelle sue funzioni professionali, familiari, sociali ecc.: s. l'insegnante di disegn
”
ここは他動詞だ。esssere はaction 動詞の代わりをするという内容だ。
sottint. = sottintendere = to imply <- sotto + intendere (= to mean, to understand)
oggi c’è (= si fa) seduta <今日はもうした、すんだ。>か?
domani non ci sarà lezione 明日は授業がない。(授業は行われない)。
さらに、日本語では、明日は学校がある、明日は運動会がある、明日はデモ行進がある、などという。
学校。運動会、デモ行進はないと(存在しないと)言えない発話だが、存在を言っているわけではない。これが上で<わからない>とした l’atto puro(純粋の行為) か?
以上の<xx がある>だが、あきらかに存在以上のことをいっている。
d.
Usato impersonalmente, per indicare una situazione di fatto: oggi è bel
tempo, è freddo, è caldo, è già buio, ecc.
これまたなじみがある表現だが、日本語はイタリア語に近い。
oggi è bel tempo 今日はいい天気だ。 It is a good weather today.
è freddo 寒い。 It is cold.
è caldo 寒い。 It is hot.
è già buio もう暗い。 It is already dark.
注目すべきは<日本語には動詞がない>ことだ。 まさしく、このポストの
<これはペンです>に動詞はないのか?
と同じだ。
e. Altre volte, con uso
impersonale, ha funzione esclusivam. rafforzativa: è a te che mi
rivolgo; è per questo che insisto. Seguito immediatamente dalla cong.
che: è che io non ne sapevo nulla; non è che io non voglia ma ...;
tosc., con gli soggetto: gli è che oggi non mi sento in vena. Costrutti
ugualmente enfatici sono: com’è che non risponde? (cioè: «come mai non
risponde?»); quand’è che ci rivediamo?
その他では、非人称表現を使った強調がある。
è a te che mi
rivolgo
che は te に修飾する関係代名詞ではない。è xx che yyyy のいわゆる強調構文。
revolgere 他動詞でxx(目、注意、体、etc)を誰々に向ける。ここは再帰用法で、意味は場面によるが
non mi rivolgevo a te I wasn't talking to you
とい例文がある。
è per questo che insisto
insistere は自動詞で目的語の前に前置詞が必要。
insistre per の文例
Tutti noi dobbiamo insistere per questo anche nei nostri paesi.
We all need to push for this in our own countries as well.
Seguito immediatamente dalla cong.
che
essere のすぐ後に che がくつ強調表現
è che io non ne sapevo nulla (そのことについては)私はまったくしらなかったのだ。 ne は di + noun の代名詞。最後<のだ>の注目。
non è che io non voglia ma ... したくないというのでは(ことでは、わけでは)ないのですが . . . . <ので>の注目。
これは日本語の強調表現の検討に役立つ。ところで、念のため英語の強調構文(英文法で出てくる)that を調べてみた。手もとの英漢(英英も兼ねている)辞典にあったてみたが、イタリア語のこの解説のような、特に強調表現という解説はない。次に it をあったてみたが、最後の方に to emphasize が出てくる簡単な解説があって、3例文が紹介さえれいる。その一つは
It is Tarro who made a mistake, not me.
と言うような内容だ。ここでは that ではなく、関係代名詞の who が使われている。また実際の発話では、この場合 Taro と not me にストレスがおかれるだろう。強調表現は強調構文で、一語でなされるわけではない。係り結びのような<文構造>なのだ。
イタリア語では、上の例からすると
è a te che mi rivolgo
è per questo che insisto
è che io non ne sapevo nulla
non è che io non voglia ma ...
で統一がとれている。
注意したいのは、上のイタリア語では è (is) と che (that) はあるが it 相当の語は出てこない。これが上で手もとの英漢(英英)辞典でまずthat を調べたのだ。そして強調表現の説明がなかったので、次に念のため it を調べたのだ。そして幸いそこに強調表現の説明があったのだ。
3. Spesso è vicino per significato ad altri verbi con cui è possibile sostituirlo: a. Sussistere: Fama di loro il mondo esser non lassa (Dante). b. Consistere, stare: in questo è la difficoltà; la vera felicità non è nel denaro; tutta la sua gioia è nel lavoro. c. Vivere: Coppo di Borghese Domenichi, il quale fu nella nostra città (Boccaccio); Ei fu (Manzoni); anche nel linguaggio com.: c’era una volta ...; quindi, non esserci più, essere morto: quando io non ci sarò più. Comune, spec. in passato, la locuz. del fu «figlio del defunto» nell’indicazione della paternità: Antonio Rossi del fu Giuseppe; spesso con la prep. del sottintesa: A. R. fu Giuseppe. d. Avere vita, avere origine: a Giove diè Dardano figlio Onde fur Troia e Assaraco e i cinquanta Talami e il regno della Giulia gente (Foscolo). In frasi comuni: di dove siete? (cioè: «dove siete nati?», o, «dove avete la residenza abituale?»); è di Milano, di Napoli; è di buona, di povera famiglia, ecc. e. Avvenire, accadere: l’audaci imprese io canto, Che furo al tempo che passaro i Mori D’Africa il mare (Ariosto); non amo che le cose Che potevano essere e non sono State (Gozzano); in modi comuni: sarà quel che Dio vuole; cos’è stato?; che sarà di noi?; quel che è stato è stato, ecc.; con la particella ci o ne: che c’è?, che cosa succede?; chissà che ne è stato di lui. Per indicare in genere l’accadimento di un fatto: è stato un caso; è stata una semplice dimenticanza.
4. a. Seguito dalle prep. in, a o su, da avverbî o locuz. locative, significa trovarsi in un luogo: e. in casa, nei campi, in ufficio; e. a scuola, a tavola, a letto; e. sulla strada di casa, e. sul posto; o in una posizione relativamente ad altri, ad altre cose: e. davanti, dietro, sopra, sotto, dentro, fuori; essere giù; e. in alto, in basso, ecc.; la porta è lì; l’ingresso è da questa parte; la collina è a ovest. Con senso più prossimo a «stare»: erano tutti lì ad aspettarlo; quand’ero in collegio; e. a pensione; e. con, e. in compagnia di qualcuno, e. fra amici. In qualche caso, trovarsi in un luogo per esserci giunto: sono già stato in quella città; non sapevo più dov’ero; il nemico è alle porte. Nei tempi passati della coniugazione, recarsi, andare: sono stato al cinema; sei mai stato all’estero? Con sign. affine a «giungere, venire»: quando saremo a casa; aspetta che sia vicino. Frequentissimo l’uso fig., per indicare la situazione in cui una persona si trova: e. in guerra, in pace; e. al sicuro, e. in pericolo, nei guai, nei pasticci; e. nel vero, e. in colpa, in errore, e. all’oscuro di tutto; e. in faccende; e. agli ordini, sotto il dominio, sotto la protezione di qualcuno; e. in agonia; e. in lutto; e. in simpatia, in odio a qualcuno; e. in grazia di Dio. Con riferimento a stati d’animo: e. in collera; e. in pena, in ansia per qualche cosa. b. Contiene spesso l’idea del moto: e. in via, in cammino, in viaggio (anche fig.: e. in via di guarigione); e per indicare il punto a cui si è arrivati nel progredire di un fatto, di un’attività, in una serie d’azioni: e. al principio, alla fine, e. avanti, indietro, a buon punto; e. alla minestra, alla frutta; l’acqua è a bollore. Usato assol., esserci, aver raggiunto lo scopo, riuscire in qualche cosa: coraggio, che ci sei; o arrivare a comprendere, a indovinare: ora ci sono. Ci siamo!, volendo dire di essere giunti alla meta, a un risultato concreto, a un momento decisivo; anche esclamazione di chi sente o vede cosa poco lieta, che era peraltro attesa e temuta; analogam., siamo alle solite!, quando si rinnova qualche fatto spiacevole o noioso. c. Riferito più particolarmente al tempo: è presto, è tardi; siamo già a Natale; è di cinque mesi, di sette mesi, ecc., o è al quinto, al settimo mese (per indicare lo stadio della gravidanza). Determinando la distanza nello spazio o nel tempo: da qui al paese ci saranno almeno sei miglia; c’è più di un’ora di cammino; quanto c’è per arrivare a Pasqua? In altre espressioni temporali: che ora è?; è l’una, sono le nove; è l’ora di andare; è il momento di agire; era il mattino, la sera; indicando la stagione: siamo in primavera; o l’età: e. sulla quarantina; o la durata nel tempo: è un’ora che sono qui; è un pezzo che aspetto; l’ho incontrato quindici giorni or sono.
5. Significati più partic. acquista il verbo dalle parole con cui si unisce. a. Con la prep. di può indicare appartenenza: la bicicletta è di mio zio (analogam. con agg. possessivi: è mio, è tuo, ecc.); qualità: e. di buon appetito; è una persona di gusto; il fatto è di natura diversa; o disposizione momentanea: e. di buon umore; l’effetto: e. d’aiuto, di conforto, di guida, di riserva, ecc. (anche senza prep.: Che suoli al mio dubbiare esser conforto [Dante], dove conforto è compl. predicativo); destinazione a un ufficio: e. di servizio, di guardia, di turno, di giornata, ecc. Con accezioni speciali: e. dell’opinione, dell’avviso, pensare, ritenere; e. di ritorno, ritornare; ecc. b. Con la prep. da, seguita da un verbo, equivale a «dovere, doversi»: c’è da spedire subito questo telegramma; c’è da attendere molto?; non sono cose da dirsi; non è da credere, è ancora da vedere, ecc.; o indica conseguenza di un fatto: c’è da impazzire; c’è da mettersi le mani nei capelli; o possibilità: ci sarebbe da guadagnare parecchio. In altri casi denota attitudine: non è da tanto; Ma non eran da ciò le proprie penne (Dante); o convenienza: non è da galantuomo comportarsi così (in questi esempî, la funzione del verbo è molto vicina a quella di copula). c. Con la prep. in indica spesso (per sviluppo del n. 4 a nel senso fig.) la condizione di una persona o di una cosa, il modo in cui si presenta: e. in buono, in cattivo stato; e. male in arnese; e. in castigo; e. in errore; con riferimento all’abito: e. in vestaglia, in pantofole, in maniche di camicia, ecc. E. nei panni di qualcuno o in qualcuno, trovarsi nelle sue condizioni, al suo posto: se io fossi nei tuoi panni (o in te), agirei diversamente. Significa «stare, dipendere» in frasi quali: farò tutto quanto è in me; per quanto è in noi, e sim. E. in grado di ..., sapere, potere: non sono in grado di risponderti; il ferito non era in grado di camminare. E. in sé, avere piena coscienza dei proprî atti e delle proprie parole (al contr., e. fuori di sé). d. Con la prep. a: e. a tavola, stare pranzando; e. a cavallo, aver raggiunto lo scopo, aver superato le maggiori difficoltà; e. a spasso, disoccupato; e. alla disperazione, alla fame, e. al verde, lo stesso che «essere ridotto» alla disperazione, ecc. Costruito col dativo (conforme all’uso latino), equivale ad «avere»: luoghi in contado, de’ quali a ciascuna di noi è gran copia (Boccaccio); ma frasi come la parola è al ministro e sim. sono di derivazione francese. e. Con la prep. per indica destinazione, termine: questo è per te (ma: questa non è roba per te, non ti si adatta, non ti si addice); con altro senso, e. per qualcuno, mettersi dalla sua parte: io sono per chi sostiene la giusta causa. Seguito da un infinito, stare per fare una cosa: ero già per partire; Ma sei tu per lasciarmi un’altra volta? (Leopardi). Esserci per o esserci da, essere sufficiente, bastante: c’è pane per tutti; ce n’è da vendere. f. Con altre prep.: io sono con voi, dalla vostra parte; e. contro la guerra, avversarla; e. sulla bocca di tutti, far parlare di sé; e. sulla breccia, v. breccia1.
6. Locuzioni partic.: quant’è?, «quanto costa?» o, meno spesso, «quanto pesa?»: quant’è quest’anello?; quant’è questo cocomero?, ecc. Sarà!, modo di esprimere approvazione a quanto altri dice, ma con riserva, con velata incredulità; può essere, non può essere, è possibile, non è possibile. Come sarebbe a dire?, esigendo spiegazioni. Vuole e. un affare serio, una faccenda lunga, pare che sarà, tutto fa prevedere che sarà, ecc. Così sia, formula di consenso e di rassegnazione (v. amen). E sia!, sia pure!, modo di concedere. Come se nulla fosse, con grande facilità e naturalezza. Che è che non è, all’improvviso, tutt’a un tratto. Sia ... sia ...; sia che ... sia che ..., modi correlativi per affacciare più eventualità (v. sia). Sia chi si sia, chiunque egli sia, di chiunque si tratti: sia chi si sia, non sono disposto a cedere.
7. Con funzione di copula (uso anche questo frequentissimo), il verbo serve a mettere in relazione il soggetto col predicato che è di norma costituito da un aggettivo (la neve è bianca), o da un sostantivo (Carlo è un amico), ma può anche essere un pronome (non so chi egli sia), un verbo all’infinito (questo non è vivere), ecc. La copula non esprime da sé alcun giudizio ma concorre col predicato a formularlo, determinando variamente il soggetto, con riguardo alla qualità (questo problema è difficile), alla natura (voglio fargli vedere chi sono; che è quel liquido?), al modo di essere (sono stanco, affamato, malato), all’atteggiamento (e. seduto, disteso; ma anche con locuzioni: e. a sedere, in piedi, in ginocchio), alla grandezza (e. la metà, il doppio), all’ordine di successione (e. primo, secondo, e. il 18° in graduatoria), alla quantità (quanti siete?; e. in pochi, in molti), ecc. Serve spesso a includere un individuo in una classe, in una categoria: suo fratello è un professionista; la tigre è un felino; «sedia» è un sostantivo. Altre volte essere significa «costituire, rappresentare, risolversi in»: è un piacere rivederti; questo è niente; per me è già molto; l’impresa è stata un disastro; parole che sono un’offesa; o esprime equivalenza perfetta: democrazia è libertà; volere è potere; donna è bello. Il verbo conserva il valore di copula anche quando il predicato consiste in un avverbio: è bene tacere; è meglio non parlarne; o in locuzioni equivalenti a un aggettivo: e. da più, da meno, cioè superiore, inferiore; e. tutt’uno con qualcuno, essergli molto intimo; quel bambino è tutto suo padre, gli somiglia moltissimo; e. tutt’orecchi, stare attentissimo; lo spettacolo è di grande effetto, ecc. Funzione simile ha in frasi quali: è fama, è voce comune, è d’uso, è di tradizione, ecc. ◆ Nella flessione verbale, essere è adoperato come ausiliare con tutti i verbi passivi, riflessivi (o comunque con coniugazione pronominale), e con molti verbi intransitivi (v. ausiliare).
< particella>
In grammatica, denominazione di elementi lessicali invariabili,
costituiti da parole brevi, per lo più monosillabiche e atone, che
servono di legamento nella frase o hanno funzione accessoria, come
talune preposizioni, congiunzioni, interiezioni. In partic., p. pronominali, le forme atone dei pronomi personali (mi, ti, gli, ci, vi, lo, la, li, le, si, ne); p. avverbiali, gli avverbî ci, vi, ne.
In passato, con sign. più ampio, denominazione di ogni elemento
lessicale che non fosse sostantivo o aggettivo o verbo (così, per es.,
nel classico Trattato delle particelle di M. A. Mambelli, 2a parte delle sue Osservazioni della lingua italiana, 1644). Per le p. nobiliari, v. nobiliare.
sptt