前回のポスト” 中国語と日本語の時制表現 ー2 <下雨了>,<雨だ>の文法分析 " の後半で追記として<が>と<は>の論議を性懲りもなく始めたが、結局行きづまってしまった。<下雨了>を中国の文法書 (汉语口语语法、A Grammar of Spoken Chinese というタイトルの英語版の中国語訳。赵元任著、呂叔湘訳) で調べていたら、<下雨了>とは別のところに<我饿了>の文法解説があった。この文法書、最初はとっつきにくかったが、辞書 (ネット辞書を含む) を引き引き我慢して読んでいくと、いろいろおもしろいことが書いてある。
<下雨了>の解説は主語倒装 (倒置) となっているが、よく読むと主語は省略、<下>は他動詞で、雨が目的語のようなことも書いてある。今のところよくわからない。
別のところで <我饿了>の解説がある。
我饿了。
これは文字通りでは
私は飢えている。
最後に<了>があるので中立な叙述ではなく、訴えるような発話だろう。<我饿了>はおもしろいので、かなり前に取り上げてポストを書いたことがある。<我饿了>以外では
我肚子饿了。
という言い方があり、これは
私はおなか (腹) が飢えている。
で、日本語の
私はおなかがすいてている。
と同じ構造だ。この構造<我肚子饿 (了) >は汎用性があり
我头(頭) 疼我腿麻了。
我心跳
などの例文がたくさん紹介されている。この構造はおなじみの
象は鼻が長い。
と同じだ。中国語の例は人だが
私は鼻が低い。
とすれば、ほぼ同じだ。
さてこの中国文法書の解説だが、おどろいたことに
我肚子饿了。
我头(頭) 疼 (痛ではなく疼。疼:téng、痛:tòng)
の<我>は大主語、<肚子>、<头(頭)>は小主語
というものだ。中国語は格助詞、係助詞、副助詞などの助詞類がなく、動詞や名詞を並べるだけなので
私は鼻が低い。
<私は>の<は>は 係助詞 (または副助詞) で<私についていえば>、<鼻が>の<が>は格助詞で主語を示す、と言った説明はできない。もっともこの説明も説得力にかける。日本語は助詞があるので、語順は比較的自由。
鼻が私は低い。
は<私は低い>ナンセンスだが、こう言える。多分中国語ではダメだろう。
肚子我饿了。(多分ダメ)头(頭) 我疼。(多分ダメ)
追記
もう少しチェックしてみる。たとえば
1)私は鼻が低い。
2)鼻が私は低い。
3)私の鼻は低い。
4)私の鼻が低い。
------
1)私は鼻が低い。
これは私がする表明と言えよう。<は>にはこのような働きがある。
2)鼻が私は低い。
これも私がする表明だが、<私は低い>の意はないので、<鼻が、私は、低い>の語順変換で、実際<、>には短い休止がある。鼻の強調と説明できよう。このようなことが<汉语口语语法>に書いてある。
3)私の鼻は低い。
これも私がする表明と言えよう。<は>にはこのような働きがある。
4)私の鼻が低い。
これは表明というよりは発話。<誰の鼻が低い?>の答えとしてはいいが、ふつう表明としてはこう言わない。<が>にはこのような働きがある。
もう少しチェックしてみる。
1)花子は<私は鼻が低い>と言った。
2)花子は<鼻が私は低い>と言った。
3)花子は<私の鼻は低い>と言った。
4)花子は<私の鼻が低い>と言った。
------
<xx>部が花子が言ったこと、直接話法 (引用) の場合は、私=花子になる。4)はややおかしい。これは繰り返しになるが、<誰の鼻が低い?>の答えとしてはいいが、ふつう表明としてはこう言わない。
<xx>部が間接話法 (引用) の場合は、私=私になる。
以上の場合<私がする表明>自体はないが、普通は私が<話し手>だ。3)、4)が適当のようだ。
4’)花子が<私の鼻が低い>と言った。
は表明というより発話で 、繰り返しになるが、<が>にはこのような働きがある。
また私が聞いて言ってもいいが<xxと言った(と言った)>、次郎でもいい。
花子は<私は鼻が低い>言った、と次郎は言った。 これも直接話法と間接話法がある。
1)花子は<太郎は鼻が低い>言った。
2)花子は<鼻が太郎は低い>>言った。
3)花子は<太郎の鼻は低い>言った。
4)花子は<太郎の鼻が低い>と言った。
今度は<私>がからまない。私が聞いて言ってもいいが、次郎でもいい。
花子は<太郎は鼻が低い>言った、と次郎は言った。2)がややおかしいが、<鼻が太郎は低い>自体もともと少しおかしいのだ。
話が相当混乱しているが、続けると
私は鼻が低い。(OK)
私の鼻は低い。(OKだがあまり聞かない)
私の鼻が低い。(<誰の鼻が低い?>の答以外はダメ)
私はおなかがすいている。(OK)
私のおなかはすいている。(OKだがあまり聞かない)
私のおなかがすいている。(<誰のおなかががすいている?>の答以外はダメ)
私の鼻は低い。
私のおなかはすいている 。
は私の体の部分についての発話、というよりは大袈裟だが表明だ。なにか自分の体の状態を第三者あるいは自分が客観視しているニュアンスの発話だ。
私は<私の鼻が低い>と思っている。
私は<私のおなかがすいている>と感じている 。
また <が>を<は>に変えると
私は<私の鼻は低い>と思っている。
私は<私のおなかはすいている>と感じている
となるが、ますます<第三者あるいは自分が客観視しているニュアンス>が強まるが、<は>が二度出てくるので語呂も悪い。
一方
私は鼻が低い。
私はおなかがすいている。
にはこのニュアンスがない。
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