Wednesday, September 6, 2023

<が>と<は>の使い分け。中国語ではどうする。

 

<が>と<は>の使い分けについての解説はゴマンとあるが、 中国語ではどうしているか。

<が>と<は>の使い分けについてだが、ネットでざっと調べたが、下記のサイトの解説が丁寧で、<やさしくくわしい>。

https://japanese-bank.com/nihongo-how-to-teach/ha-ga-difference/
 

<助詞「は」「が」の使い分け| 外国人に教える際の使い分けのルールを解説!>

これを参考に、対応する中国語をチェックして、また日本語にもどる、というようなことをしてみる。

1. 「は」と「が」の使い分け①:情報のルール(新情報か旧情報か?)

これは大体 <「は」と「が」の使い分け>の一番目に出てきて、下記の例文がよく引き合いに出される。

wordrabbit.jp/blog/17

昔々、あるところにおじいさんとおばあさん住んでいました。ある日、おじいさん山へ芝刈りに、おばあさん川へ洗濯に行きました。

始めの<が>は、昔話の冒頭で、聞いている人にとっておじいさんとおばあさんが住んでいることが新しい情報のためです。続く<は>は、おじいさんとおばあさんは一度登場してしいて、聞いている人にとって既に知っている情報となっているためです。


/japanese-bank.com/nihongo-how-to-teach/ha-ga-difference/

の例文と解説は


「伝えたい情報(新情報)には「が」、すでに分かっている情報(旧情報)には「は」を使う」

話し手は (聞き手が) 知らない情報を主題にすることはできないので、「が」を使います。

  • あの人社長です
  • あの人社長です。

この2つの文の違いを考えてみましょう。

上の文はお互い「あの人」を見ている状況で「あの人」について教える場合です。
つまり「あの人」はもうお互いにわかっている情報、伝えたいのは「社長だ」という情報です。下の文は、社長がいる場所で、社長がどの人か知らない人に「あの人だよ」と教える場合です。つまり、「社長」はもうわかっている情報、伝えたい情報は「あの人」です。これらのことをざっくりまとめると以下のように言えます。

情報に関するルール

「は」の文では、伝えたい情報は「は」の後に来る。

「が」の文では、伝えたい情報は「が」の前に来る。

ここで語順は重要。特に<は>や<が>に相当する助詞がない中国語では語順はもっと重要だ。

かなり前のポストだが

" 存在と認識の大動詞<ある>-在(あ)る、有(あ)る、或(あ)る (2014) " で


中国語でも<在>と<有>の違いは明らかにあり、間違いなく使い分けられている。

有没有 XX? は Do you have XX ? で、
XX 在不在?(語順に注意) は<存在>を問う。XX 在不在?は多くの場合 XX がヒトなので、日本語では XX いますか?の意になる。英語では Does (Do) XX exist ? の場合もあれば Is (are) there XX ? の場合もある。XX がヒトの場合は Is XX here(there)? となる。また中国語の場合、語順の違いに加えて XX に関して<在>は定、<有>は不定という大原則がある。英語の場合も Is (are) there XX ? の XX は不定だ。

"

情報に関するルール

「は」の文では、伝えたい情報は「は」の後に来る。

「が」の文では、伝えたい情報は「が」の前に来る。

情報に関するルールではないが、語順に関しては<有定><无定>の区別として中国語文法書(汉语口语语法)に次のような解説がある。

主语所指的事物是有定的,宾语所指的事物是无定的。

水开了 : 发水了。
火着了 : 着火了。
我要请客 : 客来了。
哪儿有书? : 书在哪儿?
我看完了书了 : 书看完了吗?

この本では主语 = S (Subject)、 宾语 = O (Object)で表されてている。宾语は目的語だ。

<所指的事物>は<指的事物>と同じだが<所>は強調で使われる、と別の箇所に書いてる。著者は中国人で多分知らないだろうが、日本語ではこの<所>は関係代名詞にある英文和訳では頻繁に出てくる。

 the house I visited ten years ago no more exists

私が10年前に訪れた家はもうない。

私が10年前に訪れたところの家はもうない。

の<所>で中国語由来なのだ。

主语所指的事物是有定的: 物事を指すところの主語は<定>だ。
宾语所指的事物是无定的: 物事を指すところの目的語は<不定>だ。

だが、必ずしも

定 = 旧情報、不定 = 新情報

ではない。 むしろ

定 = 英語で言えば定冠詞が付くもの、不定 =  英語で言えば不定冠詞が付くもの

と言った方がいい。

語順

水开了 : 发水了。

<开>は<沸騰する>。

水开了。 : お湯が沸 (わ) いた。

これは文法解説通りにいかない。

水开了。 :あの水 (定) は変じてもう熱いお湯になっている。

お湯が沸 (わ) いた。: なぜか<水がわいた>とは言わない。さらにこの場合(水変じてお湯になった)<水>は既知情報だが<は>を使った<お湯は沸 (わ) いた>にならない。これは<水変じてお湯になった>が新情報だからだろう。また、次に出てくる

「は」と「が」の使い分け②:文の性質のルール(現象文か判断文か?)

「現象をそのままいうときは「が」、判断、評価したときは「は」を使う」

が優先するからだろう。

发水了。 大水 (おおみず) が出た。 

これは主語、述語が逆転している。ここで<水>は新情報であり、また現象文なので、日本語では<が>が使われる。これはこれまで幾度もでてきた

下雨了。

と同じ構造、意味合いだ。自然現象、自然災害、事故、事件はこの類で上の

发水了。 大水 (おおみず) が出た。

が例。私が住む香港は広東語だが、よく耳にするのは

落雨 : 下雨
打風 : (強い)風が吹く
発生意外 : 交通事故(が発生する、発生した)
破水管 : 水道管が破裂する

だが例外もあって

水浸 : 水浸し

で<浸水>ではない。

火着了。 : 火がついた。(マッチ、ライター)
着火了。 : 火事だ。

我要请客。 :私は客 (不定) をよばないといけない。
客来了。 : その客 (定) が来た。

<有>と<在>

哪儿有书? : どこに本 (不定) ありますか?

<哪儿>は<どこ>で、疑問詞。疑問詞自体は不定で、どこが、誰が、何が、と<が>がつく。

上で少しふれたが

<在>は定、<有>は不定という大原則がある。

で<有书>の<书>は不定。一方

书在哪儿?  : その本どこにありますか?

 の<书>は定(その本)だ。


我看完了书了 : 书看完了吗?  

これは多分

我看完了书了

の<书>は不定。したがってどの本でもいことになる。<読み終えた>ことが伝えたい情報ということだろう。本 (书) ではなく新聞 (报纸) だと問題ない。

书看完了吗?

その本 (あの本) は読み終えましたか?

「は」と「が」の使い分け②:文の性質のルール(現象文か判断文か?)

次に、文の性質に関するルールです。

「現象をそのままいうときは「が」、判断、評価したときは「は」を使う」

見たままの状態をそのままいう文(現象文)の場合、「が」を使います。

  • (外を見て)あ、雨降っている。

上の例のように何かを発見した場合によく使われます。

一方で、見たものを認識して一般的な性質や属性についての判断を言う場合、「は」を使います。

  • 社長よく飲みに行く。(動詞文)
  • 沖縄の海きれいだ。(形容詞文)
  • 社長だ、(名詞文)

形容詞文や名詞文は、そのもの(人)の性質や属性を表すことが多いので、以下のように言えます。

文の性質のルール

形容詞文と名詞文は基本的に「は」を使う。

 ”

これは日本語と中国語の比較が難しい。

社長よく飲みに行く。(動詞文)

は、日本語の<が>と<は>の使い分けからすると

社長について言えば、よく飲みに行く。

で社長が主題になるが、 <よく飲みに行く>主語、主体も社長で、言い換えると

社長について言えば、彼よく飲みに行く。

だが、これではこれまた<は>が出てくるので

社長について言えば、そして彼について言えば、よく飲みに行く。

で説明がつかなくなる。一方

社長について言えば、彼よく飲みに行く。

とは言えない。

よく飲みに行く。

だと、誰が<よく飲みにいく?>という問いが出てくる。 また

社長よく飲みに行く。

は<誰がよく飲みにいく?>という問いに対する答えでで、あまり使わないだろう。

どうも堂々めぐりだ。このも堂々めぐり、ナンセンスは

社長が主題になるが、 <よく飲みに行く>主語、主体も社長

に由来する。ネット翻訳では

社長よく飲みに行く。

总统经常喝酒。

と出てくる。おそらく

<誰がよく飲みにいく?>(谁经常去喝酒?) の回答も

总统经常喝酒。

だろう。状況により

社長よく飲みに行く。も

社長よく飲みに行く。も

总统经常喝酒。ですませられるのだ。

ちなみに

沖縄の海きれいだ。(形容詞文)
沖縄の海きれいだ。

社長だ。(名詞文)
社長だ。

もネット翻訳では同じだ。

冲绳的海很美。
他是总统。

これでは面白くない。語順を変えてチェックしてみる。

よく飲みに行くの社長だ。
よく飲みに行くの社長だ 。
我经常一起出去喝酒的人是总统。

きれいなのは沖縄の海だ。
きれいなのが沖縄の海だ
冲绳的海很美。

社長は彼だ。
社長が彼だ。
他是总统。

で語順を変えても同じだ。これではおもしろくない。おもしろくないが、これらの例文ではこれが中国語なのかもしれない。

すこし前のポスト " 象は鼻が長い。我饿了。我头疼。" で紹介したが


さてこの中国文法書 (汉语口语语法) の解説だが、おどろいたことに

我肚子饿了。
我头(頭) 疼  (痛ではなく疼。疼:téng、痛:tòng)

の<我>は大主語、<肚子>、<头(頭)>は小主語

というものだ。

” 

<汉语口语语法>では他の箇所でも大主語、小主語の例があるのでチェックしてみる。

 这棵树叶子大,花儿少。 

個の木は葉が大きく、花が少ない。

でもいいが、後半は対比になっているので

この木は葉は大きく、花は少ない。

が適当だろう。 <この木>は大主語という説明だ。この中国文まったく助詞がない。 発話では無意識でも这棵树の後にポーズがはいる。

这个人年纪很轻。

この人は、年齢が若い。

我见了他就头大。

<この人>が大主語はいいが、<我见了>も大主語扱い。さらには<他就头大>の<他>が中主語、<头>が小主語になるのか?

さらには

<时间, 处所,条件在大主語>という項目があって

今天天好。
今天王先生来。

の<今日>が大主語。だが反論も書いてあり、<今日>が主語というのは荒唐無稽、というもの。おもしろいのは

今天他来。
他今天来。

の区別で

今天他来。= 今日は彼が来る。(今日の日程)
他今天来。= 彼は今日来る。 (彼の日程)

清明时节雨纷纷。
八月十五家家吃月饼。

清明时,八月十五が大主語。

この項目では处所,条件が大主語の例文がないが、別のところにある。

続いて<主语还是宾语倒装?>という項目があって,語順はきわめて自由に見える。

我酒现在不喝了。 私は酒は今飲まない。(以前は飲んでいた)
晚报老三拿出了。 夕刊は老三が持ち出した(持ち出している)。
我头也不回, 汗也不擦。私は頭をふりかえることもせず、汗を引くこともしない。

处所,条件が大主語の例文

これは<形容词的小句>という項目にある。ここに上で述べた中国語版関係代名詞<所>の簡単な説明がある。

小句修饰名词, 加 ”的“字。

他说的话, 我信的教。

加 ”所“强调。、

他所说的话。所有的人。所有的人= (関係す) あらゆる人, 皆 (みな) の意になる。

时间,处所,条件が大主語の例文

我昨天晚上上床的时候,客人还没全走。

私が昨晩寝床に入るとき(には)、客たちはまだ帰っていなかった。(还没全走は全部否定であれば<客たち皆>、部分否定であれば<一部の客は>)

大家用功的地方儿,你不能大声儿说话。

皆が勉強中の時には、君は大声で話をしてはいけない。

他一定要去的话,我也没法儿拦阻他。

彼がどうしても行くというのであれば、私も彼が行くのをやめさせられない。

の前半部<我昨天晚上上床的时候>、<大家用功的地方儿>、<他一定要去的话>は大主語と書いてある。もっとも<外国語では副詞句だが、中億語では大主語として扱う>というようなことが書いてある。

つまりはあることがおこり主語―述語で述べられると、その背景(時間、場所を含む)、条件はまるごと大主語として扱う、ということなのだ。

 

冒頭で

これを参考に、対応する中国語をチェックして、また日本語にもどる、というようなことをしてみる。

と書いたが、行きづまってしまったので、後日再検討。どうも日本語と中国語は様相が大きく違うようだ。

 

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https://japanese-bank.com/nihongo-how-to-teach/ha-ga-difference/
<助詞「は」「が」の使い分け| 外国人に教える際の使い分けのルールを解説!>


格助詞の「が」

まず格助詞というのは、名詞と動詞などの述語を結びつける働きがある助詞のことです。

  • お母さん 台所 晩ごはん 作っている

上の例を見てみると、「作っている」という述語に、「お母さん」「台所」「晩ごはん」という名詞が結びついています。

これらの名詞について、動作をする主体や対象、場所などをあらわす働きを持たせるものが格助詞です。

日本語の格助詞には「が」のほかに「を、に、へ、で、と、から、まで、より」があります。

では格助詞の「が」にどんな働きがあるのかというと、述語の主体を表します。

文を作るには必ず「何かをする」主体(人や物)、「ある/いる」主体、「なる」主体が必要なのですが、このような主体は普通「が」で表されます。


とりたて助詞の「は」

一方、とりたて助詞というのは、話し手の捉え方を暗示する助詞のことで、古典や学校の国語では「副助詞」や「係助詞」などと呼ばれています。

代表的なものに「も、だけ、しか、ばかり、こそ、さえ…」などがあり、「は」もこのとりたて助詞の一つです。

では「は」は何を表すかというと、文の主題を表します。

主題とは「何について述べるのか」、つまり話のテーマで、後ろにはそのテーマについての解説が続きます。

  • お母さん(主題) 台所で 晩ごはんを 作っている(解説)。

この文では「お母さん」について述べているということになります。

分かりにくい場合は、会話で考えてみましょう。

子どもがお母さんを探して「お母さんは?」と聞いたとき、おそらく日本人であれば以下のように答えるはずです。

  • お母さん、台所で晩ごはんを作っているよ。

このとき会話の主題は「お母さん」であることがわかりますよね。

では子どもが「晩ごはんは?」と言ったらどうでしょうか。

  • 晩ごはん、お母さんが(台所で)作っているよ。

「晩ごはん」について話したいので、「お母さんは…」とは言いません。

「を」の代わりに「は」がついて文頭に来ることで、「晩ごはん」が会話の主題になっています。

お分かりのように、「は」は話の主題が何かによって「が」だけでなく「を」の代わりにも使われます。

イメージとしては文の主題であることを示すために、「が」などの格助詞の上に「は」を張り付けているような感じです。

そもそも「は」と「が」が混同されやすいのは、本来格助詞「が」で表される出来事の主体が話の主題とイコールになっている場合が多いからです。

また、英語などの主語(subject)が「は」と「が」どちらにも対応するように見えるから、という理由もあるようです。

ここまでで「は」と「が」は、根本的に考えるレベルが違うということがお分かりいただけたかと思います。

でも、これだけでは「は」と「が」どちらを使えばいいか判断しづらいですよね。

ここからは、「は」と「が」を使い分けるための基本的なルールを紹介します。

「は」と「が」の使い分け①:情報のルール(新情報か旧情報か?

まずは、文中の情報に関するルールです。

「伝えたい情報(新情報)には「が」、すでに分かっている情報(旧情報)には「は」を使う」

話し手は知らない情報を主題にすることはできないので、「が」を使います。

  • あの人社長です
  • あの人社長です。

この2つの文の違いを考えてみましょう。

上の文はお互い「あの人」を見ている状況で「あの人」について教える場合です。

つまり「あの人」はもうお互いにわかっている情報、伝えたいのは「社長だ」という情報です。

下の文は、社長がいる場所で、社長がどの人か知らない人に「あの人だよ」と教える場合です。

つまり、「社長」はもうわかっている情報、伝えたい情報は「あの人」です。

これらのことをざっくりまとめると以下のように言えます。

情報に関するルール

「は」の文では、伝えたい情報は「は」の後に来る。

「が」の文では、伝えたい情報は「が」の前に来る。

 

「は」と「が」の使い分け②:文の性質のルール(現象文か判断文か?)

次に、文の性質に関するルールです。

「現象をそのままいうときは「が」、判断、評価したときは「は」を使う」

見たままの状態をそのままいう文(現象文)の場合、「が」を使います。

  • (外を見て)あ、雨降っている。

上の例のように何かを発見した場合によく使われます。

一方で、見たものを認識して一般的な性質や属性についての判断を言う場合、「は」を使います。

  • 社長よく飲みに行く。(動詞文)
  • 沖縄の海きれいだ。(形容詞文)
  • 社長だ、(名詞文)

形容詞文や名詞文は、そのもの(人)の性質や属性を表すことが多いので、以下のように言えます。

文の性質のルール

形容詞文と名詞文は基本的に「は」を使う。

 

「は」と「が」の使い分け③:文の構造のルール(

「は」と「が」に関する文法上のルールもあります。

「従属節・名詞修飾節の中では「が」を使う」

  • うちに来たとき(従属節)、私は出かけていた。
  • 作った(名詞修飾節)料理はこれです。

「~たら、~と、~ので、~なら」のような従属節の中と、名詞修飾節(連体修飾)の中では「は」は使えません。

  • (が◯)うちに来たら、お茶を出してください。(〜たらを使った文)
  • (が◯)行ったことのある国は、日本だけです。(名詞修飾節の文)

これは、基本的に文の主題は主節に来るためです。

以上が、「は」と「が」の基本的な使い分けのルールです。

ここからは「は」と「が」それぞれの持つ、そのほかの用法について説明します。

「は」と「が」の使い分け④:覚えておきたいそのほかの使い方

対比の「は」

実は「は」には主題以外に対比の働きを表すことがあります。

  • ひらがな書けますが、漢字書けません。

「ひらがな」と「漢字」を対比させて言いたいので「は」を使っています。

  • 降っています。

使い分け②で現象をそのままいうときは「が」、「雨が降っている」という例を出しましたが、「雨降っている」というと、「雨は降っているが、雪は降っていない」のような他のものと対比しているニュアンスになります。

排他の「が」

格助詞「が」にも主体以外の働きがあります。

排他(または総記)と呼ばれ、いくつかの候補の中から「まさにこれ!」と示すような働きです。

そのため排他の意味で「が」を使うと「ほかならぬ~」というようなニュアンスが出ます。

  • 社長です。

これも先ほど「彼は社長です。」という例を出しましたが、ここで「が」を使うと、「ほかの誰でもなく、彼が社長だ」という排他の意味になります。

対象の「が」

また、格助詞「が」には対象の働きもあります。

「好きです」、「上手です」、「わかります」、「見えます」などは対象を格助詞「が」で表すことが決まっています。

 

以上が「は」と「が」の違いについての解説でした。

実際にはもっと細かいルールがいろいろありますが、外国人に「は」と「が」について質問されたら、まずはここで紹介したルールのどれかにあてはまらないか考えてみましょう。


まとめ

  • 「が」は主体を表す格助詞、「は」は主題を表すとりたて助詞
  • 伝えたい情報には「が」、すでに分かっている情報には「は」を使う
  • 現象をそのままいうときは「が」、属性、性質をいうときは「は」を使う
  • 従属節と名詞修飾節の中では「が」を使う
  • 対比を表すときは「は」、排他を表すときは「が」を使う
  • 「好きだ、わかる」など対象に「が」をとる動詞や形容詞がある


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 SPTT のコメント。

<わかりやすく、くわしい>説明なのだが


  • 降っています。

使い分け②で現象をそのままいうときは「が」、「雨が降っている」という例を出しましたが、「雨降っている」というと、「雨は降っているが、雪は降っていない」のような他のものと対比しているニュアンスになります。

はちょっと説得力に欠ける。

<雨が降る>が普通で<雨はふる>は例外的だ。

雨は降っているが、風はない。 (対比)

まだ雨が降っていますか? (まだ雨は降っていますか? でもよさそう) ー はい、雨はまだ降っています。ー 問われた雨降り (既知) についての報告。

雨は降るもの(一般的な性質や属性についての判断を言う)、降らなきゃ日照りだ。

ーーーー

<とりたて助詞>の<とりたて>は、<は>につて言えば選択肢を残した限定で、ここがミソ。<とりたて>が<主題を表す>はもっと説明がないと説得力がない。

手元の三省堂辞典では、わかりにくいが

副助詞

判断の対象や叙述の内容が、その範囲内に限られることを表す。

この紙は白い。
映画はよく見る。
箱は大きい方がいい。

とある。

この紙は白い。(他の紙もあり、白くない可能性を残すが、この紙について言えば)
映画はよく見る。(テレビや新聞も見るが、映画について言えば)
箱は大きい方がいい。(箱以外テープやメモ用紙や筆記具が必要だが、箱について言えば) 

 

<対象の「が」>については、だいぶ前に

対格の格助詞<が> (2013)
私は何も見えない-2、対格をを示す<が>-2 (2017)

 というポストを書いているが、今回新しい発見をした。それは

リンゴが食べたい。

の<が>は

 

対象の「が」

また、格助詞「が」には対象の働きもあります。

「好きです」、「上手です」、「わかります」、「見えます」などは対象を格助詞「が」で表すことが決まっています。

というルールに従う(のポストも同じようなことが書いてある)のだが、見方を変える、広げると、

リンゴが食べたい。

の<リンゴ>は発話者が聞き手に伝えたい新情報で、言い換えると 

(私が) 食べたいのはリンゴだ。 

これは一種の強調構文。リンゴは決して目的語ではない。そもそも、日本語では

私はリンゴを食べたい。

とは言わない。また

リンゴが食べたい。
リンゴは食べたい。  

を比較すると

(他のモノはとにかく) リンゴが食べたい。 排他の「が」。
(他にも食べたいものがあるが) リンゴは食べたい。  選択肢を残した限定。

 となり、ルール通りだ。だが見方を変える、広げると、

リンゴが食べたい。

のリンゴは主題、つまりは<リンゴについて言えば、私はそれが食べたい>は持って回った言い方で

リンゴが食べたい。
(私が) 食べたいのはリンゴだ。

のインパクトがない。 この発話上のインパクトを重視した場合

リンゴが食べたい。  

の<が>は文法的な<対象を表す>以上のものがある。これを<インパクト助詞>といえないか? <インパクト助詞>は決して文法的な格助詞ではない。どちらかというと中国語の語気助詞にちかい。もっとも、<語気助詞は文法助詞ではない>というのがわたしの個人的な見解だが。

 

sptt


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