Tuesday, December 4, 2012

形容動詞の分類 - 2 <な>と<の>、第二のリトマス試験紙

前回のポスト<形容動詞の分類>で形態上の分類を試みてみたが、<形容動詞もどき>の言葉がけっこうある。いまははっきりしないが、なんらかの基準にしたがって分類してみた。
 
<な>と<の>は形容動詞判定のリトマス試験紙として使えるのではないか?

別の
他(ほか)の
同じ(の)
同様の、異様な
例の、あの
 
<別>は中国語で<bie>(普通語)、広東語で<bit>なので、中国語由来。<ほかの>は大和言葉だ。この二つは英語の another, other の訳語になるが、使用頻度からして英語の different にも相当する。英語の different はふつう<ちがう、ちがった>、<ことなる、ことなった>と訳される(英語の現在分詞、過去分詞に相当)。これらは修飾語ではあるが、純粋の形容詞や形容動詞ではない。英語の different は動詞 to differ 由来だが、れっきとした形容詞だ。中国語の<別>は形容詞のように使う場合は<別的>になるようだ。

形容動詞活用を見てみる。

別で(中断)、、、 別である、別でない、別になる、別にする、別に行う(副詞用法)、別だ、別だった、別の(<別な>もOK)、別ならば

<他(ほか)の> もほぼ同じだが、<他(ほか)な>はダメ。

<同じ(の)> もほぼ同じだが、<同じの>も<同じな>も名詞修飾用法としてはダメで<同じ>になる。

<同様の>も<別の>と同じで形容動詞活用があり、<同様の>でも<同様な>でもOK.

<異様な>は純形容動詞で<異様の>はほとんど使われない。

異様で(中断)、、、、異様である、異様でない、異様になる、異様にする、異様に行う(副詞用法)、異様だ、異様だった、異様の(ダメ)、異様な、異様ならば

<例の>は<あの>というような意味で使われる。 <例の>は形容動詞活用を見てみる。

例で(中断)、、、、例である、例でない、例になる、例にする、例に行う(副詞用法)、例だ、例だった、例の、例な、例ならば

通例や事例や例題の<例>ならよさそうだが、この場合<例の>はおかしいし(<事例の>、<例題の>ならいい)、<例な>はダメだ。<事例な>、<例題な>もダメ。通例や事例や例題はどう見ても名詞(体言)だ。名詞に<な>はつかず<の>がつく。

<別の>でも<別な>でもいい。<同様の>でも<同様な>でもOK.これはどういうことか。

<別>と<同様>は普通の名詞(体言)とは言えない。<別は、、、>、<同様は、、、>とは言えないのだ。<同じ> も<同じは、、、>とは普通言えない。<同じということは、、、>といった特別な場合はある。<異様>も<異様は、、、>とはまず言わない。<例の>も <あの>という意味で<例は、、、>とは言えない。したがって、<同じ>、<異様>、<例>は普通の名詞(体言)ではない。

形容詞の特徴である-<さ>がつくでためしてみる。

別さ - ダメ
他(ほか)さ - ダメ
同じさ - ほぼダメ
同様さ - ほぼダメ
異様さ - OK
例さ - ダメ

<異様さ>だけが、無条件でOKだ。名詞(体言)を修飾する場合、<異様>には<の>はつかず、かならず(無条件に)<な>がつく。したがって、<異様な>は純形容動詞といえる。

---
多くの
たくさんの、
少しの (わずかな)
十分の(な)
余(あま)りの
残りの
多少の
ちょっとの
ほとんどの (部分)
大抵の   (部分)
かなりの (かなりな)
大体(だいたい)の
ひとつの(single)
一口の
一切(ひときれ)の

数、量、割合(部分)関連の語だ。実際チェックしてみたが、かなり複雑だ。

形容動詞活用を見てみる。

多くで(中断)、、、、多くである、多くでない、多くになる、多くにする(ダメ)、多くに行う(ダメ)、多くだ、多くだった、多くの、多くな(ダメ)、多くならば(ダメ)

かなり問題がある。<多くの>は純形容詞<多い>の連用形<多く>に<の>がついた形だ。動詞と同じく形容詞の連用形には名詞化(体言化)の働きがある。

多くである  --> 意味は<多くある>、すなわち<多い>ではない。この純形容詞<多い>があるため、<多くである>は<多くの場合である>の意になる。

多くでない、多くではない(*) --> 意味は<多くない>でも<多くはない>でもない。<多くではない>は<多くの場合ではない>あるいは<多くの 部分ではない>、<大部分ではない>の意、もっと正確に言えば<多くの場合というわけではない>あるいは<多くの部分というわけではない>、<大部分と いうわけではない>の意になる。
(*)否定の場合、形容詞でも形容動詞でも助詞<は>がつく。 この<は>の働きはなにか?

多くになる --> <多くなる>ではない。<多くの部分になる>の意だ。
多くにする(ダメ) --> <多くする>ではない。 <多くにする>は意味をなさない。
 やはり純形容詞<多い>の影響がある。 

多くに行う(ダメ) --> 多く行う  <多く>は形容詞<多い>の連用形。

多くな(ダメ)

多くならば(ダメ) --> 多いならば  <多くならば>は意味をなさない。


たくさんで(中断)、、、、たくさんである、たくさんでない、たくさんになる、たくさんにする、たくさんに行う(ダメ)、たくさんだ、たくさんだった、たくさんの、たくさんな(ダメ)、たくさんならば

<たくさん>は相当複雑。なにせ語源不詳なのだ。

 たくさんである - この意味は<もういらない>、<もう十分だ>、<十分すぎる>。<多くある>という意味では<で>のない<たくさんある>になる。


たくさんでない、たくさんではない -  <もういらない>、<もう十分だ>、<十分すぎる>の反義語にはならない。<たくさんではない>は<多くはない>とほぼ同じ。では反義語は何かというと  - <もういらないというわけだはない>、<もう十分だというわけだはない>、<十分すぎるというわけだはない>とかなり長くなる。

たくさんになる - <多くなる>とほぼ同じ。
たくさんにする - <多くする>とほぼ同じ。

たくさんに行う(ダメ) --> たくさん行う  <多く行う>と同じではない。たくさんは量または頻度が多いことを示す。一方<多く>はどちらかというと頻度または割合さらには選択されたモノ、コトの頻度を示す。受身形にするとこの差がよく出る。

xxが(は)たくさん行われる。
xxが(は)多く行われる。

xxが(は)たくさん歌われる。
xxが(は)多く歌われる。

たくさんだ - <多い>ではない。<多い>の意には<多い>がすでにあるのだ。<たくさんだ>この意味は通常<もういらない(ほどある)>、<もう十分 だ(なほどある)>、<十分すぎる(ほどある)>。<多い>という意味で<おお、こんなにたくさんだ>とは言える。<おお、こんな多い>とは微妙に違う。

おお、こんなにたくさんだ。 - <少し>との対比が意識されている。<少ない>との対比はあまり意識されていない。
おお、こんなに多い。  - <少ない>との対比が意識されている。<少し>との対比はあまり意識されていない。

たくさんだった - <多かった>の意にもなりえるが、普通は<もういらないほどあった>、<もう十分なほどあった>、<十分すぎるほどあった>、<もういらなかった>の意だ。

<たくさんの>が普通。<たくさんな>は基本的にダメ。

たくさんならば - <多ければ>の意にも<もういらない(ほど)ならば>、<もう十分(なほど)ならば>、<十分すぎる(ほど)ならば>の意にもなる。


少しで(中断)、、、、少しである、少しでない、少しになる、少しにする、少しに行う(ダメ)、少しだ、少しだった、少しの、少しな(ほぼダメ)、少しならば 

<少し>は<少し>の形で副詞機能が強く

<少しに行う>はダメで<少し行う>になる。形容詞的に<少しく>という言い方もあるが、一般的ではない。
<少しな>もダメではないが、<少しの>が圧倒的に普通の言い方。<少しな>に対しては形容<少ない>の連体形<少ない>がある。ただし<少しの>と<少ない>は違う。<たくさんの>と<多い>の違いに似ている。

少しで(中断) - 少なく
少しである - 少ない
少しでない、少しではない - 少なくない、少なくはない
少しになる - 少なくなる
少しにする - 少なくする
少しに行う(ダメ)--> 少し行う - 少なく行う
少しだ - 少ない
少しだった - 少なかった
少しの - 少ない
少しな  - 少ない
少しならば  - 少ないならば


おお、こんなに少しだ。 - <たくさん>との対比が意識されている。<多い>との対比はあまり意識されていない。
おお、こんな少ない。 - <多い>との対比が意識されている。<たくさん>との対比はあまり意識されていない。

英語とちがって、many (数)、much (量)の違いはないが <多い>、<少ない>の形容詞グループと<たくさん>、<少し>の副詞系グループはグループ間に違いがある。別途検討予定。


十分の(な)

十分で(中断)、、、、 十分である、十分でない、十分になる、十分にする、に行う(副詞用法)、十分だ、十分だった、十分の、十分な、十分ならば

<十分の>でもよいが、<十分な>が普通。ほぼ完全な形容動詞だ。
<十分な>は漢語由来でこれに相当する大和言葉は<たりた>、<たりている>、<たりる>(<たりる>の連体形)。叙述の場合は<たりる>でこれは連体形ではなく自動詞<たりる>の終止形。

これで十分。 これで十分だ。- これでたりる。

文法的には、 <これで十分>の<十分>は形容詞、<これで十分だ>の<十分だ>は形容動詞<十分な>の終止形となる。なんとなく変だが、こうしておく。別途検討予定。

問題は形容詞<十分>、形容動詞<十分だ>に相当する大和言葉の形容詞、形容動詞がないのだ。上で説明した<たくさん>はどうか?<たくさん>は語源不詳だ。

---
次の
初めの
中間の
半ばの
最後の
終わりの

これらは順序で、動かせない。言い換えれば、程度、度合い、<ほど>はない。次さ、初めさ、中間さ、半ばさ 、最後さ、終わりさ-はないのだ。

形容動詞活用を見てみる。

次で(中断)、、、 次である(ない)、次になる、次に行う、次だ、次だった、次の(<次な>はダメ)、次ならば

<始めの>の以下も例外なくこのパターンだ。

始めの OK - 始めな  ダメ
中間の OK - 中間な  ダメ
半ばの OK - 半ばな  ダメ
最後の OK - 最後な  ダメ
終わりの OK - 終わりな  ダメ

何故形容動詞<もどき>でとどまり、形容動詞になりきれないのか?
これらは順序で、動かせない。言い換えれば、程度、度合い、<ほど>はない。次さ、初めさ、中間さ、半ばさ 、最後さ、終わりさ-はないのだ。

---
いつもの
普通の
普段の 
通常の
一般の (一般的な)
平均の (平均的な)

これらの語も程度、度合い、<ほど>がない。 いつもさ、普段さ 、通常さ、一般さ、平均さ、大抵さ-はないのだ。 ただし<普通さ>よさそう。

形容動詞活用を見てみる。 

普通で(中断)、、、 普通である(ない)、 普通になる、 普通に行う、 普通だ、 普通だった、 普通の(<普通な>はよさそう)、 普通ならば
<普通な>はよさそうということは<普通な>は<形容動詞もどき>から<形容動詞>になりつつある、市民権を得つつあるということだ。<普通>も副詞としても用いられるが、<いつも>とちがって、副詞的ではない。

通常(中断)、、、 通常である(ない)、 通常になる、 通常に行う、 通常だ、 通常だった、 通常の(<通常な>はよさそう)、 通常ならば
<普通>とほぼ同じ状況。

一般で(中断)、、、 一般である(ない)、 一般になる、 一般に行う、 一般だ、 一般だった、 一般の(<一般な>はダメ)、 一般ならば
日本語としてあまりこなれていないが、 <一般な>がダメ以外は形容動詞活用だ。だが、もっと日本語らしいのは<一般的>だ。
一般的で(中断)、、、 一般的である(ない)、 一般的になる、 一般的に行う、 一般的だ、 一般的だった、 一般的の、<一般的な>のほうが普通、 一般的ならば
したがって、<一般的な>は完全な形容動詞だ。
漢字の国中国では<一般>は形容詞用法してかなり使われてる。

我的普通话一般。

あまり自信はないが、これで<わたしの普通话は普通です>の意だ。

(注意)

1)日本語の<は>が 中国語ではない。形容詞は<は>(是)をとらない。名詞(体言)の場合はいる。 我是日本人。 しかし中国人の<私中国人。あなた日本人>はよく聞く。

2) <わたしの普通话は普通です>はけっして<一般、普通=まあまあ>ではない。<わたしの普通话は普通です>は<わたしの普通话はダメです>の意になる。ミ エとか面子(メンツ)というよりは言語習慣なのだ。<我的日本话不好>とはいわない。<我的日本话一般、普通>だ。立場が変わり、日本語になれると中国人 でも<<わたしの日本語はダメです>と言うようになる。

日本語にも次のような例がある。

うなぎ弁当-上、中、並み(下とは言わない)


平均で(中断)、、、 平均である(ない)、 平均になる、 平均に行う、 平均だ、 平均だった、 一平均の(<平均な>はダメ)、 平均ならば
<平均な>はダメとは言い切れないようだが、普通は <平均的な>なる。これも<一般な>とおなじで、<平均的な>で完全な形容動詞だ。

普通の、普段の 、通常のは<の>を除いた<普通>、<普段> 、<通常>で副詞になる。形容動詞というよりは副詞なのだ。一方、一般の、平均の、だけでは副詞になれず<一般に><一般的に>、<平均して>、<平均的に>となる。

<的>の働きはなにか?

---
すべての
全部の
一切(いっさい)の 
まったくの

これらの語は100%の意なので、程度、度合い、<ほど>がない。 すべてさ、全部さ 、一切さ、まったくさ-はないのだ。 ほとんど聞かないが<まったきさ>はOKか.

形容動詞活用を見てみる。 

すべてで(中断)、、、 すべてである(ない)、すべてになる、すべてにする(ダメ)、すべてに行う(ダメ)、すべてだ、すべてだった、すべての(<すべてな>はダメ)、すべてならば

<すべてである>はいいが<すべてでない>はダメで<すべてではない>となる。なぜ <すべてでない>はダメなのか? <すべてにする><すべてに行う>がダメなのは<すべて>は形容動詞としての動詞(用言)修飾がダメで、それは<すべて>で副詞になるからだ。だが、<行う>を自動詞の<行く>にすると<すべてに行く>でOK.

<全部の>は<全部にする><全部に行う>の<全部に><全部>が対象になってしまう。<全部する><全部行う>の<全部>は副詞になってしまう。<xxはこれで全部になる>はいいが<xxをこれで全部にする>はややおかしい。いづれにしても、<全部の>はいいが<全部な>はダメだ。
 <いっさいの>は<いっさいならば>があまり聞かないがOKとすれば、やはり<すべての>に準ずる

<まったくの>は<まったくある>はダメで<まったくない>と否定専用でかつ副詞の働きだ。<まったくになる><まったくにする>もダメ。<まったくに行う>もダメ。<まったく行わない>とこれも否定ならOK.ただし<まったくに行わない>はダメ。<まったくだ>は慣用でもとの<まったくの>の意味からずれている。<まったくの>はいいが<まったくな>はダメ。ただし<まったくの>は使用はかぎられており、<まったくの事実>は基本的にダメで<まったくのうそ>ならいい。<まったくならば>はダメ。<まったく>は否定的な言葉で、どちらかというと副詞てきだ。もとは<まったし>で、<まとも>、<まっとう>は関連語だろう。

---
いつもの
常(つね)の
大抵(たいてい)の (頻度、場合)(-頻繁な)
大概の
ほとんどの (頻度、場合)
ときどきの 
しばらくの、しばらくぶりの
一時の (一時的な)


これらの語は頻度を表し、<の>がなければ副詞として動詞を修飾する。ただし<常(つね)>は<常に>で副詞となる。

形容動詞活用を見てみる。   

いつもで(中断)、、、 いつもである、いつもでない(ダメ)、いつもになる(ダメ)、いつもにする(ダメ)、いつもに行う(ダメ)、いつもだ、いつもだった、いつもの(<いつもな>はダメ)、いつもならば
いつもにする(ダメ)-->いつもする、いつもに行う(ダメ )--> いつも行う
<いつも>は副詞だ。

 常で(中断)、、、 常である、常でない(ダメ)、常になる(ダメ)、常にする、常に行う、常だ、常だった、常の(<常な>はダメ)、常ならば

<常にする>は<xxを常にする>とみれば形容動詞的にもとれるが、普通は<xxを常とする>で<xxを常にする>の<常に>は副詞だ。

 大抵(たいてい)で(中断)(ダメ)、、、 たいていである(ほぼダメ)、たいていでない(ダメ)、たいていになる(ダメ)、たいていにする(ダメ、副詞としてはOK)、たいていに行う(ダメ、、副詞としてはOK)、たいていだ(ほぼダメ)、たいていだった(ほぼダメ)、たいていの(<たいていな>はダメ)、たいていならば

<たいてい>は副詞だ。 <たいていの>も<たいていの場合>ぐらいでと使用はかぎらる。
 <大概の>は<大抵の>に準ずる。

ほとんどで(中断停止)、、、 ほとんどである、ほとんどでない(ダメ)、ほとんどになる(ダメ)、ほとんどにする(ダメ)、ほとんどに行う(ダメ)、ほとんどだ、ほとんどだった、ほとんどの(<ほとんどな>はダメ)、ほとんどならば
<ほとんど>も<たいてい>とほぼ同じで、<ほとんど>は副詞だ。

ときどきで(中断)、、、 ときどきである、ときどきでない(ダメ)、ときどきになる(ダメ)、ときどきにする(ダメ)、ときどきに行う(ダメ)、ときどきだ、ときどきだった、ときどきの(<ときどき な>はダメ)、ときどきならば
<ときどき>も<たいてい><ほとんど>とほぼ同じで、<ときどき>は副詞だ。

 しばらくで(中断)、、、  しばらくである、 しばらくでない(ダメ)、 しばらくになる(ダメ)、 しばらくにする(ダメ)、 しばらくに行う(ダメ)、 しばらくだ、 しばらくだった、 しばらくの(< しばらくな>はダメ)、ならば

<しばらくぶりの>はほぼ完全な形容動詞になる。
 しばらくぶりで(中断)、、、   しばらくぶりである、  しばらくぶりでない、  しばらくぶりになる、  しばらくぶりにする(ダメ)、  しばらくぶりに行う、  しばらくぶりだ、 しばらくぶりだった、 しばらくぶりの(<  しばらくぶりな>でもよい)、 しばらくぶりならば 
<しばらくぶりにする>の<しばらくぶりに>は(静かにのような)情態、状況ではなく頻度なので頻度を示す副詞になってしまう。

一時で(中断)(ダメ)、、、  一時である(ダメ)、 一時でない(ダメ)、 一時になる(ダメ)、 一時にする(ダメ)、 一時に行う(ダメ)、 一時だ(ダメ)、 一時だった(ダメ)、 一時の(< 一時な>はダメ)、一時ならば(ダメ)

<一時の>だけで、他は全部ダメ。<一時的の>なら、ほぼ完全な形容動詞になる。
  
一時的で(中断)、、、  一時的である、  一時的でない、  一時的になる、  一時的にする(ダメとはいえない)、  一時的に行う、  一時的だ、 一時的だった、一時的の、<一時的な>が普通、 し一時的ならば 

---
近くの
そばの
遠くの
脇(わき)の 
前の
後ろの
上の
下の
(この、その、あの、どの) 

 これらの語は場所をしめす。<近くの>と<遠くの>は形容詞由来で、<連用形(体言化)>+<の>。 その他は<場所を示す名詞(体言)+<の>だ。


形容動詞活用を見てみる。   

近くで(中断)、、、  近くである、  近くでない、  近くになる、  近くにする、  近くに行う(ダメ) 、近くだ、近くだった、近くの、<近くな>(ダメではない)、 近くならば 
<近くに行う>はダメで<近くで>になる。<で>は場所を示す助詞だ。<に>も場所を示す助詞だが、方向や存在関連で、出来事や行為関連は<で>になる。<近くに行く>ならいい。<近くな>はダメではないが<近くの>が普通。これらをを除けば形容動詞だ。
<そばの>は<近くの>と同じ。<そばな>はダメだろう。
以下<脇(わき)の>、<前の>、<後ろの>、<上の><下の>もは<近くの>と同じ。
問題は<近くな>、<そばな><脇(わき)な>、<前な>、<後ろな>、<上な>、< 下な>で、まったくダメではなさそうだ。どこか古語のような感じがすろ。これはもともとの形が<なる>だったためだろう。名詞(体言)につく場合は<なる>で、昔は<近くなる>、<そばなる><脇(わき)なる>、<前なる>、<後ろなる>、<上なる>、< 下なる>だったはずだ。<なる>--><な>--><の>の二段変化か、あるいは<なる>--><の>二段変化か?

---
本当の
まことの、 真(しん)の
うその
偽(にせ)の
ごまかしの

 これらの真偽関連の語だ。<の>がなければ名詞(体言)だ。


 形容動詞活用を見てみる。   


本当で(中断)、、、  本当である、  本当でない、  本当になる、  本当にする、  本当に行う 、本当だ、本当だった、本当の、<本当な>(ダメではない)、 本当ならば 

まこと(中断)、、、  まことである、  まことでない、  まことになる、  まことにする(あまり聞かない)、  まことに行う(あまり聞かない) 、まことだ、まことだった、まことの、<まことな>(ダメではない)、 まことならば 
<まことにする>、 <まことに行う>は古語の感じがすろ。<本当>に押し出されてしまったのではないか?

真(しん)中断)、、、  真である、  真でない、  真になる、  真にする、  真に行う、真だ、真だった、真の、<真な>(ダメではない)、 真 ならば 
<真に行う>と<真の>以外はダメではなさそうだが、<本当>や<まこと>を使うのが普通だ。

うそで(中断)、、、  うそである、  うそでない、  うそになる、  うそにする(ダメではない)、  うそに行う(あまり聞かない) 、 うそだ、 うそだった、 うその、< うそな>(ダメではない)、 うそならば 

偽(にせ)で(中断)、、、  にせである、  にせでない、  にせになる(ダメではない)、  にせにする(ダメではない)、  にせに行う(あまり聞かない) 、 にせだ、 にせだった、 にせの、<にせな>(ダメではない)、 にせならば 

<うその>と<にせの>はにている。

 ごまかしで(中断)、、、   ごまかしである、   ごまかしでない、   ごまかしになる、   ごまかしにする(ほぼダメ)、   ごまかしに行う 、  ごまかしだ、  ごまかしだった、  ごまかしの、<  ごまかしな>(ダメ)、  ごまかしならば 

<ごまかしにする>はほぼダメで<xxをごまかす>になる。かなり形容動詞に近い。

-- 
かなりの (かなりな)
なかなかの
そこそこの
ほどほどの
まあまあの


これらの程度関連の語だ。<の>がなければ副詞として動詞を修飾する。
形容動詞活用を見てみる。 

かなりで(中断)、、、 かなりである、かなりでない(ほぼダメ)、かなりになる、かなりに行う(ダメ)、かなりだ、かなりだった、かなりの(<かなりな>はよさそう)、かなりならば 
<かなりでない>は<xxはかなりではない>と言えそうだが、<xxはけっしてかなりではない>とか<xxはかなりというわけではない>が正確。<かなりに行う>はダメだが<かなり行う>はよささそう。ただし<かなり>は副詞になっている。

なかなかで(中断)、、、 なかなかである、なかなかでない(ほぼダメ)、なかなかになる、なかなかにする、なかなかに行う、なかなかだ、なかなかだった、なかなかの(<なかなかな>はよさそう)、なかなかならば 
<かなり>とは逆で、<なかなかに行う>はいいが<なかなか行う>はダメ。

そこそこで(中断)、、、 そこそこである、そこそこでない(ほぼダメ)、そこそこになる、そこそこにする、そこそこに行う、そこそこだ、そこそこだった、そこそこの(<そこそこな>はよさそう)、そこそこならば 
<そこそこに行う>も<そこそこ行う>もOK.意味もほぼ同じ。
 

まあまあで(中断)、、、 まあまあである、まあまあでない(ほぼダメ)、まあまあになる、まあまあにする、まあまあに行う、まあまあだ、まあまあだった、まあまあの(<まあまあな>はよさそう)、ならば 

<まあまあに行う>も<まあまあ行う>もOK.意味は違う。

sptt


No comments:

Post a Comment