Saturday, December 15, 2012

わたしは楽しい。わたしは悲しい。


<わたしは楽しい>、<わたしは悲しい>は翻訳文としては存在するが、実際に聞くことはめったにない。実際に聞くとすれば、次のような発話だろう。

わたしは楽しい、といっているのだ。

わたしは悲しい、のだよ、君。

以上の発話は何を意味しているかというと、上記二つの例は自分を客観視した、自分の感情に関する発話なのだ。

I am happy.

<わたし、幸せ>は聞くかもしれないが、<わたしは幸せだ>、<わたしは幸せだです>とはまず聞かないない。英語では<幸せ>を意識しないで使われる場合が多く、これは<わたしは楽しい>に近い。だが、日本語ではまずこうも言わない。<わたしは幸せだ>、<わたしは幸せだです>、<わたしは楽しい>をまず聞かない、言わないのは、こういう発話がおかしいからだ。<おかしい>が曖昧であれば、天真爛漫な子どもの言い方(実際、天真爛漫な子どもは少なく、ちび丸子のような子供がほとんどだろう)、または聞いて<しらけてしまう>言い方ではないか。

I am sad.

これも<わたしは悲しい>とはまず言わない。

I am happy.
I am sad.

この二つは少し考えると少しおかしい。たくさん考えるとますますおかしい。これらは感情表現。他の英語の感情表現を検討みる。

I am glad.
I am angry.
I am sorry.

I am delighted.
I am pleased.
I am frightened.
I am disappointed.
I am impressed.
I am moved.

上の3例は形容詞による表現で、 I am happy. I am sad. と同じだ。下の6例は受身構文だ。I am angry. と I am sad. を除けば、I am happy. I am glad. I am sorry. は感情表現としても使われるが、日常よく使う慣用表現でもある-あまり感情が入っていない。一方、下の6例はかなり慣用化させれているが、感情の入り具合は大きい。受身形とはいえ、動詞が使われているので感情が動かされている感じがでている。これに対し形容詞による表現は静的だ。

だが、問題はこの違いだけではなさそう。自分の感情を表現するには自分を見ているもうひとつの自分が必要になる。表現もそのようになるのがこのましい。形容詞による静的な表現はある意味で第三者的な発話だ。これが<しらけてしまう>言い方に聞こえるのひとつの原因だろう。

I am happy.  I am sad. I am angry. は

Are you happy?  Are you sad? Are you angry?

という質問に対する答えとしてはいいだろうが、みずから発話するのは少しおかしい。

Are you glad?  Are you sorry?  はあまり聞かない。


sptt



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