<わかる>は自動詞。英語の to understand は他動詞。
自動詞<わかる>に対して他動詞の<分ける>がある。モノゴトを<分ける>、<分けて考える>と内容や仕組み、理由や原因が<わかってくる>、<見えてくる>、<現れてくる>といった自動詞的な世界での理解の仕方(わかり方)だ。英語の to understand は文字通りの <under + stand >ではない。(末尾参照)。ネット辞書 Reverso English - Italian チェックしてみた。
understand
( understood pt, pp )
1 vt
a (gen) capire
to make o.s. understood farsi capire
do you understand? capisci?
以下略
一番目の例は to make o.s (oneself) understood で使役形みたいだが、oneself なので再帰動詞用法になる。一番目の例になるほどよく聞く文句ではない。というか、わたしは聞いたことがない。<自分自身をわからせる、わかった状態にさせる>でこれは自動詞相当の<わかる>になるか。あるいは<自分によく言い聞かせる>といった意味になるか。なぜこれが to understand の一番目の例になるのか理由がありそうだが、なぜだかわからない(推測がつかない)。また他動詞としているが、目的語がない。
capire
1 vt to understand
si capisce che... it is clear that ...
si capisce! (certamente!) of course!, certainly!
si capisce che は非人称の再帰動詞用法。直訳すると<ひとはxxがわかる>に近い。英語では普通 you understand that となる。it is clear that
は意訳で、これは後から出てくる中国語の<明白>相当だ。新聞報道では
it is understood that
というのをよく目にする。相当表現では
we learn that も新聞報道でよく目にする。なにか責任のがれの報道の感じがする。
以下略(続けると話が長くなり横道にそれそうで、あえて<以下略>とした。
解説(一部だけコピー、ペイスト)は他動詞となっているが、他動詞らしくない。よく使われるのは目的語のない
I understand.
Do you understand ?
Capisco. Ho capito.
中国語が参考になる。おそらく<わかる>、<わかった>に相当する日常語は
明白(mingbai)だ。<明白>だけでも十分通じるが
我明白。
你明白吗?といったりする。<明白>は動詞というよりは形容詞の感じだ。また動詞としても、自動詞だろう。そして<我>、<你>に限らず
xx(なになに)明白。
という言い方も聞く。
<手品のタネ明(あ)かしをする>という言い方があるが、これをすると<手品のタネが明(あきら)かになる>。言い換えると<手品のタネがわかる>だ。<明白>以外では<了解(liaojie)>、<知道(zhidao)>もよく耳にするが、<わかる>、<to understand>に近いだろう。少しずれるが<道理>を使った<有道理(youdaoli)>もよく聞く。<どうりで>だが<どうりで、それでわかった>ではなく<(君の言うことは)もっともだ、正しい)といった賛同、同意の意味だろう。
さて、<わかる>に似て非なる動詞に <知る>、to know がある。to know は他動詞。少し細かくいうと、英語の to know には<知る>(知るようになる)だけでなく、<知っている>の意味がある。英語ではこの区別がなく、辞書にっては<I am knowing という言い方はしない>という<注>がある。
イタリア語の to know 相当の動詞は sapere だが<Reverso English - Italian>でチェックしてみると、かなり長い解説で例文も多い。
know ( knew vb: pt) ( known pp )
1 vt
a (facts, dates) sapere
to know that ... sapere che...
to get to know sth venire a sapere qc
to know how to do sth saper fare qc
I don't know any German non so una parola di tedesco
he knows a lot about cars sa molte cose sulle macchine
以下略。
これまた続けると話が長くなり横道にそれそうなので、<以下略>とした。<知っている>の一部は conoscere という動詞が自動的に選ばれて使われる。
conoscere vb irreg
1 vt
a (gen) to know , (persona, avvenimento) to be acquainted with, know, (testo, abitudine) to be familiar with, know, (posto, ristorante) to know of
conoscere qn di vista to know sb by sight
lo conosco solo di vista I only know him by sight
l'ha conosciuto all'università she met him at university
<認識する>の英語は to recognize が相当するが、<わかる>、to understand より to identify に近い。to
identify の適当な日本語はない。ID card は<身分証明(カード)>と訳されている。to perceive
という動詞があるが、名詞形の perception
は<感受>で、見て得ること、聞いて得ること、一般的には<感じて得ること>。<認識>は<脳を働かせてえること>に近い。to recognize のイタリア語は reconoscere で、上の conoscere を参考にすると <to re-know (再び知る)>で意味ありげだ。
おもしろいのは現代中国語の<认识, renshi (認識)>で
我认识(だれだれ)
で<(だれだれを)知っている>の意がある。これはよく耳にする。日本語の認識(にんしき)の意での<认识, renshi >は聞いたことがない。認識(にんしき)というと認識論で哲学や心理学になりそうだ。実際<知る>は<わかる>よりも哲学っぽいところがある。
おのれ(なんじ)自身を知れ。(ソクラテス)。
おのれを知り、敵を知らば、百戦危うからず。 (孫子)
孫子の方は
おのれがわかり、敵がわかれば、百戦危うからず。
で問題ない。総じて<知る>は表面的に知識として知っているで、<わかる>は本当に、深く<わかる> なので、むしろこの方がいい。
ソクラテスの方は
<おのれ自身がわかる>ではなく<おのれ自身のことがわかる>で<おのれ自身を知る>になる。<わかる>は自動詞なので
おのれ自身がわかれ。
となるが、変な日本語だ。
おのれ自身をわかれ。
は文法違反だ。 <わかる>が哲学っぽくならないのは<わかる>が自動詞のためだろう。<なんとなくわかる>では哲学にならないのだ。
<知る>と<わかる>区別
<知る>は他動詞、<わかる>は自動詞。<受身>用法をチェックしてみる。<<知る>の受身形は<知られる>で
xx が(は)よく知られている
というが、<知れる>という自動詞がある。
xx が(は)よく知れている
となるが、ほとんど聞かない。自動詞<知れる>は他動詞<知る>にくらべるとおもしろい慣用表現が多いようだ。これは気にしていい現象ではないか?
気心(きごころ)の知れた
そんなことは知れたことだ。 (知られたこと、とは言わない)
広く知れている(ダメ) - 広く知られている(OK)
知れ渡(わたる) 悪評判が知れ渡っている。 好評判が知れ渡っている(多分ダメ)
たかが知れている。 (この<たか>は<たかさ>のことだろう) たいしたことはない。
計(はか)り知れない
気が知れない
えたいが知れない (正体がわからない)
xx かもしれない
これは it may be xx, Hanako may come を訳せといわれると、<xx かもしれない>とする翻訳常套句だ。
<知れる>は<知り得(え)る>、<知れない>は<知り得(え)ない>由来だろう。
一方<知る>の常套句は
おれの知ったことじゃない。
これは上で述べた <it is understood that というのをよく新聞報道で目にする。. . . . . なにか責任のがれの報道の感じがする> に関連がありそうで<知る>、<知っている>の意味に関係しているのではないか?
知ってるくせに
知ったかぶり(をする)
ややこしいが<知らす>という他動詞があり
知らされている
という。日本語には自動詞の受身というのがあり、大体被害を表わす。
わかる(自動詞)
わかられる、わかられている、わかられてしまう
も被害受身だが、なぜか他動詞の<知る>も同じような意味になる。
企(たくら)みはもう知られている、xx はもう知られてしまっている
は問題なさそうだが、<知られるとこまる>は
xx は知られるとこまる
太郎はxx を知られるとこまる。
となり、わけがわからなくなる。
手もとの辞書に<知る>と<わかる>のやや長いわかったようでよくわからない解説がある。またネット辞書も利用できるが、そのまま引用したのでは進歩がないので、独自に調べることにした。
すこし調べてみればわかるが、日本語の<知る>と<わかる>のはっきり区別するのは難しい。だが、普通の日本人であればほぼ間違いなく使いわける。ただしあいまいな場合もある。
知り始める (OK) - わかり始める (OK)
知りかける (やや変だ) - わかりかける (OK)
知っている (OK) - わかっている (OK) (意味は違う)
知っているところだ(かなり変だ) - わかっているところだ(かなり変)
知りかけているところだ (やや変だ) - わかりかけているところだ (OK)
知っている (OK) - わかっている (OK) (意味は違う)
知っているところだ(かなり変だ) - わかっているところだ(かなり変だ)
知り終わる(かなり変だ) - わかり終わる (かなり変だ)
知り終える(かなり変だ) - わかり終える (かなり変だ)
以上は時間軸をからめた<知る>、<わかる>だが、<知る>も<わかる>も<始め>はあるが、<終わり>がはっきりしない。
知り尽(つ)くす (OK) - わかり尽くす (かなり変だ)
知り切る (OK) - わかり切る (OK) <切る>は cut ではなく、<すっかり>、<十分>、<十二分に>の意だ。<わかり切ったことを(くどくど)いうな>という常套句がある。
知り足りない (まれ) - わかり足りない (まれ) いずれもあまり聞かないが間違いではないだろう。
知りすぎる - わかりすぎる <知りすぎたのね>という歌の文句があった。<わかりすぎるほどよくわかる>という常套句がある。
知らない (OK) - わからない (OK) (たいていの場合、意味は違う)
知らなすぎる (OK) - わからなすぎる (あまり聞かないが、間違いではないだろう)
よく知っている (OK) - よくわかっている (OK) (意味は違う)
以上は大体<知る>、<わかる>の程度をいっているのだが、どうも判然としない。<知っているつもが、実は知らなかった>とか<わかっていたつもりがわかっていなかった>という言い方があるので、<知る>、<わかる>の程度は相対的なものだろう。<わかる>の方は<わかったようでわからない>という言い方もある。
まったく知らない - まったくわからない チンプンカンプンだ。
ちっとも知らない(知らなかった) - ちっともわからない
<ちっとも知らない>はあまり聞かない。
高等数学は、相対性理論は、抽象絵画はまったくわからない、ちっともわからない (チンプンカンプンだ)は<わかる>の意味を示唆している。
勉強して知ったが<わからない>状態では頭の中が混沌としているのだ。 この混沌を整理して分ける必要がある。<分ける>と一部が<わかる>ようになる。これをガマンして続けると<わかる>部分が多くなる。しかし、言葉に反するが、これは<わかった>状態ではない。肝心なのはそれからで、考えることが必要かつ重要。しかし、考えても一気にわかることはまれで、方法としては<わかる>部分をつなぎ合わせて(つなぎ方はいろいろある)考え、関連を見つける。関連には意味がある。これをさらにガマンして続けると<わかる>ようになる。<わかり>の程度、そして内容は人それぞれ違う。<わかり>の程度はきわめて相対的なものだ。大小にかかわらず<わかる>はよろこびであり、楽しみでもある。これが<わかる>に解説の一つになるだろう。
知りにくい (まれ) - わかりにくい (OK)
知りがたい (まれ) - わかりがたい (まれ)
まったく知らない - まったく知らない
知り合う (OK) - わかり合う (OK) (意味は違う)
知りたい (OK) - わかりたい (まれだがOK)
知り間違(まちが)える - わかり間違(まちが)える
知り違(ちが)える - わかり違(ちが)える
知り違(たが)える - わかり違(たが)える
以上6動詞は<誤解する>の大和言葉候補だが、実際には聞かない。 <誤解する>の大和言葉は<取り違(ちが)える>だが、<誤解する>が優勢だ。末尾の to understand の英語解説の中に to take、to grasp という動詞がある。<取る>(to take)他動詞の代表ともいうべき動詞だ。<to grasp = つかみ取る>も他動詞だ。
知り広がる - わかり広がる
知り広げる - わかり広げる
<知り広がる>は<ひろく知れ渡る>の意味で使われていそうだ。<知り広がる>は自動詞だ。これとは別に<知り広がる>、<知り広げる>は知識が広がる、知識を広げる、の意でいい日本語だと思うが使われていない。<わかり広がる>、<わかり広げる> はダメのようだ。
<わかる>は<外向き>ではなく<内向き>ということか。
知り過ごす(ダメ) - わかり過ごす(ダメ)
ダメだが、<知る><わかる>チャンスをの逃した、の意味になりうる。
聞き知る(OK) - 聞きわかる(ダメ)、聞いてわかる(OK)
見(み)知る(OK) - 見(み)わかる(ダメ) 、 見てわかる(OK)
<見知る>は<見て知る>というよりは<見て知っている>。<お見知りおきください>は常套句だ。
五感動詞を続けると
嗅(か)いで 知る(まれ) - 嗅(か)いでわかる(OK)
味わって知る(まれ) - 味わってわかる(OK)
さわって知る(まれ) - さわってわかる(OK)
で<わかる>はオールマイティだ。
<知る>、<わかる>の常套句(表現)
<知る>に比べて<わかる>の常套句(表現)ははるかに多い。
上でも下線をつけた
なぜだか知らない - なぜだかわからない
<なぜだか知らない>はそっけない、表層的な感じだ。
調べてみれば知れる(知ることができる) - 調べてみればわかる
常套句は<やってみればわかる>。日常常套句だが人によっては深い意味がある。別のポスト ”<チャレンジ、挑戦>のやまとことば>” (sptt やまとことばじてん)でとりあげたが
”
<やってみる>はやまとことばらしい言い方だ。、軽いニュアンスが逆にいい。
聞いみただけでは、忘れる。
見てみて、忘れれない。
やってみて、わかる。
という孔子の言葉がある。
I hear and I forget.
I see and I remember.
I do and I understand.
”
というのがある。
<なんとなくわかる>も常套句だが、意味深長だ。裏がえしの表現では<わかったようでよくわからない>という常套句がある。
xx のわけを知る(知った) - xx のわけがわかる(わかった)
xx のわけを知らない(知らなかった)- xx のわけがわからない(わからなかった)
<わけがわからない>は常套句だ。<わけ>は<わける>由来だろう。
わかる (自動詞) - わける (他動詞)
<わけ>は<理由>の意味になるが<わけがわからない>をそのまま<理由がわからない>で置き換えられない。連用形の体言(名詞)用法がある。
わかる -> わかり(て)、わかっ(て) <わかり>がいい、<わかり>悪い、<わかり>がのろい、<わかり>がはやい(早い、速い)
<のろい>、<(早い、速い>はプロセスを感じさせる。
<知り>がいい、悪い、<知り>がのろい、が早い
は基本的にダメだ。 なぜか<知る>の連用形の体言(名詞)用法の<知り>は活躍しない。<知る>プロセスはあるはずだが、<わかる>のプロセスに比べると時間的に短いようだ。
<わかる>は時間をかけて<実がなる>感じ。<知る>は<なった実をもぎ取る>感じだ。
わかれる -> わかれ(て) <わかれ>がつらい、ここが運命の<わかれ>め
わかつ -> わかち(て) <わかち>
わける -> わけ(て)、わけ与える <わけ>
<わけ>がわからない
<わけ>がある
わけ知り
わけ前
おすそ分け
わけても
とりわけ
と<わけ>は多方面に活躍する。
歌の文句が常套句になったようなのがある。
わかっちゃいるけど、やめられない。
これからすると<わかる>の上をいくモノがあるのだ。何か?
<わかる>の謎に挑戦
謎を知る - 謎がわかる
<謎を知る>は謎そのものを知ることで、謎は謎のままで、その<謎>が情報として頭にある、といった意味にとどまる。一方<謎がわかる>は場合によっては<謎が解ける、解けた>、<謎を解くことができる>の意になる。<場合によっては>は必要で、場合によっては<まだ解けてはいないが、謎というのはわかる、わかっている>の意にもなりうる。ここは微妙だが、<わかる>の特徴でもある。
きみはこの謎がわかるか? きみにこの謎がわかるか?
は奇妙な問いだ。
きみはこの謎がとけるか? きみにこの謎がとけるか?
ははっきりした、直接的な問いだ。
<謎がわかった>は<謎が解けた>に近い。
<問題を知る>も 問題そのものを知ること。問題は問題のままで、その<問題>が情報として頭に入(はい)っている、頭にある、といった意味にとどまる。一方<問題がわかる>は<問題が解決する、解決した>、<問題を解決することができる>の意にならない。しかし<問題を知る>とは次元が違う。だが、こういうからにはこの次元の違いを説明しなければならない。
疑問詞+<知る>、<わかる>
何かを知る - 何かがわかる
誰かを知る - 誰かがわかる
どこかを知る - どこかがわかる
どれかを知る - どれかがわかる
なぜかを知る - なぜかがわかる
この比較は<知る>と<わかる>の違いを示している。
<xx を知る>の場合は依然として疑問のまま、言い換えると疑問内容のことを言っている。一方<xx がわかる>は、場合によっては<知る>と同じく疑問内容のことを言っているとも解釈できるが、場合によっては疑問が解(と)かれ得ること、さらにはすでに解(と)かれたことも示唆する。特に<なぜかを知る - なぜかがわかる>は違いが明らかだ。
以上、いろいろ調べてみたが、とりあえずの結論は
<わかる>は<わかったようでよくわからない>謎の<理解の自動詞>。<わかる>は曲者なのだ。
おおかた繰り返しになるが、まとめとして、すくなくと次のことは言えそう。
1)<知る>は表面的に知識として知っている(頭の中にある)で、<わかる>は本当に、深く<わかる>
俗っぽいが<身にしみてわかる>という常套句がある。とはいえ、<わかる>も精神活動で骨や肉が関係しているとは考えられない。
2)<知る>も<わかる>も<始め>はあるが、<終わり>ははっきりしない感じがある。
<知る>プロセスはあるはずだが、<わかる>のプロセスにくらべると時間的に短いようだ。 <わかる>は時間をかけて<実がなる>感じ。<知る>は<なった実をもぎ取る>感じだ。
<知る>も<わかる>もプロセスだが、<わかる>は<知る>よりも複雑なプロセスだ。
知ったが<わからない>状態では頭の中が実際には混沌としているのだ。 この混沌を整理して分ける必要がある。<分ける>と一部が<わかる>ようになる。これをガマンして続けると<わかる>部分が多くなる。しかし、言葉に反するが、これは<わかった>状態ではない。肝心なのはそれからで、<考える>過程が必要。だが考えても一気にわかることはまれで、方法としては<わかる>部分をつなぎ合わせて考え、関連を見つける。これをさらにガマンして続けると関連を通通(とお)して混沌が意味を持ったものとして<見える>、<わかる>ようになる。<わかり>の程度、そして内容は人それぞれで大いに異なる。
つけ加えれば、順序として<知る>のあとに<わかる>が(出て)来るが、直観的に<わかる>場合があり、この場合は時間をかけた複雑なプロセスではなく、短時間のかなり単純、直接的な<わかる>になる。直観的な<わかる>は検証過程がないので、時としてまちがいもある。
3)<わかる>は<外向き>ではなく<内向き>といういことか。
<知る>は大いに外界からの刺激が関係する。<わかる>も外界からの刺激が助けになることもあるが、大体はヒトの内部(頭)の精神活動だ。
<末尾>
https://www.etymonline.com/word/understand
understand (v.)
Old English understandan
"to comprehend, grasp the idea of, receive from a word or words or from
a sign the idea it is intended to convey; to view in a certain way,"
probably literally "stand in the midst of," from under + standan "to stand" (see stand (v.)).
If this is the meaning, the under is not the usual word meaning "beneath," but from Old English under, from PIE *nter- "between, among" (source also of Sanskrit antar "among, between," Latin inter "between, among," Greek entera "intestines;" see inter-). Related: Understood; understanding.
That
is the suggestion in Barnhart, but other sources regard the "among,
between, before, in the presence of" sense of Old English prefix and
preposition under as other meanings of the same word. "Among" seems to be the sense in many Old English compounds that resemble understand, such as underniman "to receive," undersecan "examine, investigate, scrutinize" (literally "underseek"), underðencan "consider, change one's mind," underginnan "to begin."
It also seems to be the sense still in expressions such as under such circumstances. Perhaps the ultimate sense is "be close to;" compare Greek epistamai "I know how, I know," literally "I stand upon."
Similar formations are found in Old Frisian (understonda), Middle Danish (understande), while other Germanic languages use compounds meaning "stand before" (German verstehen, represented in Old English by forstanden
"understand," also "oppose, withstand"). For this concept, most
Indo-European languages use figurative extensions of compounds that
literally mean "put together," or "separate," or "take, grasp" (see comprehend).
The range of spellings of understand in Middle English (understont, understounde, unþurstonde, onderstonde, hunderstonde, oundyrston, wonderstande, urdenstonden, etc.) perhaps reflects early confusion over the elements of the compound. Old English oferstandan, Middle English overstonden, literally "over-stand" seem to have been used only in literal senses.
By
mid-14c. as "to take as meant or implied (though not expressed); imply;
infer; assume; take for granted." The intransitive sense of "have the
use of the intellectual faculties; be an intelligent and conscious
being" also is in late Old English. In Middle English also "reflect,
muse, be thoughtful; imagine; be suspicious of; pay attention, take
note; strive for; plan, intend; conceive (a child)." Also sometimes
literal, "to occupy space at a lower level" (late 14c.) and,
figuratively, "to submit." For "to stand under" in a physical sense, Old
English had undergestandan.
<注>
よく読むと "separate" の字がある。いずれにしても相当複雑な<字ずら>との意味の違いがあり、to understand はけっして under + stand ではない。
次回は<xx の自動詞> (まだ未定)
sptt