Saturday, July 31, 2021

<xx がる>についての考察 -6 <やがる>について

 

最近また<がる>を考える機会があり、参考に以前のポストを読み返してみたが、特に目新しいところはないのがわかった。進歩がない、ということだ。だが、調べているうちに<やがる>という奇妙な動詞、<語尾的>な "動詞" に出くわしたので、チェックしてみた。

手もとの辞書(三省堂新明解)では

xx やがる

<あがる>の変化か。

1)相手の言動や状態を許しがたいととらえる気持ちを表わす。
2)納得がいかない(ばかばかしい)ととらえられる様子だと判断することを表わす。

というようなことが書いてある。2)の解説はよくわからない。簡単に言うと<非難>口調を示す、と言えないか?

主に第三者のこと

やつめ、ばかなことを言いやがる、ばかなことばかり言いやがる。
またばかなことをしやがる、してやがる、しでかしやがる。
あのやろう、のぼせ上がりやがって。
あの佐藤め、あんなに偉(えら)がりやがって、けしからん。  <偉(えら)がりやがる>はダブル<がる>だ。
やつはおれのことをばかにしやがる、してやがる。

主に相手に

きさま、なにを言ってやがる。
おまえ、なんてことをしやがる。
さっさとかかかってきやがれ。  これは上の1)2)では説明がつかない。<なにをぐずぐずしてやがる>の気持ちがあるか。
さっさと消え失(う)せやがれ。 これも上の1)2)では説明がつかない。<まだここでうろうろしてやがるのか>のような気持ちがあるか。
こんな時に、にたにたしやがって。
こんな場所で、いちゃいちゃしやがって。

辞書では主に男性用と書いてあるが、

おまえさん、なんてことをしやがるんだい。

で女性用になるだろう。

上の例を見るかぎり<がる>とは関係なさそうだ。1)2)の意味内容と似ている嫌悪(けんお)を示す<いやがる>が関係ありそうだが、説明がつかない。<いやがる>は<いや>+<がる>だ。<いやがる>は<やがる>に短縮されて発音されることはある、というか i - ya は ya になりやすい。

いやだ - いやがる

<いやだ>は

いやでない (いやじゃない)
いやで
いやだ
いやな(やつ) 

で代表的な形容動詞<静かだ>の

静かでない (静かじゃない)
静かで
静かだ静か
静かな(やつ)

と同じ活用。 もっともこれは形容動詞の活用というよりは<形容動詞の語幹+<だ>の活用>と見た方がいい。<いやだ>の<いや>は<静かだ>の<静か>と同じく語幹の<いや>だけではあまり使われない。

<いやしい>は形容詞だ。したがって<いやしがる>はあまり聞かないが意味はある。 

<やがる>の非難口調

形容詞

寒い - 寒がる、 寒くもないのに寒がっている(非難口調)  寒がりや(やや非難口調)
痛い - 痛がる、  痛いくもないのに痛がっている(非難口調) 痛がりや(やや非難口調)
えらい - えらがる、  えらいくもないのにえらがっている (非難口調) えらがりや(やや非難口調)
こわい - こわがる   こわくもないのにこわがっている (非難口調)
おもしろい - おもしろがる   おもしろくもないのにおもしろがっている (非難口調) おもしろがりや(やや非難口調)
はずかしい - はずかしがる  はずかしいことはないのにはずかしがっている (非難口調)  はずかしがりや
おそろしい - おそろしがる   おそろしことはないのにおそろししがっている (非難口調)  おそろしろがりや(やや非難口調)

<がる>が非難口調になるのは、<xx がる>、<xx がっている>は言葉ではないが<態度、様子>が<うそをついている>と見えるからだ。この見えるは、<がる>の場合は、往々にして自然に<見える>というよりは<xx のように見せている>のを<見せられている> という不愉快な、さらには嫌悪をもよおす、嫌味(いやみ)を感じる、心理状態が関係しているのだろう。

<やがる>の接続をチェックしてみる。

言ってやがる  <言う>の連用形<言っ(言い)>+<て>+<や>+<がる>
これは
言いやがる  <言う>の連用形<言っ(言い)>+<や>+<がる>、変形と見ていい

しやがる   <する>の連用形<し>+<や>+<がる>
のぼせ上がりやがって  <のぼせ上がりる>の連用形<のぼせ上がり>+<や>+<がる>-><がりて>-><がって>
えらがりやがって  <えらがる>の連用形<えらがり>+<や>+<がる>-><がりて>-><がって>
きやがれ  <来る>の連用形<き>+<や>+<がる>
消え失(う)せやがれ  <失せる>のの連用形<失せ>+<や>+<がる>

きわめて規則的で、もっと調べても例外はないだろろう。すなわち

動詞の連用形+<や>+<がる>(<がって>=<がる>の連用形<がり>の音便(がっ)+<て>)

だ。


<形容詞>の場合

偉(えら)い - <偉(えら)やがる>はダメで<偉(えら)がりやがる>でダブル<がる>になる。
寒い - <寒やがる>はダメで<寒がりやがる>
こわい - <こわやがる>はダメで<こわがりやがる>
悲しい - <悲しやがる>はダメで<悲しがりやがる>
おそろしい - <おそろしやがる>はダメで<おそろしがりやがる>

これまた規則的で、もっと調べても例外はないだろろう。すなわち

形容詞の語幹+<や>+<がる>+<や>+<がる>(<がって>=<がる>の連用形<がり>の音便(がっ)+<て>)。これは特徴的なことと言えよう。特にダブル<がる>用法。

形容動詞はどうか。

静かだ

静かだ - <静かやがる>はダメで<静かがりやがる>

ダメではないが、人でないと具合が悪そう。

花子は、今日はなぜかめずらしく、静かがりやがる。
あの部屋は、今日はなぜかめずらしく、静かがりやがる。(ダメ)

<好きだ>、<嫌(きら)いだ>を形容動詞とすると

花子は、今日はなぜかめずらしく、好きがりやがる。 (好きやがる -ダメ)
花子は、今日はなぜかめずらしく、嫌いがりやがる。  (嫌いやがる -ダメ)

これまた規則的と言える。

形容詞、形容詞的動詞

悲しい(形用詞)-> (悲しやがる) 悲しがる -> 悲しがりやがる、 (こんな時に)悲しがりやがって
悲しむ(動詞)-> 悲しみがる、悲しみやがる、 -> 悲しみがりやがる、(こんな時に)悲しみがりやがって

たのしい(形用詞)-> (たのしやがる) たのしがる -> たのしがりやがる、 (こんな時に)たのしがりやがって

<たのしがる>はいいが、なぜか<たのしがりやがる>は聞かない。しかし、これまたなぜか<うれしがる>、<うえしがりやがる>ならいい。

たのしむ(動詞)-> (たのしみがる)、(たのしみやがる、やがって)、 -> たのしみがりやがる、(こんな時に)たのしみがりやがって、もあまり聞かないが間違いではないだろう。

<たのしみがる>は聞かない。普通は形容詞の<たのしがる>ですます。<たのしみやがる>もあまり聞かない。<たのしみがりやがる>はよさそうだが<<たのしがりやがる>が普通だろう。かなりこんらんしているが、これはつぎのような理由によるものだろう。

<うれしい>、<たのしい>はほぼ無意識の使い分けがあるだろう。 <たんしむ>よく使うが<うれしむ>、<うれしんでいる>はほとんど聞かない。言い換えると<うれし(い)>は形容詞的、<たのし(い)>は動詞的ともいえるが、これは<うれしい>は短期的な一時の心理状態、一方<たのしい>は持続的な心理状態。ここで、非難口調にもどると、非難口調がでてくるのはたいてい短期的な一時のけしからん言動に対してだ。

私は、それを聞いて、ずっと、長いことうれしかった。

はまいいが

私はずっと、長いことうれしい思いをした、していた。

はやや変で。

私はずっと、長いこと楽しい思いをした、していた。

ならいい。

<たのしみがる>は聞かない。普通は<たのしがる>ですます。なぜか<たのしみやがる>は聞かない。

惜(お)しい(形用詞) -> (惜(お)しやがる) 惜(お)しがる -> 惜(お)しがりやがる、 (こんな時に)惜(お)しがりやがって
惜(お)しむ」(動詞)-> 惜しみがる、惜しみやがる -> 惜しみがりやがる、(こんな時に)惜しみがりやがって

かなり複雑だ。形用詞語幹+<やがる>はダメだ。


<やがる>の非難口調はいいとして<やがる>の<や>は何か?

1)口調の<や> - これは特に説明がいらない、というか適当な説明がないのだ。

2)<よう>。これは多分中国語由来。<様子(ようす)>の<よう(様)>。やまとことばでは<さま(様)>がある。<がる>自体に<xxのようにふるまう>の意があるが、<xx(の)ようがる>で<xxのようにふるまう>がさらに強調される。<xxのようにふるまう>、<xxのように見えるようにふるまう>、さらには<(意図的に)xxのように見せてふるまう>は好ましくない、さらに強調すれは<非難すべき>言動だのだ。

 さっさとかかかってきやがれ <- きやがれ <-きやがる <- くる+よう+がる

<- くるように見せろ

 

2)はかなりのこじつけだが、まったくダメということはないだろう。

 

sptt

Saturday, July 24, 2021

日本語の自動詞の世界 - 6.理解の自動詞、<わかる>の認識論

<わかる>は自動詞。英語の to understand は他動詞。

自動詞<わかる>に対して他動詞の<分ける>がある。モノゴトを<分ける>、<分けて考える>と内容や仕組み、理由や原因が<わかってくる>、<見えてくる>、<現れてくる>といった自動詞的な世界での理解の仕方(わかり方)だ。英語の to understand は文字通りの <under + stand >ではない。(末尾参照)。ネット辞書 Reverso  English - Italian チェックしてみた。

 
understand

( understood pt, pp )

1 vt
a (gen) capire
to make o.s. understood farsi capire
do you understand? capisci?
 
以下略
 
一番目の例は to make o.s (oneself) understood で使役形みたいだが、oneself なので再帰動詞用法になる。一番目の例になるほどよく聞く文句ではない。というか、わたしは聞いたことがない。<自分自身をわからせる、わかった状態にさせる>でこれは自動詞相当の<わかる>になるか。あるいは<自分によく言い聞かせる>といった意味になるか。なぜこれが to understand の一番目の例になるのか理由がありそうだが、なぜだかわからない(推測がつかない)。また他動詞としているが、目的語がない。
 
capire

1 vt to understand
si capisce che... it is clear that ...
si capisce! (certamente!) of course!, certainly!

si capisce che は非人称の再帰動詞用法。直訳すると<ひとはxxがわかる>に近い。英語では普通 you understand that となる。it is clear that は意訳で、これは後から出てくる中国語の<明白>相当だ。新聞報道では it is understood that というのをよく目にする。相当表現では we learn that も新聞報道でよく目にする。なにか責任のがれの報道の感じがする。

以下略(続けると話が長くなり横道にそれそうで、あえて<以下略>とした。

解説(一部だけコピー、ペイスト)は他動詞となっているが、他動詞らしくない。よく使われるのは目的語のない

I understand.
Do you understand ?

Capisco. Ho capito.

中国語が参考になる。おそらく<わかる>、<わかった>に相当する日常語は

明白(mingbai)だ。<明白>だけでも十分通じるが

我明白。
你明白吗?

といったりする。<明白>は動詞というよりは形容詞の感じだ。また動詞としても、自動詞だろう。そして<我>、<你>に限らず

xx(なになに)明白。

という言い方も聞く。

<手品のタネ明(あ)かしをする>という言い方があるが、これをすると<手品のタネが明(あきら)かになる>。言い換えると<手品のタネがわかる>だ。<明白>以外では<了解(liaojie)>、<知道(zhidao)>もよく耳にするが、<わかる>、<to understand>に近いだろう。少しずれるが<道理>を使った<有道理(youdaoli)>もよく聞く。<どうりで>だが<どうりで、それでわかった>ではなく<(君の言うことは)もっともだ、正しい)といった賛同、同意の意味だろう。

さて、<わかる>に似て非なる動詞に <知る>、to know がある。to know は他動詞。少し細かくいうと、英語の to know には<知る>(知るようになる)だけでなく、<知っている>の意味がある。英語ではこの区別がなく、辞書にっては<I am knowing という言い方はしない>という<注>がある。

イタリア語の to know 相当の動詞は sapere だが<Reverso  English - Italian>でチェックしてみると、かなり長い解説で例文も多い。

know ( knew vb: pt) ( known pp )

1 vt
a (facts, dates)    sapere
to know that ...    sapere che...
to get to know sth   venire a sapere qc
to know how to do sth    saper fare qc
I don't know any German   non so una parola di tedesco
he knows a lot about cars   sa molte cose sulle macchine
 
以下略。
 
これまた続けると話が長くなり横道にそれそうなので、<以下略>とした。<知っている>の一部は conoscere という動詞が自動的に選ばれて使われる。
  
conoscere vb irreg

1 vt
a (gen) to know , (persona, avvenimento) to be acquainted with, know, (testo, abitudine) to be familiar with, know, (posto, ristorante) to know of
conoscere qn di vista    to know sb by sight
lo conosco solo di vista    I only know him by sight
l'ha conosciuto all'università   she met him at university
 
<認識する>の英語は to recognize が相当するが、<わかる>、to understand より to identify に近い。to identify の適当な日本語はない。ID card は<身分証明(カード)>と訳されている。to perceive という動詞があるが、名詞形の perception は<感受>で、見て得ること、聞いて得ること、一般的には<感じて得ること>。<認識>は<脳を働かせてえること>に近い。to recognize のイタリア語は reconoscere で、上の conoscere を参考にすると <to re-know (再び知る)>で意味ありげだ。
 
おもしろいのは現代中国語の<认识, renshi (認識)>で
 
我认识(だれだれ)

で<(だれだれを)知っている>の意がある。これはよく耳にする。日本語の認識(にんしき)の意での<认识, renshi >は聞いたことがない。認識(にんしき)というと認識論で哲学や心理学になりそうだ。実際<知る>は<わかる>よりも哲学っぽいところがある。

おのれ(なんじ)自身を知れ。(ソクラテス)。 
おのれを知り、敵を知らば、百戦危うからず。 (孫子)

孫子の方は
 
おのれがわかり、敵がわかれば、百戦危うからず。 
 
で問題ない。総じて<知る>は表面的に知識として知っているで、<わかる>は本当に、深く<わかる> なので、むしろこの方がいい。

ソクラテスの方は
 
<おのれ自身がわかる>ではなく<おのれ自身のことがわかる>で<おのれ自身を知る>になる。<わかる>は自動詞なので
 
おのれ自身がわかれ。
 
となるが、変な日本語だ。

おのれ自身をわかれ。
 
は文法違反だ。 <わかる>が哲学っぽくならないのは<わかる>が自動詞のためだろう。<なんとなくわかる>では哲学にならないのだ。
 
 
<知る>と<わかる>区別

<知る>は他動詞、<わかる>は自動詞。<受身>用法をチェックしてみる。<<知る>の受身形は<知られる>で
 
xx が(は)よく知られている

というが、<知れる>という自動詞がある。

xx が(は)よく知れている
 
となるが、ほとんど聞かない。自動詞<知れる>は他動詞<知る>にくらべるとおもしろい慣用表現が多いようだ。これは気にしていい現象ではないか?  

気心(きごころ)の知れた
そんなことは知れたことだ。 (知られたこと、とは言わない)
広く知れている(ダメ) - 広く知られている(OK)
知れ渡(わたる)    悪評判が知れ渡っている。 好評判が知れ渡っている(多分ダメ)
たかが知れている。 (この<たか>は<たかさ>のことだろう) たいしたことはない。
計(はか)り知れない
気が知れない
えたいが知れない (正体がわからない)

xx かもしれない     

これは it may be xx,   Hanako may come を訳せといわれると、<xx かもしれない>とする翻訳常套句だ。

<知れる>は<知り得(え)る>、<知れない>は<知り得(え)ない>由来だろう。

一方<知る>の常套句は

おれの知ったことじゃない。

これは上で述べた <it is understood that というのをよく新聞報道で目にする。. . . . . なにか責任のがれの報道の感じがする> に関連がありそうで<知る>、<知っている>の意味に関係しているのではないか?

知ってるくせに
知ったかぶり(をする)

ややこしいが<知らす>という他動詞があり
 
知らされている
 
という。日本語には自動詞の受身というのがあり、大体被害を表わす。
 
わかる(自動詞)

わかられる、わかられている、わかられてしまう
 
も被害受身だが、なぜか他動詞の<知る>も同じような意味になる。
 
企(たくら)みはもう知られている、xx はもう知られてしまっている 

は問題なさそうだが、<知られるとこまる>は
 
xx は知られるとこまる
太郎はxx を知られるとこまる。
 
となり、わけがわからなくなる。 
 
 
手もとの辞書に<知る>と<わかる>のやや長いわかったようでよくわからない解説がある。またネット辞書も利用できるが、そのまま引用したのでは進歩がないので、独自に調べることにした。
 
すこし調べてみればわかるが、日本語の<知る>と<わかる>のはっきり区別するのは難しい。だが、普通の日本人であればほぼ間違いなく使いわける。ただしあいまいな場合もある。
 
知り始める (OK) - わかり始める 
(OK)
知りかける (やや変だ) - わかりかける (OK)
知っている (OK) - わかっている (OK) (意味は違う)
知っているところだ(かなり変だ) - わかっているところだ(かなり変)
知りかけているところだ (やや変だ) - わかりかけているところだ (OK)
知っている (OK) - わかっている (OK) (意味は違う)
知っているところだ(かなり変だ) - わかっているところだ(かなり変だ)
知り終わる(かなり変だ) - わかり終わる (かなり変だ)
知り終える(かなり変だ) - わかり終える (かなり変だ)
 
以上は時間軸をからめた<知る>、<わかる>だが、<知る>も<わかる>も<始め>はあるが、<終わり>がはっきりしない。
 
知り尽(つ)くす (OK)  -  わかり尽くす (かなり変だ)
知り切る (OK)  -  わかり切る (OK  <切る>は cut ではなく、<すっかり>、<十分>、<十二分に>の意だ。<わかり切ったことを(くどくど)いうな>という常套句がある。
 
知り足りない (まれ) - わかり足りない (まれ) いずれもあまり聞かないが間違いではないだろう。
知りすぎる - わかりすぎる  <知りすぎたのね>という歌の文句があった。<わかりすぎるほどよくわかる>という常套句がある。
 
知らない (OK) - わからない (OK)  (たいていの場合、意味は違う)
知らなすぎる (OK) - わからなすぎる (あまり聞かないが、間違いではないだろう) 
よく知っている (OK) - よくわかっている (OK) (意味は違う) 

以上は大体<知る>、<わかる>の程度をいっているのだが、どうも判然としない。<知っているつもが、実は知らなかった>とか<わかっていたつもりがわかっていなかった>という言い方があるので、<知る>、<わかる>の程度は相対的なものだろう。<わかる>の方は<わかったようでわからない>という言い方もある。
 
まったく知らない - まったくわからない チンプンカンプンだ。
ちっとも知らない(知らなかった) - ちっともわからない 

ちっとも知らない>はあまり聞かない。
 
高等数学は、相対性理論は、抽象絵画はまったくわからない、ちっともわからない (チンプンカンプンだ)は<わかる>の意味を示唆している。
 
勉強して知ったが<わからない>状態では頭の中が混沌としているのだ。 この混沌を整理して分ける必要がある。<分ける>と一部が<わかる>ようになる。これをガマンして続けると<わかる>部分が多くなる。しかし、言葉に反するが、これは<わかった>状態ではない。肝心なのはそれからで、考えることが必要かつ重要。しかし、考えても一気にわかることはまれで、方法としては<わかる>部分をつなぎ合わせて(つなぎ方はいろいろある)考え、関連を見つける。関連には意味がある。これをさらにガマンして続けると<わかる>ようになる。<わかり>の程度、そして内容は人それぞれ違う。<わかり>の程度はきわめて相対的なものだ。大小にかかわらず<わかる>はよろこびであり、楽しみでもある。これが<わかる>に解説の一つになるだろう。
 
知りにくい (まれ) - わかりにくい (OK)
知りがたい (まれ) - わかりがたい (まれ)
 
まったく知らない - まったく知らない
 
知り合う (OK) - わかり合う (OK) (意味は違う)
知りたい (OK) - わかりたい (まれだがOK)
 
知り間違(まちが)える - わかり間違(まちが)える
知り違(ちが)える - わかり違(ちが)える
知り違(たが)える - わかり違(たが)える
 
以上6動詞は<誤解する>の大和言葉候補だが、実際には聞かない。 <誤解する>の大和言葉は<取り違(ちが)える>だが、<誤解する>が優勢だ。末尾の to understand の英語解説の中に to take、to grasp という動詞がある。<取る>(to take)他動詞の代表ともいうべき動詞だ。<to grasp  = つかみ取る>も他動詞だ。
 
知り広がる - わかり広がる
知り広げる - わかり広げる
 
知り広がる>は<ひろく知れ渡る>の意味で使われていそうだ。知り広がる>は自動詞だ。これとは別に<知り広がる>、<知り広げる>は知識が広がる、知識を広げる、の意でいい日本語だと思うが使われていない。<わかり広がる>、<わかり広げる> はダメのようだ。
 
<わかる>は<外向き>ではなく<内向き>ということか。 
 
知り過ごす(ダメ) - わかり過ごす(ダメ)
 
ダメだが、<知る><わかる>チャンスをの逃した、の意味になりうる。
 
聞き知る(OK) - 聞きわかる(ダメ)、聞いてわかる(OK)
見(み)知る(OK) - 見(み)わかる(ダメ) 、 見てわかる(OK)
 
<見知る>は<見て知る>というよりは<見て知っている>。<お見知りおきください>は常套句だ。
 
五感動詞を続けると
 
嗅(か)いで 知る(まれ) - 嗅(か)いでわかる(OK)
味わって知る(まれ) - 味わってわかる(OK)
さわって知る(まれ) - さわってわかる(OK)
 
で<わかる>はオールマイティだ。


<知る>、<わかる>の常套句(表現)
 
<知る>に比べて<わかる>の常套句(表現)ははるかに多い。
 
上でも下線をつけた
 
なぜだか知らない  - なぜだかわからない
 
 <なぜだか知らない>はそっけない、表層的な感じだ。
 
調べてみれば知れる(知ることができる) - 調べてみればわかる
 
常套句は<やってみればわかる>。日常常套句だが人によっては深い意味がある。別のポスト ”<チャレンジ、挑戦>のやまとことば(sptt やまとことばじてん)でとりあげたが
 

<やってみる>はやまとことばらしい言い方だ。、軽いニュアンスが逆にいい。

聞いみただけでは、忘れる。
見てみて、忘れれない。
やってみて、わかる。

という孔子の言葉がある。

I hear and I forget.
I see and I remember.
I do and I understand. 
 
 
というのがある。

<なんとなくわかる>も常套句だが、意味深長だ。裏がえしの表現では<わかったようでよくわからない>という常套句がある。
 
xx のわけを知る(知った) -  xx のわけがわかる(わかった) 
xx のわけを知らない(知らなかった)-  xx のわけがわからない(わからなかった)
 
<わけがわからない>は常套句だ。<わけ>は<わける>由来だろう。
 
わかる (自動詞) - わける (他動詞)

<わけ>は<理由>の意味になるが<わけがわからない>をそのまま<理由がわからない>で置き換えられない。連用形の体言(名詞)用法がある。
 
わかる -> わかり(て)、わかっ(て)   <わかり>がいい、<わかり>悪い、<わかり>がのろい、<わかり>がはやい(早い、速い)
 
<のろい>、<(早い、速い>はプロセスを感じさせる。
 
<知り>がいい、悪い、<知り>がのろい、が早い
 
は基本的にダメだ。 なぜか<知る>の連用形の体言(名詞)用法の<知り>は活躍しない。<知る>プロセスはあるはずだが、<わかる>のプロセスに比べると時間的に短いようだ。
 
<わかる>は時間をかけて<実がなる>感じ。<知る>は<なった実をもぎ取る>感じだ。
 
わかれる -> わかれ(て)   <わかれ>がつらい、ここが運命の<わかれ>め
わかつ -> わかち(て)   <わかち>
 
わける -> わけ(て)、わけ与える   <わけ>
 
<わけ>がわからない
<わけ>がある
わけ知り
わけ前
おすそ分け
わけても 
とりわけ
 
と<わけ>は多方面に活躍する。 
 
歌の文句が常套句になったようなのがある。
 
わかっちゃいるけど、やめられない。
 
これからすると<わかる>の上をいくモノがあるのだ。何か?
 
 
<わかる>の謎に挑戦
 
謎を知る - 謎がわかる
 
謎を知る>は謎そのものを知ることで、謎は謎のままで、その<謎>が情報として頭にある、といった意味にとどまる。一方<謎がわかる>は場合によっては謎が解ける、解けた>、<謎を解くことができる>の意になる。<場合によっては>は必要で、場合によっては<まだ解けてはいないが、謎というのはわかる、わかっている>の意にもなりうる。ここは微妙だが、<わかる>の特徴でもある。
 
きみはこの謎がわかるか? きみにこの謎がわかるか?
 
は奇妙な問いだ。
 
きみはこの謎がとけるか? きみにこの謎がとけるか?
 
ははっきりした、直接的な問いだ。
 
<謎がわかった>は<謎が解けた>に近い。
 
<問題を知る>も 問題そのものを知ること。問題は問題のままで、その<問題>が情報として頭に入(はい)っている、頭にある、といった意味にとどまる。一方<問題がわかる>は問題が解決する、解決した>、<問題を解決することができる>の意にならない。しかし<問題を知る>とは次元が違う。だが、こういうからにはこの次元の違いを説明しなければならない。
 
疑問詞+<知る>、<わかる>
 
何かを知る - 何かがわかる
誰かを知る - 誰かがわかる
どこかを知る - どこかがわかる
どれかを知る - どれかがわかる
なぜかを知る - なぜかがわかる
 
この比較は<知る>と<わかる>の違いを示している。
 
<xx を知る>の場合は依然として疑問のまま、言い換えると疑問内容のことを言っている。一方<xx がわかる>は、場合によっては<知る>と同じく疑問内容のことを言っているとも解釈できるが、場合によっては疑問が解(と)かれ得ること、さらにはすでに解(と)かれたことも示唆する。特に<なぜかを知る - なぜかがわかる>は違いが明らかだ。
 

以上、いろいろ調べてみたが、とりあえずの結論は

<わかる>は<わかったようでよくわからない>謎の<理解の自動詞>。<わかる>は曲者なのだ。
 
 
おおかた繰り返しになるが、まとめとして、すくなくと次のことは言えそう。
 
1)<知る>は表面的に知識として知っている(頭の中にある)で、<わかる>は本当に、深く<わかる>
 
俗っぽいが<身にしみてわかる>という常套句がある。とはいえ、<わかる>も精神活動で骨や肉が関係しているとは考えられない。
 
2)<知る>も<わかる>も<始め>はあるが、<終わり>ははっきりしない感じがある。 
 
<知る>プロセスはあるはずだが、<わかる>のプロセスにくらべると時間的に短いようだ。
 <わかる>は時間をかけて<実がなる>感じ。<知る>は<なった実をもぎ取る>感じだ。
 <知る>も<わかる>もプロセスだが、<わかる>は<知る>よりも複雑なプロセスだ。
 
知ったが<わからない>状態では頭の中が実際には混沌としているのだ。 この混沌を整理して分ける必要がある。<分ける>と一部が<わかる>ようになる。これをガマンして続けると<わかる>部分が多くなる。しかし、言葉に反するが、これは<わかった>状態ではない。肝心なのはそれからで、<考える>過程が必要。だが考えても一気にわかることはまれで、方法としては<わかる>部分をつなぎ合わせて考え、関連を見つける。これをさらにガマンして続けると関連を通通(とお)して混沌が意味を持ったものとして<見える>、<わかる>ようになる。<わかり>の程度、そして内容は人それぞれで大いに異なる。
 
つけ加えれば、順序として<知る>のあとに<わかる>が(出て)来るが、直観的に<わかる>場合があり、この場合は時間をかけた複雑なプロセスではなく、短時間のかなり単純、直接的な<わかる>になる。直観的な<わかる>は検証過程がないので、時としてまちがいもある。
 
3)<わかる>は<外向き>ではなく<内向き>といういことか。 
 
<知る>は大いに外界からの刺激が関係する。<わかる>も外界からの刺激が助けになることもあるが、大体はヒトの内部(頭)の精神活動だ。
 

<末尾>

 https://www.etymonline.com/word/understand

understand (v.)

Old English understandan "to comprehend, grasp the idea of, receive from a word or words or from a sign the idea it is intended to convey; to view in a certain way," probably literally "stand in the midst of," from under + standan "to stand" (see stand (v.)).

If this is the meaning, the under is not the usual word meaning "beneath," but from Old English under, from PIE *nter- "between, among" (source also of Sanskrit antar "among, between," Latin inter "between, among," Greek entera "intestines;" see inter-). Related: Understood; understanding.

That is the suggestion in Barnhart, but other sources regard the "among, between, before, in the presence of" sense of Old English prefix and preposition under as other meanings of the same word. "Among" seems to be the sense in many Old English compounds that resemble understand, such as underniman "to receive," undersecan "examine, investigate, scrutinize" (literally "underseek"), underðencan "consider, change one's mind," underginnan "to begin."

It also seems to be the sense still in expressions such as under such circumstances. Perhaps the ultimate sense is "be close to;" compare Greek epistamai "I know how, I know," literally "I stand upon."

Similar formations are found in Old Frisian (understonda), Middle Danish (understande), while other Germanic languages use compounds meaning "stand before" (German verstehen, represented in Old English by forstanden "understand," also "oppose, withstand"). For this concept, most Indo-European languages use figurative extensions of compounds that literally mean "put together," or "separate," or "take, grasp" (see comprehend).

The range of spellings of understand in Middle English (understont, understounde, unþurstonde, onderstonde, hunderstonde, oundyrston, wonderstande, urdenstonden, etc.) perhaps reflects early confusion over the elements of the compound. Old English oferstandan, Middle English overstonden, literally "over-stand" seem to have been used only in literal senses.

By mid-14c. as "to take as meant or implied (though not expressed); imply; infer; assume; take for granted." The intransitive sense of "have the use of the intellectual faculties; be an intelligent and conscious being" also is in late Old English. In Middle English also "reflect, muse, be thoughtful; imagine; be suspicious of; pay attention, take note; strive for; plan, intend; conceive (a child)." Also sometimes literal, "to occupy space at a lower level" (late 14c.) and, figuratively, "to submit." For "to stand under" in a physical sense, Old English had undergestandan.

 <注>

よく読むと "separate" の字がある。いずれにしても相当複雑な<字ずら>との意味の違いがあり、to understand はけっして under + stand ではない。


次回は<xx の自動詞> (まだ未定)

 

sptt 

Friday, July 23, 2021

日本語の自動詞の世界 - 5.融合の自動詞

 

融合の自動詞

融合度が高そうな動詞は<溶(と)ける-溶かす>だ。<まじる、まざる-まぜる>がこれに次ぐか。<しみる>、<にじむ>、<そまる>といった動詞も融合関係を示すといえよう。 これらは<合う-合わせる>、<込む-込める>との相性がいい。英語では名詞になるが、fusion、diffusion が融合だ。

融合とは直接関係なさそうだが、融合を<溶け合う>とすれば<あう>は大いに関係がある。<xx にあう>は漢字で書くと<合う>と<会う>があるが、ごく大雑把には<あう>で、言ったり聞いたりするのは<あう>で、大きな問題はない。<出会う>、<似合う>がある。これらも<xx に出会う>、<xx が似合う>、<xx に似合う>と言い典型的な自動詞だ。以前に ” 超高使用頻度語の<あう>の分析 "  というポストを書いているが、そこから抜き出すと


慣用表現

意見が合わない
性(しょう)に合う、合わない
そりが合う、合わない
タイミングが合う、合わない
つじつまが合う、合わない
間(ま)にあう、あわない
リズムに合わせる

<xx あう>の例はそれこそいくらでもある。

しあう、争(あらそ)いあう、言いあう、いがみあう、打ちあう、打ちあわせる、押しあう、押しあいへしあい、落ちあう
語(かたり)あう、からみあう、切りあう、競いあう、組みあう(とっくみあう)、けなしあう、蹴りあう、殺しあう

以下略



<互いにxxする>という意味、<一緒にxxする>という意味の表現も少なくはないが、大局的に、あるいはこれまた大雑把に<一緒になる>の意味がある場合には<融合の自動詞>と言える。

英語で<xx に会う>は

to meet xx (他動詞)
to meed with xx (自動詞)

の二つがあり、両方同じくらい聞くので、使う人の習慣や好みの選択だろう。もっとも日本語も<xx と会う>という言い方があり、やや他動詞っぽいが自動詞。<xx を会う>とは言わないので<あう>は自動詞なのだ。融合そのものは<融合する>で<xxがyy に融合する>、たまに<xxがyy と融合する>では自動詞だが、<xx を yy に融合する>、<xx を yy と融合する>、<AとBを融合する>で他動詞。使役形を使った<xx を yy に融合させる>、<xx を yy と融合させる>、<AとBを融合させる>も可能だ。大和言葉では自動詞<まじる>、他動詞<まぜる>がある。<AとBがまざる>。<AとBをまぜる>で区別は明確だ。<まじる>の使役形<まじらす>、<まじらせる>、<まじらさせる>はほとんどきかない。これは<まじる>が自動詞性が強いためか、はたまた<まぜる>という他動詞があるためか?

これまた

xx にまじる、xx とまじる
xx にまぜる、xx とまぜる

が可能だが<xx にまじる><xx にまぜる>の方が融合度が高い、混ざり具合が濃い、感じだ。助詞<に>の特徴か。これ以外に<まざる>がある。<まじ>関連では<まじわる>という自動詞もある。<まざる>は自動詞で、個人差もあるが<まじる>よりも<まざる>の方が自動詞らしくきこえる。 これは mazaru の<a>音の影響だろう。少し調べてみた。

あかる(戸があかっている、東京弁か)、開く <- 戸があいている(あきている) -開ける
植わる(木が植わっている) - 植える
受かる -受ける
埋(う)まる、 - 埋める
掛(か)かる - 掛ける
決まる - 決める
しまる(閉まる、締まる) - しめる
せまる - せめる
染まる - 染める
溜(た)まる) - 溜める
つまる - つめる
とまる -とめる
はまる - はめる
ひたる - ひたす
まじわる - まじえる
ゆだる - ゆでる

と<a>音は自動詞<e>音は他動詞の例が多い。 特に<xx まる>-<xxめる>は<まる-める>動詞群といえる。

<まじる>、<まざる>、<まぜる>に<あう>を加えると融合度が増すようだ。

まじりあう
まざりあう
まぜあわせる  これは<あう>ではなく、後ろも他動詞の<あわせる>になる。

 A  I     B
    I

   c  ->  

    I
    I

上の図は、わかりにくいが、A室にいれば、c がドアをあけてA室からB室の<中に入って行く>図。これは一種の融合ととらえることができる。この動きで使われる言葉は

(から)xx の中に入って行く

で<入って行く>が肝心だ。また、B室にいれば、c がドアをあけてA室からB室の<中に入って来る>図。この動きで使われる言葉は

(から)xx の中に入って来る

融合で重視されるのは<行く><来る>ではなく<入(はい)る>だ。 <入(はい)る>は自動詞。他動詞は<入(い)れる>。<入(はい)る>は、昔は<入(い)る>といっていた。<入口>は今でも<いりぐち>。なぜか私がこどものころは<はいりぐち>というのをよく耳にした記憶がある。

融合度強化関連では<込む>、<込める>という動詞がある。上の図を使えば

c はB室に<入(はい)り込む> 。これはA室にいようが、B室にいようが、はたまた家の外にいようが<入り込む>でまにあう。 もっとも

A室にいれば - 入り込んで行く
B室にいれば - 入り込んで来る

融合度が高いのは<溶(と)ける-溶かす>。ついで<しみる>、<にじむ>、<そまる>か。<まじわる>は融合度合が低い。いつわりの融合では<まぎれる-まぎらす、まぎらわす、まぎれさす>がある。

溶け合う
溶け込む
溶け入る (あまり聞かながまさしく融合だ)
うち溶ける

しみ込む
しみ入(い)る
身にしみる
しみ出す

<にじむ>はなぜか<でる>との相性がいい。

にじみ出る
にじみ出す(<xx がにじみ出す>でこれも自動詞)

<染(そ)まる>は

xx が yy に染まる (悪にそまる)で融合の自動詞だが

染め入(い)れる
染め出す
染め込む

で他動詞形の<染める>が多用される。

交(まじ)わる - まじえる

は融合とまではいかない。 そのたあめか<あう>、<込む>との結びつきがない。<交わりあう>はなんとかなるが、<<交わり込む>、<まじえあう>、<まじえあわせる>、<まじえ込める>は聞かない。

まぎれ込む - まぎれ込ます

融合ではないが、融合まがいの基本動詞がある。癒着(ゆちゃく)という漢語がある。<つく(付く、着く)>、<くっつく>だ。<中に入ったり。入り込んだり>はしないが、上の図で c がA室とB室の堺(壁。ドア)に<くっついて>離れなければB(室)に融合しているのに近い状態(癒着)になる。


次回は<理解の自動詞>


sptt

Thursday, July 22, 2021

日本語の自動詞の世界 - 4.消滅の自動詞

 

消滅の自動詞

<生成、変化>の自動詞の代表<なる>の反対、否定は<なくなる>。大体は<見えなくなる>。中国語で<財布をなくした>は

(我的)钱包不见了。

と言う。一方日本語で<なくした財布>が出現した場合は<出現の自動詞>を使って

財布が現れた。

でもいいが、普通は

財布が見つかった。 

という。いずれにしても<なくす>、<見つかる>、<消える>、<現れる>は自動詞の世界だ。<みつかる>対応する他動詞は<見つける>で、ある状況では

財布を見つけた。

という。<ある状況>というのは

見つけようとしていた(ところ)
探していた (ところ)

で期待、予期していたことの出現、すなわち実現だ。 

基本自動詞は

ある(存在)

これは別格。

行く - 来る
去る - 着く
離れる - 近づく(近着く)
出る - 入る

以上は大体人、モノの動きを示すが、視点、方向がからんで複雑だ。消滅、<なくなる>では

去って行く
出て行く
離れて行く

一方出現は

出て来る
入って来る
近づいて来る

<行く-来る>は<to go - to come>だが、<out - in>という対応も考えられる。

to come out は出現(出て来る、現れる)
to go out は消滅(出ていく、なくなる)  (to go off も考えらえる。off の反対は on だ。)

部屋の壁にあるドア(出入り口)を考えると

話者が部屋の中にいる場合

Hanako comes in で花子の出現(現れる)
Hanako goes out で花子の消滅(消えてなくなる) 

話者が部屋のそとにいて、花子が部屋に入って行く

Hanako goes in で花子の消滅(消えてなくなる)
Hanako comes out で花子の出現

相対的のようだが

to go は消滅(消えてなくなる)、to come は出現(現れる)で変わりない。 

<去る>は<行く>以上に消滅(消えてなくなる)感じがる。<去り行く>、<去って行く>でさらに<なくなる>、<いなくなる>の感じだ。<見えなくなる>も<消えてなくなる>感じだ。視界から消えて、<いなくなる>感じだが、そのものの<存在(あること、ありつづけること)が<なくなる>感じはそれほどない。

<なくなる>、<いなくなる>、<消えてなくなる>、はいかにも<日本語の自動詞の世界>だ。

 

そして、だれもいなくなった。

 

 sptt

 

日本語の自動詞の世界 - 3.生成、変化の自動詞


生成、変化の自動詞

<存在、発生、出現、生成、変化>とかたぐるしい漢語が並ぶが辛抱(しんぼう)してもらいたい。日本語の<生成、変化の動詞>は<xx が yy になる>の形の<なる>だ。<ある>、<いる>、<なる>と簡単だが、意味は深い。簡単なこと自体意味が深いのだ。

<なる>の使役形が<ならす>、<ならさす>。<なる>には<なす>という対応する他動詞がある。<する>ではない。<なる-なす>は自他ペア動詞といっていいが、いろいろ複雑だ。

なせばなる、なさねばならぬなにごとも。

というの聞いたことがある。積極的、行動的になる、生きるようにすすめているのだろう。似て非なるものに

なるようにしかならない。

というのも聞いたことがある。これは上とは逆で、頑張っても、無理しても、世に中思っている、考えているようにはならない。だから . . . . . (あきらめた方がいい)、といった悲観的な口調だ。さらに、似て非なるものに

なんとかなる(さ)。

というのがあり、上に二つの中間をいくような楽観的な内容の言い方だ。 

実がなる。

これだけだとわかりにくいが、つぼみ->花->実という<生成>過程があり、突然に実が出現するわけではない。<実ができる>や、<成果がでる>、他動詞を使った<実を結ぶ(結実)>があるが<実がなる>がいかにも自動詞らしくていい。

カネのなる木

残念ながら、<カネのなる木>は存在しない。突然にカネが出現することはないのだ。

<なる>は多くは

xx が(は) yy になる

の構造で、<yy>は名詞や形容詞だ。ここで日本語の助詞<に>が活躍する。英語、イタリア語、中国にはこの助詞がないので、慣れるまでは違和感がある。

Taro is a doctor. はいいが
Taro became a doctor. は慣れないうちは違和感がある。

<太郎は医者になった>の<に>がないので(<は>もない)、純直訳は

太郎なった医者。

これはなんとか通じる。 

太郎医者なった。

これはダメだ。

中国語

去东京(東京)。 初めのうちは東京を食べてしまう感じがある。
成功  この2字で名詞にも動詞にもなる。文字通り<功成(なる)>だが、語順に注意。<下雨>(雨が降る)と同じ。

英語、特に口語では to become 以外に to turn out (to be) がよく使われる。上の to come out と同じで、 to become よりも to turn out (to be) の方が具体的、様子が目に浮かんでくる。<xx に変わって出て来る>感じだ。<to come>だけでも <なる>の意はある。 to come to an end は<終わりになる>。to come to reality は<(xxが)実現する>だが<xx を実現する>で他動詞にもなってしまう。<(xxが)本当になる>という自動詞表現がある。常套表現で Dream becomes reality. というのがある。

to turn out も to come out も out があるので、基本的に<出る>、<出て来る>のコンセプトがある。反対は in だが、基本的にはモノや人が(xxの中に)<入る(はいる)>、<入って行く>と見えなくなる。<生成>の反対は<消滅>で<見えなくなる>、さらに一般的には<なくなる>で自動詞。<消される>のではない。<消(き)え去る>は自動詞だが<消去する>は一般に他動詞だ。名詞の<消去>も他動詞的だ。消滅は中国でが自他兼用だろう。日本語も<消滅する>で自他兼用になりうるが、他動詞は<消滅させる>が普通か。<する>は自他兼用なのだ。だいぶ前に"<する>は他動詞、自動詞、いったい何だ?” というポストを書いている(」2013年)。

 

次回は<4.消滅の自動詞>。

 

sptt

日本語の自動詞の世界 - 2.発生、出現の自動詞

 

発生、出現の自動詞


発生
の自動詞というと<XX が 起(お)きる、起(お)こる>が代表で

事故、火事、水害、殺人事件、戦争、大恐慌が起きる(起こる)。

<おきる>は<横になっていたものが立ち上がる>(to stand up)といったような意味で本家、<おこる>は<おきる>のなまりだろう。悪いことばかりのようだが 

よいことが起きる(起こる)ように願う。
<がんばれ、がんばれ>の大声援が起きた。

という。

胃潰瘍(いかいよう)をおこす。(下痢(げり)をおこす)

<胃が潰瘍をおこす>は文法的に変ではない。

太郎が(は)胃潰瘍をおこして入院した。

これももちろん胃潰瘍になろうとして胃潰瘍をおこすわけではない。結果として胃潰瘍になるのだ。<下痢(げり)をおこす>も同類だ。だが、これ

太郎が(は)入院した。

太郎が(は)胃潰瘍をおこした。

の複合文とは考えにくい。  

太郎が(は)胃潰瘍で入院した。 

といった程度の <胃潰瘍をおこして>だろう。そして<胃潰瘍がおきて>でもいい。<が><が>では語呂が悪いので

太郎は胃潰瘍がおきて入院した。

とするとすっきりする。
 
<おこす>は<起きる(起こる)>の他動詞形だが、どうも自動詞の意味が強くのこっている。

クルマがエンコ(エンジン故障)をおこす。
不注意が火事を起こした。

<xx ができる>

ニキビ、水虫、潰瘍(かいよう)ができる。<おできができる>の<おでき>は<できる>由来だが、<
出て来る>感じがある。癌(がん)は<癌ができる>といえるが、<癌になる>とういのが普通のようだ。

これまた悪いことばかりのようだが

火山ができる。子供(赤ん坊)ができる。

と中立表現もある。

基本的には<この世の中に出て来る。>の意だ。
<出て来る>は発生というよりは出現だ。昔は<出(い)で来る>と言っていたが、これは<でくる><できる>になりやすい。

肝心なのは<xx が>と主語を示す格助詞の<が>をとること、とれることだ。

 
<xx することができる>の意で<xx ができる>という。

勉強、英語、そろばん(コンピュータ)ができる。

この<できる>は自動詞というよりは形容詞だ。

<ある>、<あらわす>、<あらわれる>

これに関してはだいぶ前に ” <ある>、<あらわす>、<あらわれる> ” というタイトルのポストを書いている。読み返してみたが分析はイマイチ。再度挑戦する。

気がつきにくいが、1)存在の自動詞<ある>の使役形<あらす>は<あるようにする、さす、させる>の意だが、<あるようにする、さす、させる>は何かを発生させる(世の中に出てこさす)の意だ。これは言い換えると、何かを<現わす、現わさす、現わさせるで、これまた何かを<世の中に出てこさす>ことだ。さらに言い換えると

姿を見せる、姿をあらわす、 姿をあらわさす

だが、逆に

姿をあらす、 姿をあらさす、 姿をあらさせる

と言えないことはない。

ややこしくなっているが、

ある -> あらす -> あらわす(現わす)となる。<現わす>は他動詞で対応する自動詞は<現(わら)われる>。<現れる>は<出て来る>だ。堂々めぐりのようだ、そうではない。

ある - あらす - あらわす(現わす) - あらわあれる(現れる)、の関係は重要だ。 

英語、イタリア語の<発生>表現もおもしろい。

英語 - to happen が代表だが

An accident happens.
A fire happens.
A flood happens.
A murder happens.
A great depression happens.

というのはあまり聞かないが間違いではない。 to occur の方がよく使われるようだ。日本語では<降って涌(わ)いてきたようだ>という言い方がある。<降る>は to fall でもいいだろう。to happen や to occur という動詞は様子が目に浮かんでこないが、to fall は目に浮かんでくる。to happen や to occur には<出てくる>、<現れてくる>と言った意味はない。一方<起きる>は<立ち上がる,、to stand up, stand out>の意が残っている。<起こる>は<起きる>のなまりだろうが、やや抽象化されて to happen や to occur に近くなるか。 英語でも to arise (xxが起きる)という自動詞があり、to rise (のぼる、あがる、自動詞)、to raise (のぼらす。あげる、他動詞)は関連語で、これは様子が目に浮かんでくる。 occur はラテン語系で、イタリア語で occorrere と言う動詞があるが、occorrere = to occur ではない。correre は<走る>の意だ。correre <走る>も<起きる>と直接的な関係はない。

英語、特に口語では to come out がよく使われる。これが自然と口から出てくるようになれば英語は半人前以上だ。慣れないうちは日本語にとらわれて to appear (現れる) が口に出て来る。to come out は文字通り<出て来る>だが、並び方が逆だ。

to come - 来る + out  - 出る

また、日本語と同じ並び方の outcome という名詞もよく聞く。

火がおきる、火がおこる

は象徴的な<おきる、おこる>の現象だ。<水が湧(わ)き出てくる>感じがある。<火がおきる、おこる>、<水が湧き出る>は自動詞の世界だ。to happen や to occur とは違う。

to befall(他動詞)という英語動詞がある。文語、古語のようだが、捨てがたいところがある。 to fall にひきずられて、いかにも自動詞的だが、Something bad or unlucky befalls you. というので他動詞だ。最後の you がミソ。Something bad or unlucky hits you. とすると他動詞感が強くなるが、to befall に比べるとなにかそっけない感じだ。

イタリア語の<発生>

to happen を英伊ネット辞典(Reveso)でチェックしてみる。

happen
      vi  
a    succedere, accadere, capitare  
what's happening?      cosa succede?, cosa sta succedendo?  
what happened?      cos'è successo?  
these things will happen      sono cose che capitano or succedono  
don't let it happen again      che non si ripeta or succeda mai più  
as if nothing had happened      come se niente fosse  
what has happened to him?        (befallen)    cosa gli è successo?,   (become of)    che fine ha fatto?  
if anything should happen to him ...      se gli dovesse accadere qualcosa...


Casa succede?  Cos'e successo?
はそのまま覚えて使え、なぜこう言うのか詮索する必要はないのだが、詮索してみると

succedere
to succeed 関連でイタリア語でもこの意味もある。<発生する>では意味にズレがある。succedere がなぜ to happen の意になるのかの方がおもしろい

英語の to succeed

1)xx に成功する(自動詞)
2)xx の跡(あと)を継ぐ、x xの後に続く (他動詞) 日本語では<続く>は<に>をとり自動詞。
との意味がある。イタリア語の succedere とは逆に<発生する>の意味はない。 だが、<xx の跡(あと)を継ぐ>、<x x の後に続く>を少し考えてみると

x x の後に続くいて出て来る

とも言える。<後に続くいて出て来る>が連続しておこる場合は

水が湧き出る
芽が出て来る

の感じがある。 これは自動詞の世界だ。日本語では<後から後から出て来る>という言い方がある。 Cos'e successo? <予期せずに突然起こったこと>と言うよりは、継続している通常、普通の状態が途切れて何かが起きた時、その何かを問う言い方だ。ある意味で to succeed の意味が隠れていると言えないか。直訳すると 

何が起こった?

だが、日本語らしいのは

なにがあった? どうした?

 だ。

<ある>は<出て来る(発生)>ではなく<存在>だ。この<あった>にも to succeed (継続継続)の意味が隠れているのではないだろうか。

 accadere
cadere to fall の意で、 これは<発生する>の感じがある。

なぜか例文に capitare の例文がないがcapitare はよく見かける。capitare capo(あたま)由来の語だが、すぐには<発生する>するとの関連が思いつかない。日本語で<頭ごなしに>という言い方があるが、これは<予期せずに突然起こる>感じがある。これまた自動詞の世界だ。

b      (chance)    it happened that ...      si dava il caso che...  
do you happen to know if ...      sai per caso se...  
if anyone should happen to see John      se a qualcuno capita di vedere John  
I happen to know that ...      si dà il caso che io sappia che...  
she happened to be free      per caso era libera  
as it happens      (per) combinazione  
it so happened that ...      guarda caso...

この to happen はよく使う。便利な表現だ。込み入った上のイタリア語より I happened to know that は簡潔でいい。<棚からボタモチが落ちて来る>ような感じで、この何かが<落ちて来る>はきわめて自動詞的な表現だ。per caso が出て来るが<たまたま>と言った意味だ。英語では by chance、accidentally。

たまたまxx が起きる(起きた)

は、言い換えると

思いがけず、予想外に、xx が起きる(起きた)
意外だがxxが起きる(起きた)

になる。<意外>は中国では<事故>のことで

発生交通意外。

という。<発生>が頭にきていることに注意。<交通意外発生>ではない。<発生爆水管>というのもある。<爆水管>自体中国語式で、<爆水管>は発生するので動詞の<爆>が頭にくる。 <水管爆>ではないのだ。

この<意外>はヒントになる。 <発生>を少しよく考えて見ると

予期せぬ、思いもよらない、思いがけないことの発生 - 事故、火事、水害、殺人事件
予期していることの発生 - これは意外性はないが発生に変わりはない。
継続的な発生 - 水が湧き出る (出て来る)、芽が出て来る

<予期しないことの発生>は見方にもよるが、事故などが起きていない状態が想定されている。そしてこのような状態が途切れて<予期しないこと>が発生する(した)ことの表現なのだ。

予期していることの発生の例は多くない。動詞としては<みつかる>がある。<みつかる>は自動詞で他動詞は<みつける>。<みつかる><みつける>は変な動詞で英語の変な動詞 to find に似ている。to find は<さがす>に近いが、<さがす>は to try to find だろう。 I found it. のfound は<探した>ではなく<探しあてた>。<探しあてる>は<xx を探しあてる>で他動詞だが<xx がみつかる>の意に近く、自動詞的だ。<xx が探しあたる>という言い方はない。上で to come out を取り上げたが、to find out もこれが自然と口から出てくるようになれば英語は半人前以上だ。たまたま<xx を探しあてる>のではなく文字通り<xx を探しだす>で往々にして努力が要求される。

予期していることの発生

みつかる
探しあてる
当たる 

あたる(当たる)もおもしろい動詞だ。他動詞は<あてる>で、<当てようととして><当たる>場合は予期していることの発生に近い。<みつけようとして><みつかる>も予期していることの発生に近い。

宝くじに当たる

期待はするが<予期しないことの発生>だろう。<当たり前>は予期、予想するまでもない当然のこと、ということだろう。

さて、<みつかる>に関連して、例文がないので上で取りあげなっかたが、ここでイタリア語の caiptatre という動詞をチェックしてみる

capitare

1       vi, (aus essere)  
a      (giungere casualmente)    to arrive, find o.s.  ,   (presentarsi, cosa)    to turn up, present itself
capitare a proposito/bene/male      to turn up at the right moment/at a good time/at a bad time  
siamo capitati nella zona più pericolosa della città      we found ourselves in the most dangerous area of the city  
b      (accadere)    to happen  
se ti capita di vederlo      if you happen to see him  
mi è capitato un guaio      I had a spot of trouble  
non mi è mai capitato      it's never happened to me  
sono cose che capitano      these things happen  
2       vb impers, (aus essere)   to happen  
capita spesso di incontrarci o che ci incontriamo      we often bump into one another

1-a はある程度予期していることの発生に近い。対応する英語が to arrive、to find oneself となっているが to arrive、to find oneself を使った訳はなく、<xx にいる(ようになる)= to arrive>といった感じの訳だ。to find oneself は英語の再帰動詞用法で、実際にはほとんど使われないが、<xx(場所、状況)で自分自身をみつける>とは他動詞の再帰動詞用法ー>自動詞変換から、<xx(場所、状況)でみつかる>、xx(場所、状況)にいる>と自動詞的になる。

capitare a proposito/bene  はいいところに現れる、姿を見せる

capitare は 1-b の使われ方が多いようだ。1-3例文は再帰動詞用法。よくないことの場合は<xxが(頭の上から)降りかかってくる>といった感じだ。capo = 頭。 

to find oneself は英語の再帰動詞用法と書いたが、本家のイタリア語は trovarsi で、これを辞書でチェックすると、trovarsi = to be というのがある。これはよく使われるようだ。例文が多い。

  trovarsi      vip  
a      (essere situato)    to be  
dove si trova la stazione?      where is the station?  
l'albergo si trova proprio al centro      the hotel's right in the town centre  
in quel periodo mi trovavo a Londra      at that time I was in London  
b      (capitare)    to find o.s.  
ci siamo trovati a Napoli      we found ourselves in Naples  
c      (essere)    to be  
trovarsi bene/male      to get on well/badly  
mi sono trovata benissimo con i suoi      I got on very well with his parents 

以下略

 

次回は<3.生成、変化の自動詞>。 


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