Thursday, July 22, 2021

日本語の自動詞の世界 - 3.生成、変化の自動詞


生成、変化の自動詞

<存在、発生、出現、生成、変化>とかたぐるしい漢語が並ぶが辛抱(しんぼう)してもらいたい。日本語の<生成、変化の動詞>は<xx が yy になる>の形の<なる>だ。<ある>、<いる>、<なる>と簡単だが、意味は深い。簡単なこと自体意味が深いのだ。

<なる>の使役形が<ならす>、<ならさす>。<なる>には<なす>という対応する他動詞がある。<する>ではない。<なる-なす>は自他ペア動詞といっていいが、いろいろ複雑だ。

なせばなる、なさねばならぬなにごとも。

というの聞いたことがある。積極的、行動的になる、生きるようにすすめているのだろう。似て非なるものに

なるようにしかならない。

というのも聞いたことがある。これは上とは逆で、頑張っても、無理しても、世に中思っている、考えているようにはならない。だから . . . . . (あきらめた方がいい)、といった悲観的な口調だ。さらに、似て非なるものに

なんとかなる(さ)。

というのがあり、上に二つの中間をいくような楽観的な内容の言い方だ。 

実がなる。

これだけだとわかりにくいが、つぼみ->花->実という<生成>過程があり、突然に実が出現するわけではない。<実ができる>や、<成果がでる>、他動詞を使った<実を結ぶ(結実)>があるが<実がなる>がいかにも自動詞らしくていい。

カネのなる木

残念ながら、<カネのなる木>は存在しない。突然にカネが出現することはないのだ。

<なる>は多くは

xx が(は) yy になる

の構造で、<yy>は名詞や形容詞だ。ここで日本語の助詞<に>が活躍する。英語、イタリア語、中国にはこの助詞がないので、慣れるまでは違和感がある。

Taro is a doctor. はいいが
Taro became a doctor. は慣れないうちは違和感がある。

<太郎は医者になった>の<に>がないので(<は>もない)、純直訳は

太郎なった医者。

これはなんとか通じる。 

太郎医者なった。

これはダメだ。

中国語

去东京(東京)。 初めのうちは東京を食べてしまう感じがある。
成功  この2字で名詞にも動詞にもなる。文字通り<功成(なる)>だが、語順に注意。<下雨>(雨が降る)と同じ。

英語、特に口語では to become 以外に to turn out (to be) がよく使われる。上の to come out と同じで、 to become よりも to turn out (to be) の方が具体的、様子が目に浮かんでくる。<xx に変わって出て来る>感じだ。<to come>だけでも <なる>の意はある。 to come to an end は<終わりになる>。to come to reality は<(xxが)実現する>だが<xx を実現する>で他動詞にもなってしまう。<(xxが)本当になる>という自動詞表現がある。常套表現で Dream becomes reality. というのがある。

to turn out も to come out も out があるので、基本的に<出る>、<出て来る>のコンセプトがある。反対は in だが、基本的にはモノや人が(xxの中に)<入る(はいる)>、<入って行く>と見えなくなる。<生成>の反対は<消滅>で<見えなくなる>、さらに一般的には<なくなる>で自動詞。<消される>のではない。<消(き)え去る>は自動詞だが<消去する>は一般に他動詞だ。名詞の<消去>も他動詞的だ。消滅は中国でが自他兼用だろう。日本語も<消滅する>で自他兼用になりうるが、他動詞は<消滅させる>が普通か。<する>は自他兼用なのだ。だいぶ前に"<する>は他動詞、自動詞、いったい何だ?” というポストを書いている(」2013年)。

 

次回は<4.消滅の自動詞>。

 

sptt

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