前回のポスト ”<道を歩く>の<歩く>は自動詞か?" に続いて性懲(こ)りもなく同じような自動詞表現をチェックしてみる。以前にもやったことがあるが、新しい発見があるかも知れないので、別途検討してみた。
<カドを曲がる>の<曲がる>は<を>をとるが自動詞で、対応する他動詞は<曲げる>だ。一般的には<カドを曲げる>は、むりすれば不可能ではないが、変だ。<カドを削(けず)る>という言い方はある。<他動詞で、対応する自動詞は<削れる>で<カドが削れる>という。<カドが削れる>は<カドが削られる>(<削る>の受身形)とは違う。強調のため<大いに違う>と言おう。
<カドが削れる>は自然に(自動的に、さらには自動詞的に)<削れる>ことを表現している。一方
<カドが削られる>は誰かが、何かが<カドを削る>ことの結果であって、自然に(自動詞的に)<削れる>のではない。
さて<カドを曲がる>の<曲がる>にもどると、
私はカドを曲がる。
犬がカドを曲がる。
こまかいことになるが
私はカドを曲がる。
私がカドを曲がる。
は違う。<私はカドを曲がる>は、自分を客観視して、誰かに報告するような言い方だ。一方<私がカドを曲がる>は。これだけではあまり使う機会はない、ちょっと変な言い方だ。<誰がカドをまがる?>の答えなら変でない。
犬がカドを曲がる。
は<が>が使われているが、誰かに報告するような言い方といえる。ただし初めての報告で、大げさにいえば<ニュース>を伝えるような感じだ。一方
犬はカドを曲がる。
は、今度はこれが ちょっと変な言い方だ。一般論過ぎるのだ。、すこし無理だが
その犬はカドを曲がる。
犬と いうものはカドを曲がる、ものだ。
と解釈できる。
犬はカドを曲がった。
なら、確定しているので
その犬はカドを曲がった。
と、かなり高い確率で解釈できる。
私はカドを曲がる。
犬がカドを曲がる。
にもどって、これを解釈すると、
私はカドを曲がる。
は、再帰用法(他動詞->自動詞変換)を使った
私はカドで私自身を曲げる。
はとんでもないことになる。<曲がる>と<曲げる>は単純な自動詞、他動詞の違いだけではないのだ。ではどんな違いか。<曲げる>は対象の変形がともなう。<棒が曲がる>なら主体の変形がともない、<曲がる-曲げる>のみごとな対応だ。ではどうしたらいいのか?
私はカドで私自身を曲がらせる。
ならどうか?<私自身を曲げる>よりはよさそうだが、まだあいまいなところがある。<曲がらせる>は他動詞だが、自動詞<曲がる>の使役形だ。<曲げる>と<曲がらせる>は区別がどうもはっきりしない。だが<曲げる>の使役形は<曲げさせる>になる。少しあいまいな
私はカドで私自身を曲がらせる。
は
私はカドで私自身を曲がることをさせる。
なら間違いなさそう。 間違いなさそうだが、こんな言い方はこのような論議をのぞけばまずしない。なぜなら
私はカドを曲がる。
という簡潔な言い方があるからだ。曲がる - 曲がらす、 曲げる - 曲げさす、
に似ているのに
回(まわ)る - 回らす、 回(まわ)す - 回さす
がある。<曲がる>は90度の変化だが 、<まわる>は360度だ。やっかいなのは自分自身が<回る>場合(自転)と何かのまわりを<回る>場合(公転)があることだが
(それでも)地球は回る。 - 地球を回らす。 <地球を回わす>とどこが違う?
地球は太陽のまわりを回る。 - 地球を太陽のまわりを回らす。これは<を>が二回も出てきて聞きずらい。
コマは回る。 - コマを回らす。 <コマを回す>が普通だ。
地球を回す。 - 地球を回さす。
地球を太陽のまわりを回す。 - 地球を太陽のまわりを回さす。 これも<を>が二回も出てきて聞きずらい。
コマを回す。 - コマを回さす。
なんだかよくわからないが、まったくダメとうのはなさそう。他動詞<回す>があるので<回らす>の出る機会は少ないだろう。
<運動場を回る>が<カドを曲がる>に近い表現だ。
私は運動場を回る。
犬が運動場を回る。
私は運動場で私自身を回らす。
私は運動場で私自身を回す。
<私自身を回らす>は<運動場を回る>の意になりうるが、<私自身を回す>は<運動場を回る>の意にならない。
犬が運動場で自分自身を回らす。
犬が運動場で自分自身を回す。
犬の場合も同じようだ。
上で ” 他動詞<回す>があるので≪自動詞<回る>の使役形)<回らす>の出る機会は少ないだろう。” と言ったので、さらに自動詞を軸としてチェックを続けてみる。
動く - 動かす
歩く - 歩かす
走る - 走らす
泳ぐ - 泳がす
おぼれる - おぼれさす
もぐる - もぐらす
流れる - 流れさす、 流す - 流さす
進む - 進ます、進ませる、 進める - 進めさす
通る - 通らす、 通す - 通さす
渡る - 渡らす、渡らせる、 渡す - 渡さす、渡させる
<橋を渡る>、<橋が渡る><モノが渡る>は自動詞、 <橋を渡す>、<モノを渡す>は他動詞。過ぎる - 過ぎさす、過ぎさせる 過ごす - 過ごさす、過ごさせる
<列車が駅、トンネルを過ぎる>は自動詞。<時間が過ぎる>は自動詞。<時計が5時を過ぎる>も自動詞。
(指される) 指す - 指さす <針が南を向く>の<向く>は自動詞、<針が南を指す>の<指す>は自動詞となっている。
(釘が)抜ける - 抜けさす、 (釘を)抜く - 抜かす
(気が)抜かる - 抜からす、 (気を)抜く - 抜かす
<ぬかりなく>という言い方がある。
(腰が)抜ける - 抜けらす、 (抜く) (腰を)抜かす - 抜かせる
<腰を抜かす>は<(腰が抜ける>とほぼ同じ意味になり、おもしろい表現だ。
落ちる - 落ちらす、落ちらせる 落とす-落とさす、落とさせる
上がる - 上がらす、上がらせる 上げる - 上げさす、上げさせる
下がる - 下がらす、下がらせる 下げる - 下げさす、下げさせる
乾(かわ)く - 乾かす 乾かせる、乾かさす、乾かさせる
濡(ぬ)れる - ぬれさす、ぬれさせる、 ぬらす - ぬらさす、ぬらさせる
行く - 行かす、行かせる
来る - 来さす、来させる
立つ - 立たせる 、立たされる(受身) 立てる - 立てさす、立てさせる
すわる(据わる、座る) - すわらす、すわらせる 据える - 据えさす、据えさせる
(モノが)ねる(横になる) - ねらす、ねらせる、ねらさせる ねかす - ねかす、ねかさす、ねかさせる
起きる - 起きらす、起きさす、起きさせる 起(おこ)す - 起さす、起こさせる
止まる - 止まらす、止まらせる、 止める - 止めさす、止めさせる
泊まる - 泊まらす、泊まらさせる、 泊める - 泊めさす、泊めさせる
とどまる - とどまらせる、 とどめる - とどめさす、とどめさせる
(雨が)やむ 、やまる - やまさす、 やめる
<雨をやまさす>は神業(かみわざ)だ。自動詞<やむ>には<やめる>という対応他動詞があるが、<雨をやめる>という言い方は普通しない。
(雨が、雪が、あられが)降(ふ)る - 降らす、降らせる、降らさす <雨を降らす、 降らせる、降らさす>も神業に近い。<雨雲が雨を降らす>というが、これは自然現象の因果関係の説明で、人の意思がからむ他動詞ではない。
(風が)吹く - 吹かす、吹かさす、吹かせる、吹かさせる
<風を吹く>はないが、<(笛、ラッパを)吹>はある。
<吹く>は自他兼用なのだ。
(ラッパを)吹く - 吹かす、吹かさす、吹かせる
ラッパを吹く(他動詞)とラッパを吹かすは同じような意味になる。<吹かさす、吹かせる>は<吹かす>の使役形だ。
一方<風が吹くようにさせる>はめったに使わないが
天が、罰として、大風(おおかぜ)が吹くようにさせた。
という言い方はできる。この場合、<風が吹くようにさせる>は自動詞<吹く>の使役形のようだ。<風を吹くようにさせる>はおかしいので<風を吹かせる>、<風を吹かさせる>になるが。これは他動詞の使役でもある。かなりの混乱がある。自他兼用動詞のデメリットか?
(カミナリが、太鼓が)鳴る - 鳴らさす、鳴らさせる - 鳴らす
他動詞としての<鳴らす>は<太鼓を鳴らす>はいいが、人が簡単に<カミナリを鳴らす>わけにはいかない。したがって<カミナリを鳴らす>は
神がカミナリを鳴らす
ならとよさそう。ところで
神(カミ)が<カミナリが鳴るようにさせる>の自動詞<鳴る>の使役形でもいい。こうはまず言わないが、<神がカミナリを鳴らさす、鳴らさせる>ならいい。カミナリは<神鳴り>だろうが<神が鳴る>わけではない。
まじる - まじらす、まじらせる、 まぜる - まぜさす、 まぜさせる
まざる - まざらす、まざらせる
<まぜる>は化学用語だけでなく調理動詞にもなる。調理は創造的な作業で、調理動詞は他動詞が主だろう。
炊ける <- 炊く
煮える <- 煮る
焼ける <- 焼く
ゆだる <- ゆでる
炊ける - 炊けさす、炊けらさす、炊けらせる
煮える - 煮えさす、煮えらさす、煮えらせる
焼ける - 焼けらす、焼けらさす、焼けらせる
ゆだる - ゆだらす、ゆだらさす、ゆだらせる
の自動詞の使役形はわけがわからなくなる。だが、純自動詞としては
うまく(よく)炊ける、煮える、焼ける、ゆだる
でいかにも自動詞らしい表現だ。 これは<うまく(よく)炊ける、煮える、焼ける、ゆだる>のは自然に(自動詞的に)できてくる結果で、人がコントロールしてできて来るのではないことを示唆している。調理は人がするもので人為的(他動詞的)な作業だが、どっこい自動詞も活躍する。ここはおもしろいところで、自動詞的な世界と言える。
(もとに)もどる - もどらす、 もどす - もどさす
(家に)帰る - 帰らす、 帰らせる、 帰す - 帰させる
(貸したものが)返る - 返らさす、 返す - 返さす
届(とど)く - 届かす、届かせる 届ける -届けさす、届けさせる
眠(ねむ)る - 眠(ねむ)らす、眠(ねむ)らせる
寝(ね)る - 寝らす、 寝かす - 寝かさす
起きる - 起きさす、 起きさせる、 起(おこ)す - 起さす、起こさせる
生きる - (生きらす) 生きさす、 生きらさす、 生きらせる、 生かす - 生かさす
死ぬ - 死なす、死なせる (恐ろしい言葉だ)
見える - 見えさす、 見る - (見らす、見らさす) 見さす、見させる、 見せる - 見せさす
聞こえる - 聞こえさす、 聞く - 聞かす、聞かさす、聞かせる
におう(匂う、臭う) - におわす、 におわせる
(味わえる) 味わう、味あわす、味あわせる、味あわされる(受身)
ふれる - ふれさす、ふれさせる xx にふれる、xx がふれる で自動詞
さわる - さわらす、さわらさす、 さわらせる xx にさわる、xx がさわる で自動詞
(感じられる) 感じる、感じさせる、感じさせられる(受身)
(やられる) やる - やらせる
(xx が)なる - ならせる (x xを)なす - なさせる、
(される) する - させる
(追加予定)
かなり複雑で、さらに検討してから、結論を出した方がよささう。
だが一般的には、意味上
自動詞の使役形 = 他動詞
が成り立つようだ。だが<自動詞の使役形>には<自動詞要素が残っており>、この自動詞要素が強く残る場合。
落ちる - 落ちらす、落ちらせる 落とす-落とさす、落とさせる
<落ちらす、落ちらせる>はほとんど聞かない、使わない。
まじる - まじらす、まじらせる、 まぜる - まぜさす、 まぜさせる
<まじらす、まじらせる>もほとんど聞かない、使わない。姉妹のような自動詞
まざる - まざらす、まざらせる
の<まざらす、まざらせる>ももほとんど聞かない、使わない。
乾(かわ)く - (乾かす 乾かせる、乾かさせる)
<乾かす>は<乾く>の使役形とみなせる。他動詞ともとれる。あいまいなところがある。
もあいまいなところがある。<ぬらす>は<ぬれるようにする>といった感じだ。
流れる - 流れさす、 流す - 流さす
木の葉が流れる - 木の葉を流れさす - 木の葉を流す
川が流れる - 川を流れさす <川を流す>は何か変だ。と言って<水を流す>は<川を流す>に
ならない。 これは実際に流れるのは<水>で川自体が流れるわけではないからだろう。少しよく考えれば<川が流れる>がおかしいのだ。<川は流れる>もおかしい。
進む - 進ます、進ませる、 進める - 進めさす
軍隊が進む、軍隊を進ます、軍隊を進める
通る - 通らす、通らせる 通す - 通さす
<トンネルが通る>、<トンネルを通らす>、<トンネルを通す>はいいが、<私がトンネルを通る>、<私をトンネルを通らす>、<私をトンネルを通す>は何か変だ。
止まる - 止めさす、止めさせる、 止める
列車が止まる - 列車を止まらす、止まらせる - 列車を止める
旗が立つ - 旗を立たせる、 旗を立てる
家が建つ - 家を建たせる、 家を建てる <家を建たせる>は変だ。
sptt
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