前回のポスト ” イタリア語のスーパー感覚動詞 sentire ” の最後で
”
これまでの論議で、ところどころで言及しているが、今一歩進められそうな文法的検討事項に
<見る>、<見える>、<聞く>、<聞こえる>、<嗅(か)ぐ>、<匂(にお)いがする>、<味わう>、<味がする>、<触(ふ)れる>の五感動詞の代わりに
1)目、耳、鼻、口、肌(手)の具体的な名詞を使った言い方。
2)すがた、かげ、音、におい、かおり、味、さわり(肌(手)ざわり)の名詞を使った言い方。
がある。
”
と書いたので、続けて検討してみる。まずは<する>を使った表現。
1)目、耳、鼻、口、肌(手)の具体的な名詞を使った言い方。
xx を目にする - 見ようとして実際(よく、しばしば) xx を見る、
見ようとしないが(よく、しばしば、たまに) xx を見る、xxが見える
xx を目にした - 見ようとして実際(よく、しばしば) xx を見た、
見ようとしてではなく(たまたま)xx を見た、xx が見えた
見ようとしてではなかったが(よく、しばしば、たまに、たまたま) xx を見た、xx が見えた
<xx を目にする>は基本的に<見る>にも<見える>にもなる。これは意外な発見だ。
xx を耳にする - 聞こうとして実際(よく、しばしば) xx を聞く
聞こうとしないでも(よく、しばしば、たまに) xx を聞く、xx が聞こえる、聞こえてくる
xxを耳にした - 聞こうとして実際(よく、しばしば)<xxを聞いた>、
聞こうとしないが、聞こうとしなくてもく(よく、しばしば、たまに) xx を聞いた、xx が聞こえた、聞こえてきた。
<xxを耳にする>も基本的に<聞く>にも<聞こえる>にもなる。どうしたわけか。
鼻にする(かぐ)、口にする(あじわう)、肌(手)にする)(ふれる)
という言い方はなく目と耳は格別のようだ。
<入(い)れる>、<入(はい)る>
目に入れる、 目にはいる = 見える
耳に入れる、耳にはいる = 聞こえる
(鼻に入れる、鼻にはいる)
(口に入れる、口にはいる)
(肌(手)に入れる、肌(手)にはいる)
これも目と耳は格別のようだ。
<つける>、<つく>
目をつける = 見る、 (目につける)、 目につく = 見える耳をつける = 聞く、 (耳につける)、 耳につく= 聞こえる
鼻をつける = かぐ、 (鼻につける)、 鼻につく= におう
口をつける = 食べる、 (口につける、口につく)
舌をつける = なめる = 味わう、味を見る
肌(手)をつける = さわる、(肌(手)につける、肌(手)につく)
これは類似性、法則性が見られる。
<取る>は重要、常用語だ。複合動詞(取りxx)も多い。
(目に取る)
(耳に取る)
(鼻に取る)
口に取る = 食べる
(肌(手)にとる)
で基本的にダメ。しかし、客観的には
目に取る = 見る、 目に取れる = 見える
耳に取る = 聞く、 耳に取れる = 聞こえる
鼻に取る = かぐ、 鼻に取れる = におう
(口に取る = 食べる、 口に取れる = 口にはいる)
舌に取る = 味わう、 舌に取れる = 味がする
肌(手)に取る =(xxを)さわる、 肌(手)に取れる =(xxが)さわる、ふれる
で意味が通じる。だがなぜかこのようには言わない。新日本語の可能性はある。
2)すがた、かげ、音、におい、かおり、味、さわり(肌(手)ざわり)の名詞を使った言い方。
<すがた>、<かげ>以外は目に見えない。逆に<目に見える>、<目に見えない>とは言うが、<耳に聞こる、耳に聞こえない>、<鼻ににおう、鼻におわない>、<舌に味がする>、とは言わない。一方<肌(手)にさわる、ふれる>はいい。いったいどうなっているのか?
音がする = 聞こえるにおいがする = におう
でいが
xx がする = 見える
の適当な xx が見つからない。
<xx の姿(すがた)がする>、<xx の影(かげ)がする>が<見える>に近いが日常ほとんど使わない。
味がする = 味わう
ではない。<味がする>は主語付き自動詞表現、<味わう>は他動詞だ。
(さわりがする)、xxの肌(手)ざわりがする = (xx が)さわる
ではない。
<さわる>に似た動詞に<ふれる>がある。
xx をさわる、xx をふれる
ではなく、
xx が yy にさわる、xx が yy にふれる
が普通だ。<気にさわる>と<心にふれる>とでは雲泥の差がある。
おもしろい検討事項が多そうだが、検討は後日予定とする。
sptt
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