<さわる>と<ふれる>は英語では to touch で間に合いそうだが、 to touch は基本的に他動詞、一方この連想から<さわる>と<ふれる>は他動詞に見えるが、基本的には自動詞。だがそう簡単ではなさそう。
xx がyy にさわる
xx がyy にふれる
が基本にあるようだが、<xxが>省かれることもある。
to touch は日本語で<タッチする>になるが、どういうわけか
ベースにタッチする
で自動詞になる。しかし to touch の影響からか
危険物 - 手をふれないでください
というのはどこかにありそう。
話が核心にふれる。
風で木の枝が顔にふれた。
栗のいがにさわると痛い。
電線にぬれた手でふれると危険だ。
は
予期せずに
栗のいがにさわると痛い。
電線にぬれた手でふれると危険だ。
だと自動詞っぽいが
栗のいがにさわると痛い。 (さわってみる、さわろうとしてさわる)
電線にぬれた手でふれると危険だ。 (ふれてみる、ふれようとしてふれる)
だと他動詞っぽい。
キズにさわると痛い。
も自分でキズにさわることも想定される。それでも<を>ではなく<に>をとるので自動詞か?
手が氷にふれると冷たい。
も自分で氷にふれることも想定される。それでも<を>ではなく<に>をとるので自動詞か?
以上の例から<ふれる>は<予期しないで、xxがふれる>でかなり自動詞っぽい。一方<さわる>は<意識して、さわる>ケースがままあり、他動詞っぽい。以前どこかでふれたが
太郎は花子の体にさわって、セクハラと大声で言われた。
次郎は美代子の体にまちっがて手がふれただけで、セクハラと大声で言われた。
太郎の行為は意図的、次郎の行為は意図がない。
<さわる>と<ふれる>は似ているが、<気にさわる>と<心にふれる>は雲泥の差がある。
sptt
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